野いちご源氏物語 一九 薄雲(うすぐも)

源氏(げんじ)(きみ)大堰(おおい)(がわ)の別荘にご到着なさった。
(おもむき)(ぶか)く上品な暮らしをしていらっしゃることが伝わってくる。
明石(あかし)(きみ)ご自身も見るたびに(あか)()けていかれる。
お姿はもちろん、お心構えも都の高貴(こうき)姫君(ひめぎみ)と変わらないほどご立派よ。

源氏の君は、
<私のような身分の人が中流貴族の娘と恋人関係になることも、まぁ、世間ではないことではない。しかしこの人の場合は、父親の入道(にゅうどう)が変わり者として有名で、それで(わる)目立(めだ)ちしてしまうのだ。本人は私の妻になってもおかしくないほど立派な人柄(ひとがら)だというのに>
(くや)しくていらっしゃる。

明日には帰ると(むらさき)(うえ)に伝えて二条(にじょう)(いん)を出ていらっしゃったから、あまりゆっくりはおできにならない。
せめて楽器の合奏(がっそう)をして心を通いあわせたいとお思いになる。
源氏の君は(そう)を、女君(おんなぎみ)琵琶(びわ)を弾いて合奏なさった。
<何でも見事にできてしまう人だ>
と感心なさる。
紫の上のもとでお育ちになっている明石の姫君のご様子を、女君が安心なさるように細々(こまごま)とお話しになるの。

源氏の君がふつうの恋人の家に行かれるときは、わざわざその家でお食事をなさるなんてことはない。
夜に訪問なさって、明け方前にお帰りになるのだもの。
でも、大堰川の別荘にはもう少し長く滞在なさるから、簡単なお食事を召し上がることもある。
それはつまり、明石の君の別荘がただの恋人の家ではなく、源氏の君の生活の場所のひとつになっているということ。
これはすごいことなのだけれど、源氏の君ははっきりとは公表なさらない。
あくまでも、嵯峨(さが)に建てたお寺や(かつら)の別荘に行くと言ってお出かけになる。
かといって、「いかにもそのついで」という態度はお取りにならないから、やはり明石の君は大切にされていらっしゃるのよね。

女君もそれを分かっていて、わがままも、「どうせ私なんて」というような面倒なこともおっしゃらない。
ただ源氏の君の(おお)せに従って、素直にしていらっしゃる。
<源氏の君が私のところでお食事を召し上がるのを、世間は仕方がないことだと認めているらしい。それはここが都から離れていて、行き帰りに時間がかかる場所だからだろう。源氏の君ほどのご身分の方は、ふつう、恋人の家に長居してくつろぐことなどなさらない。私が二条(にじょう)(ひがし)(いん)に移って、それでもここにいたころのようにくつろいでいかれたら、その場合は間違いなく世間から見下される。『恋人未満の軽い扱いをされている女だ』と言われ、源氏の君にはすぐに()きられてしまうだろう。そう思うと、今のようにたまにお越しいただくのが一番よい>
と、内心で計算しておられる。