野いちご源氏物語 一八 松風(まつかぜ)

明石(あかし)(きみ)には頻繁(ひんぱん)にお手紙を送っていらっしゃった。
「姫と一緒に(ひがし)(いん)にいらっしゃい」とお(さそ)いになるのだけれど、女君(おんなぎみ)は気が引けてしまわれる。
源氏(げんじ)(きみ)の周りには、ご身分の高い恋人たちがたくさんいらっしゃる。そういう方たちでさえ、源氏の君のご愛情が頼りなくて悩んでおられるというではないか。たいして大切にもされていない私が、どのような顔でそのなかに入っていけるだろう。『姫君(ひめぎみ)を連れてきたとかいう女は、たかが地方長官の娘か』と馬鹿(ばか)にされ、姫の(はじ)になるだけだ。明石にいれば源氏の君のお越しがなくても当然だけれど、東の院にいるのにめったにお訪ねくださらないとなれば、私は笑い者になるだろう。でも、このまま姫が明石に(とど)まって、源氏の君の姫として十分な扱いを受けられないのは気の毒だ>
とお悩みになって、お誘いをきっぱり断ることはなさらない。
明石の君の両親も悩んでいたわ。

明石の君の母は、実は祖父が皇族でいらっしゃった。
その祖父君(そふぎみ)が都の郊外(こうがい)嵯峨(さが)というあたりに別荘をお持ちだったのだけれど、お亡くなりになった後は、特に誰にも使われていなかったの。
最低限の管理だけをさせている者を都から呼んで、父の入道(にゅうどう)が相談する。
「私は都での出世をあきらめてこのような田舎(いなか)に引っこんだのだが、娘の身に思いがけないことが起きて、もう一度都に屋敷が必要になった。ただ、急に都の中心に出ていくのは気恥ずかしいから、田舎者に似合った静かなところはないかと探していたところ、そなたが管理している(みや)様の別荘を思い出したのだ。必要な資材(しざい)はいくらでも送るから、修理などをして人が住めるように整えてくれないか」

管理人はうろたえて答える。
「別荘のあたりは近ごろは騒がしゅうございますよ。源氏の君が近くにお寺を建設しておられますから、大勢(おおぜい)の大工や職人が出入りしております。静かなところというご希望には合いませんでしょう」
入道は退()かない。
「その源氏の君に関係があって娘を移したいのだ。近い方が都合がよい。内装(ないそう)などはあとでなんとでもなるから、建物だけすぐに修理してほしい」
と言うと、管理人はおずおずと話しはじめた。

「亡き宮様の所有(しょゆう)()ということは重々(じゅうじゅう)承知(しょうち)しておりますが、特に相続(そうぞく)した方もいらっしゃらないようでしたので、実は長年、別荘に付属する田畑を私が使わせていただいておるのです。もちろん、宮様のご子息(しそく)にお願い申し上げて、使用料をお支払いした上で権利をいただいたのでございます。入道様が別荘をお使いになるということは、その権利を取り上げられてしまうということでしょうか」
田畑からはそれなりに利益が出ているらしく、その心配をしているのね。
(ひげ)がもじゃもじゃに()えた顔を赤くして、必死なの。

「いやいや、田畑のことなど気にしておらぬ。今のままそなたが使えばよい。一応私の妻が相続したことになっていて権利(けんり)(しょ)もあるけれど、私は出家(しゅっけ)した身だし、長年放置していたのだから文句は言わぬ。何しろ源氏の君のご命令だから、急いで引っ越しさせなければならないのだ。田畑を使用する権利については、近いうちにきちんと書面(しょめん)にしよう」
と、入道は源氏の君のお名前を繰り返し出した。
管理人は恐くなって、たくさんのご褒美(ほうび)を受けとると(あわ)てて都に戻っていったわ。