野いちご源氏物語 一九 薄雲(うすぐも)

雪が少しとけたころ、源氏(げんじ)(きみ)姫君(ひめぎみ)をお迎えにいらっしゃった。
いつもはうれしい源氏の君のご訪問だけれど、
<姫を引き取りにいらっしゃったのだ>
女君(おんなぎみ)はお胸がつぶれて、ご自分をお()めになる。
<どうしようか。私が絶対に嫌だと申し上げれば、さすがに無理やりお連れになることはないはずだ。しかし源氏の君は、あまりに軽率(けいそつ)なふるまいだとあきれてしまわれるだろう>
と、姫君をお渡しする覚悟をなさる。

姫君は、これからご自分がどうなるともご存じないまま、おとなしく父君(ちちぎみ)の前に座っていらっしゃる。
そのご様子はとてもおかわいらしくて、源氏の君は、
<やはりこのような美しい姫を手に入れられたのは運命だ>
とお思いになる。
姫君は一年近く前からお(ぐし)をのばしはじめて、今は背中のあたりまでのびているの。
ゆらゆらと豊かで、お顔もまなざしも生き生きとしてお美しい。

<このようなかわいらしい子を、他人に渡す母親の心はどれほどつらいだろうか>
と源氏の君はご同情なさって、明石の君に、
「何も心配はいりませんよ。二条(にじょう)(いん)で大切にお育てしますから」
と繰り返しおっしゃる。
「母親である私の身分の低さはどうかお忘れくださいませ。やんごとない女君がお生みになった姫君として、どうか立派にお扱いくださいませ」
明石の君はとても最後まで言い切ることはできず、泣いてしまわれる。

無邪気な姫君は、早く乗り物に乗りたそうにしていらっしゃるの。
乳母(めのと)ではなく明石の君みずから、()(えん)まで姫君を抱いてお出になった。
姫君をそっと乗り物にお乗せなさると、姫君はふり向いて母君のお(そで)を引かれる。
かたことの、とてもかわいらしいお声で、
「さぁ、お母様も」
とおっしゃった。

明石の君は胸を()かれて、
「こんな幼い子と離れ離れになったら、いったいいつ再び会えるのでしょうか」
とひどくお泣きになる。
源氏の君も苦しくお思いになって、
「いつか親子三人で暮らせる日も来るだろう。あきらめずに待っていておくれ」
とおなぐさめになる。

もうどうしようもないことだと分かってはいるけれど、明石の君は涙をこらえられずにいらっしゃる。
姫君の乗り物には、乳母と女房(にょうぼう)ひとりだけが同乗(どうじょう)した。
姫君の()(まも)りなど、大切なものを持ってお(とも)するの。
他にもお見送りの女房や女童(めのわらわ)たちにお供をさせて、明石の君はお屋敷にお残りになった。