野いちご源氏物語 一八 松風(まつかぜ)

源氏(げんじ)(きみ)は、大堰(おおい)(がわ)の別荘にも事務仕事をする家来をお置きになる。
今後修理するべき箇所(かしょ)を指示なさっていたわ。
(かつら)の別荘に行く」と言って二条(にじょう)(いん)を出ていらっしゃったので、桂周辺のご領地(りょうち)の人たちが、源氏の君を探して集まってきたの。
源氏の君はその人たちに命じて、折れた植木(うえき)などを片付けさせなさる。

「倒れてしまっているお庭の石をきちんと立てなおせば、よい風情(ふぜい)になるでしょうね。しかし、ほんのしばらく暮らすだけのお屋敷を完璧に整えるのは、あまりよくありません。出ていきにくくなってしまうからね。私が明石(あかし)を離れるときもそうだった」
とおっしゃって、泣いたり笑ったりなさる。

明石(あかし)(きみ)の母である尼君(あまぎみ)は、こっそりこのご様子を(のぞ)いていらっしゃった。
ご立派でお美しい源氏の君のお姿に、寿命(じゅみょう)が延びるような気がしてほほえんでおられるの。
源氏の君は()(えん)に出ていらっしゃった。
渡り廊下の下を流れる小川のことで、何か指示をしようとしておられる。
くつろいだ格好の源氏の君が尼君のところからはっきりと見えて、
<なんとお美しい>
と感激していらっしゃったわ。

源氏の君は、奥のお部屋に仏像(ぶつぞう)のためのお道具が置いてあることにお気づきになった。
「こちらは尼君のお部屋でしたか。みっともない格好で失礼いたしました」
とおっしゃって、きちんとお着物をお召しになった。
尼君とついたてをはさんでお話しになる。

「姫がここまで元気に育ったのは、きっと尼君が(ほとけ)様にお祈りしてくださったおかげですね。住みなれた明石で仏教(ぶっきょう)修行(しゅぎょう)に集中しておられましたのに、騒がしい都に出てきていただき感謝しております。一方で入道(にゅうどう)殿は明石に残られたとか。おひとりでどのようにお過ごしでしょうか。さぞかし心配なさっているのではと、私も心苦しく思っております」
と、尼君をいたわるように優しくおっしゃるの。

「遠い昔に捨てたはずの都へ戻り、思い乱れておりましたが、そんなふうにおっしゃってくださいますと、長生きした甲斐(かい)があったと嬉しゅうございます。姫君(ひめぎみ)がお育ちになるのに、あのような田舎(いなか)ではもったいないと思っておりました。今はもうご立派な父君(ちちぎみ)のおそばで安心でございますが、それでも母親の身分の低いことが、姫君の(あし)かせになってしまうのではないかと気がかりで」
などと泣きながらおっしゃる。

そのご様子は、さすが(みや)様の孫君(まごぎみ)だけあって上品でいらっしゃるの。
源氏の君が、
「亡き宮様は、このお屋敷でどのようにお暮らしだったのでしょうか」
とお尋ねになると、尼君はなつかしい思い出話をぽつりぽつりとなさる。
整備されたばかりのお庭の小川が、さらさらと楽しそうに流れていく。
「小川の水の方が、私よりもおしゃべりでございますね。私はぽつりぽつりとしかお話しできませんのに」
と苦笑いなさるの。
(ひか)えめで上品な女性でいらっしゃることに、源氏の君は満足しておられたわ。

「小川の水も驚いていることでしょう。若かったあなたが、(あま)姿(すがた)になって戻っていらっしゃったのですから。悲しいことです」
と、立ち上がって外をご覧になる。
尼君は、
<なんというお美しさだ>
とあらためてお思いになった。