野いちご源氏物語 一九 薄雲(うすぐも)

さて、斎宮(さいぐう)女御(にょうご)様は、年上らしく(みかど)のお世話をなさって、帝から大切にされていらっしゃる。
源氏(げんじ)(きみ)も立派な女御様だと感心なさっているわ。
秋になって、二条(にじょう)(いん)に里帰りをなさることになった。
源氏の君は張り切って準備をして女御様をお迎えなさった。

源氏の君はまだ喪服(もふく)をお召しになっている。
不吉(ふきつ)なことがつづいているから、派手なものを着る気にはなれなくて」とおっしゃっているけれど、本当は亡くなった入道(にゅうどう)(みや)様のために、まだ喪服を着ていたいとお思いになっているの。
数珠(じゅず)をお(そで)のなかに隠した美しいお姿で、女御様のお部屋にいらっしゃった。
ついたてを(はさ)んでお座りになる。

秋の雨が静かに降って、お庭の植え込みの花にかかっているの。
「花は色とりどりに満開ですね。こんなに不吉なことが続く年だというのに、無邪気に咲いているのがかえって気の毒なほどです」
と、優雅に柱に寄りかかっておっしゃる。
「あなた様とご一緒に御息所(みやすんどころ)伊勢(いせ)へ行かれたのも、御息所がお亡くなりになったのも、今日のような物悲しい秋の日でした」
としんみりとおっしゃると、女御様も母君(ははぎみ)のことを思い出されて涙ぐまれる。
源氏の君は、
<上品でやわらかいご気配(けはい)だ。さぞかしお美しいのだろう。ついたて越しでしかお会いできないことが残念だ>
と、いつもの困った浮気心を動かしていらっしゃった。

「これまでの人生を振り返りますと、もっと平穏(へいおん)に生きることだってできたはずですが、私はどうしても苦しい恋愛に()かれてしまいましてね。そのなかでも忘れられない恋がふたつあるのです。ひとつはあなた様の母君との恋ですよ。御息所は私を(うら)んだままお亡くなりになったでしょうが、今は空からあなた様のお世話をしている私をご覧になって、きっと見直してくださっていると存じます。それでもはやり、お元気だったころに私の誠意をお見せしたかった」
とおっしゃる。
「忘れられない恋」のうちのもうひとつはおっしゃらなかったけれど、きっと入道の宮様との恋でしょうね。

須磨(すま)におりましたころ、都に戻ることができたら何をしたいか、いろいろと考えていたのです。一番気がかりだったのは、私の他に頼る人のいない女性たちのことでした。近ごろようやく(ひがし)(いん)に集めはじめて、お互いに安心しているところです。都を離れても、内裏(だいり)の仕事のことより女性が気になってしまうような私ですから、こうしてあなた様の近くでお世話をしておりますと、心がざわめいてしまうのですよ。もちろんあるまじきことだと思って隠しておりますが、あなた様にだけはそれを分かっていていただきたいのです。ご同情いただけませんか」
と、口説くようなことをおっしゃる。

女御様は何ともお返事できずにおられる。
「ご無理を申しました。しかし寂しいな」
と苦笑いなさって、話題をお変えになる。
「もうしばらくしたら出家(しゅっけ)しようと考えているのです。世間と(えん)を切り、寺にこもって仏教(ぶっきょう)修行(しゅぎょう)をしたいのですが、まだ私はこの世で何もやりとげておりません。せめて子どもたちを立派な地位(ちい)につけられたらと思うものの、息子も娘もまだ幼いのです。恐れ多いお願いでございますが、どうか女御様のお力で、子どもたちをお導きくださいませ。私の死後も子孫が(さか)えるように、どうかご後見(こうけん)くださいますよう」
とお願いなさる。

女御様はおっとりと、
「私にできます限りは」
とだけお返事なさった。
ほのかに聞こえるお声がお優しいの。
源氏の君は女御様のお部屋から帰りがたくお思いになる。