野いちご源氏物語 一四 澪標(みおつくし)

 雪や(みぞれ)が降って天候が荒れた日、
姫宮(ひめみや)はさぞかし物思いに(しず)んでいらっしゃるだろう>
 と源氏の君は想像して、手紙をお書きになる。
「この空をどのようにご覧になっていますか。御息所(みやすんどころ)(たましい)はお屋敷の上空(じょうくう)を飛んでいることでしょう」
 くもり空のような色の紙を選び、若い姫宮の目に()まる工夫をして、美しいお手紙になさった。

 姫宮はお返事を書きにくく思われるけれど、女房(にょうぼう)は口々に代筆(だいひつ)ではいけないと言う。仕方なくご自分でお書きになった。よい香りを()きしめた灰色の紙に、(すみ)濃淡(のうたん)が美しい。
「雪も私も今にも消えてなくなってしまいそうですのに、なかなかそうはなりません。心細い世の中を生きつづけることが悲しゅうございます」
 (ひか)えめな書き方で、おっとりとしたご性格が伝わってくる。筆跡(ひっせき)はそれほどではないものの、愛らしい品のよさがある。

 姫宮が伊勢(いせ)神宮(じんぐう)斎宮(さいぐう)として都を出発なさったときから、源氏の君は姫宮のことが気になっていらっしゃった。
<もう母君(ははぎみ)御息所(みやすんどころ)は亡くなったし、ご遺言(ゆいごん)後見(こうけん)(まか)されてもいる。口説いてしまおうか>
 しかし、それよりもおもしろそうな案が浮かんだ。
<御息所はそうなることを心配なさっていた。世間も私が姫宮を恋人にすると思っているようだ。ならば裏をかこう。
 (ごん)中納言(ちゅうなごん)はすでに姫君(ひめぎみ)入内(じゅだい)させ、兵部卿(ひょうぶきょう)(みや)もあとに続くおつもりだ。私もこの姫宮を自分の娘のようにお世話して、(みかど)に入内させてはどうだろう。明石(あかし)の姫はまだ入内させられる年ではない。姫宮を通じて権力争いに加わってやろうではないか>

 それからというもの、源氏の君は姫宮をこれまで以上に丁寧に扱って、必要なときには忠実(ちゅうじつ)な後見役としてお訪ねになった。
「恐れ多いことですが、どうぞ私を御息所の代わりとお思いください。気を遣わない相談相手ほどの扱いをしていただければ幸いに存じます」
 ひどく内気な姫宮は女房を通してしかお話しにならない。さすがに無理(むり)()いはできなくて、女房たちは困っている。

 この女房たちは亡き御息所が厳選(げんせん)してお集めになった人たちだった。立派な家柄(いえがら)の出身で教養のある人たちが多い。もし姫宮が入内なさっても、女房の(しつ)で他のお(きさき)(おと)ることはない。
 問題は姫宮のお美しさ。
<なんとかしてはっきりとご器量(きりょう)を拝見しておきたい>
 こうお思いになるのは、本当に(おや)(ごころ)だけかしら。
 源氏の君としてもご自分のお心に自信がなかった。
<姫宮を自分のものにしたいと思ってしまうかもしれないから、しばらく入内のことは誰にも言わないでおこう>
 と決めて、御息所の法要(ほうよう)を盛大になさる。女房たちはありがたいことだと喜びあっていた。

 月日が過ぎるにつれて、姫宮はますます寂しく心細くなっていかれる。お仕えしていた人たちのなかには他の屋敷に移っていく人もいた。
 屋敷のある六条(ろくじょう)はにぎやかな場所ではない。山の寺から日没(にちぼつ)(かね)が聞こえてくると、姫宮はつい涙をこぼされる。
 母娘(ははむすめ)といってもいろいろな形がある。この姫宮と母御息所は一心(いっしん)同体(どうたい)でいらっしゃった。斎宮(さいぐう)母君(ははぎみ)伊勢(いせ)同行(どうこう)するという、これまでなかったことを無理になさったくらいだもの。
 この世ではいつも一緒だったのに、あの世へは一緒にお行きになれない。姫宮は(なげ)きつづけていらっしゃる。

 姫宮を妻にしたいと言う人はたくさんいた。女房は手引きを頼まれることも多いけれど、源氏の君が厳しくお禁じになる。
「乳母であっても勝手なことをしてはいけない」
 まるで父親のようにおっしゃるから、女房たちは源氏の君に遠慮(えんりょ)する。手引きはもちろん、求婚者と個人的に親しくなることもしない。

 朱雀(すざく)(いん)(みかど)時代に姫宮にお会いになっている。斎宮が伊勢へ出発する儀式(ぎしき)で、姫宮のお(ぐし)(くし)()しておあげになった。
<恐ろしいほど美しい人だった>
 姫宮を忘れられなくて、伊勢から都に戻られた後に御息所におっしゃった。
上皇(じょうこう)御所(ごしょ)でお世話いたしましょう。私の妹宮(いもうとみや)もこちらにいますから、姫宮も同じようにお暮らしなさい」
 御息所は悩まれる。
<朱雀院にはたくさんのお妃がいらっしゃる。承香殿(しょうきょうでん)女御(にょうご)東宮(とうぐう)の母君として別格のお立場だし、尚侍(ないしのかみ)女官(にょかん)でありながらご愛情を一身(いっしん)に集めていると聞く。そんなところへ後見(こうけん)役のいない姫宮が入っていくのは無謀(むぼう)だろう。それに院はご病気がちだから、もし結婚後すぐお亡くなりになれば、姫宮はこの若さで未亡人(みぼうじん)になってしまう>

 このときは御息所のお気持ち次第(しだい)でご結婚も可能だった。しかし今は、後見役どころか母君さえいらっしゃらない。女房たちも(あきら)めている。朱雀院はあいかわらずご執心(しゅうしん)なのだけれど。