野いちご源氏物語 一九 薄雲(うすぐも)

(みかど)源氏(げんじ)(きみ)をお呼びになった。
「秋の人事(じんじ)異動(いどう)で、あなたを太政(だいじょう)大臣(だいじん)に任命しようと思います。それからしばらくしたら、皇族にお戻りいただきたい。帝の(くらい)を下りたいと思っているのだけれど、東宮(とうぐう)はまだ幼くていらっしゃるから、あちらは東宮のままにしておいて、私はあなたに帝の位をお(ゆず)りしたいのです」
とおっしゃる。

源氏の君はめまいがなさった。
<帝は秘密を知ってしまわれたのだ>
と恐ろしく思いながらも、()()らぬ顔でおっとりとおっしゃる。
上皇(じょうこう)様は私を特別におかわいがりくださいましたが、それでも私を東宮にとはお考えになりませんでした。そのお考えに(そむ)いて、まさか私が帝の位になどと、どうしてそのようなことがいたせましょうか。上皇様は、私が皇族ではなく貴族の立場で帝にお仕えすることを望まれたのです。そのとおりにお仕え申し上げて、もうしばらくしたら出家(しゅっけ)するつもりでございます」

<あっけなくかわされてしまった>
と帝は残念にお思いになる。
太政大臣になることも源氏の君は辞退なさった。
「それではせめて皇族にお戻りください。帝になることをご遠慮なさるなら、皇族として親王(しんのう)の位だけでも」
とおっしゃるけれど、源氏の君はそれもお断りになる。
<私が皇族に戻ったら、帝の後見(こうけん)をする人がいなくなってしまう。しばらくはこのまま帝をお支えして、後見を任せられる人が出てきてから私は引退しよう>
とお思いになっているの。

<それにしても、亡き入道(にゅうどう)(みや)様はあれほど秘密を守り抜こうとされていたというのに。帝に知られてしまって、恥ずかしくお思いだろう。帝も余計なお悩みを(かか)えられた。いったい誰が秘密を()らしたのだ>
と、あの夜源氏の君を手引きした王命婦をお疑いになる。
すぐにお呼びになって、
「あのことを、少しでも帝のお耳に入れたことがあるか」
とお尋ねになると、
「とんでもございません。たしかに亡き宮様は、絶対に帝に知られてはならぬとお思いの一方で、ご存じないままなのも帝のためにならないのではとお苦しみでした。しかし、はっきりとお決めにはなれないご様子でしたので、私の一存(いちぞん)でお話しすることなどありえません」
と申し上げる。