野いちご源氏物語 一四 澪標(みおつくし)

 翌年二月、東宮(とうぐう)元服(げんぷく)なさった。まだ十一歳のわりにお体も大きく、大人びた美しさがおありになる。源氏(げんじ)(きみ)にそっくりだから、輝くようなおふたりを世間はほめそやしている。
 入道(にゅうどう)(みや)は気が気でない。
<東宮の本当の父親は源氏の君だと、世間に気づかれるのではないか>
 と心配していらっしゃる。
 (みかど)は東宮の立派な元服姿に安心して、帝の(くらい)をお(ゆず)りになることをお伝えになった。

 その月のうちに東宮が帝に、帝は上皇(じょうこう)におなりになった。この上皇は朱雀(すざく)(いん)とお呼びいたしましょう。新しい東宮には承香殿(しょうきょうでん)女御(にょうご)がお生みになった皇子(みこ)がお立ちになった。
 急なことだったので皇太后(こうたいごう)はあわてふためかれる。
「つまらない身になってしまいましたが、母君(ははぎみ)にゆっくりお目にかかれるようになりましたよ」
 朱雀院は優しくお(なぐさ)めになった。

 新しい帝のもと、内裏(だいり)には新しい風が吹いた。
 人事(じんじ)異動(いどう)が行われて源氏の君は内大臣(ないだいじん)にご出世なさる。
 帝はまだお若い。摂政(せっしょう)という補佐(ほさ)役を置く必要があった。源氏の君は(せん)(てい)の相談役のようなお立場だったから、そのまま摂政におなりになるだろうと世間は思っていた。
 しかし源氏の君は辞退なさる。
「私では力不足でございます。前左大臣(さだいじん)こそふさわしいかと」
 前左大臣というのは源氏の君の亡きご正妻(せいさい)父君(ちちぎみ)。源氏の君が須磨(すま)へ行かれる少し前、右大臣(うだいじん)天下(てんか)になったことに嫌気(いやけ)がさして、政界(せいかい)を引退なさっていた。今は姫君(ひめぎみ)(のこ)した若君をのんびり育てていらっしゃる。

「病気を理由に引退した身でございますし、最近ではいよいよ頭も体も言うことを聞きません。とても摂政のお役目(やくめ)()たせませんでしょう」
 とおっしゃるのを、内裏の貴族たちはなんとか説得しようとする。
「前左大臣はすぐれた政治家でいらっしゃった。病気で一度引退した人でも、いろいろな状況が変われば復帰(ふっき)しても問題はない。外国ではそういう人こそが立派だと言うくらいだ」
 もちろん世間も歓迎(かんげい)している。前左大臣は断りつづけられなくなって、太政(だいじょう)大臣(だいじん)として復帰なさった。太政大臣は貴族の最高(さいこう)(くらい)。お年は六十三歳でいらっしゃる。

 太政大臣はかつての華やぎを取り戻された。政界で冷遇(れいぐう)されていたご子息(しそく)たちも次々と出世なさる。
 源氏の君とお親しい宰相(さいしょう)中将(ちゅうじょう)は、(ごん)中納言(ちゅうなごん)におなりになった。姫君を帝に入内(じゅだい)させようと大切に育てていらっしゃる。
 子だくさんの権中納言を源氏の君はうらやましくお思いになる。もしその姫君が皇子(みこ)をお生みになって、皇子が帝におなりになれば、権中納言は帝の祖父として政治の実権(じっけん)(にぎ)られる。いくら源氏の君でも負けてしまわれるでしょうね。

 源氏の君のお子は、ご正妻(せいさい)(のこ)していかれた若君(わかぎみ)と、明石(あかし)(きみ)のお腹にいるお子。それとこれは絶対に秘密だけれど、帝も源氏の君のお子だった。
 太政大臣家でお育ちの若君は八歳。とてもかわいらしくて、内裏で見習いとして働いていらっしゃる。
 すくすくと成長していかれる様子をご覧になると、祖母の大宮(おおみや)も祖父の太政大臣も、姫君が亡くなったことがあらためてお悲しい。源氏の君が事あるごとにお訪ねになるおかげで救われていらっしゃった。
 若君の乳母(めのと)たちは、源氏の君が都にお戻りになる日を信じて大臣家に仕えつづけていた。源氏の君は感謝して大切になさる。

 それは二条(にじょう)(いん)でも同じだった。特に、須磨(すま)へ行く前までひそかにかわいがっていた女房たちには、あいかわらず優しさをお見せになる。よその女君(おんなぎみ)をお訪ねになる(ひま)はなかった。
<頼る人がいない女君たちが心配だ。一か所に集めてお世話しよう>
 ちょうど二条の院の東隣(ひがしどなり)に、亡き桐壺(きりつぼ)(いん)から相続(そうぞく)なさった屋敷がある。そこを美しく改築(かいちく)して、花散里(はなちるさと)(きみ)のような心細い方たちを集めようと計画していらっしゃる。