野いちご源氏物語 一四 澪標(みおつくし)

 源氏(げんじ)(きみ)は驚いてお訪ねになる。もう恋人関係ではないけれど、風流な手紙のやりとりができる貴重なお相手だと思っていらっしゃったから、ご出家(しゅっけ)は残念だった。
 優しいお見舞いをおっしゃる。御息所はもう出家なさった身なので、ついたて越しに直接返事をなさった。ひどく衰弱(すいじゃく)したご様子だった。
<私の誠意をついにお分かりいただけなかった>
 源氏の君は(くや)しくてお泣きになる。そこまで悲しんでくださるのかと御息所のお心は(ふる)えた。ご遺言(ゆいごん)のようなことをおっしゃる。
「私が死んだら姫宮(ひめみや)はひとりぼっちになってしまいます。どうか世話をしてあげてください。私のような頼りない母親でも、もう少し長く生きられましたら、物事の分別(ふんべつ)がつくまでお世話しようと思っていたのですが」
 消えてしまいそうにか弱くお泣きになる。

「そのようなことをおっしゃらずとも、私が姫宮をお見捨てすることなどありません。できる限り後見(こうけん)させていただきましょう。ご心配なさいますな」
「いいえ、難しいことだと分かっております。たとえ実の父親が健在(けんざい)でも、母親に(さき)()たれた娘は不幸になりやすいものです。ましてあなたにお願いすれば、嫌なことを申しますけれど、姫宮を恋人のひとりになさるのではないかと心配なのです。どうかそれだけはなさいませんように。男女関係の苦労をさせたくないという私の気持ちをお分かりください」
 御息所は必死におっしゃる。 
<ずいぶんはっきりと(くぎ)()されてしまった>
 苦々しく思いながらも源氏の君はお(なぐさ)めになる。
「私もそれなりに苦労をした大人ですよ。いつまでも浮気(うわき)(もの)だとお思いになっては困ります。長生きなさってください。いずれお分かりいただけるはずですから」

 外が暗くなって、部屋に(あか)りがともされた。
 源氏の君がついたての向こうをそっとお(のぞ)きになると、(あま)姿(すがた)の御息所が物に寄りかかって座っていらっしゃる。絵に描いたようなお美しさだった。
 少し離れたところには姫宮がいらっしゃるらしい。よくよく目を()らされると、宮は悲しそうに頬杖(ほおづえ)をおつきになっている。
<美しい。お(ぐし)も顔立ちも上品で()(だか)いが、(あい)くるしい感じもする。手に入れたい。いや、たった今御息所に止められたばかりではないか>
 あわてて思い返される。

「苦しくなってまいりました。恐れ多うございますから、どうぞもうお引き取りくださいませ」
 御息所は女房(にょうぼう)に支えられながら横になられた。
「私がお見舞いに(うかが)って、かえってお疲れになってしまったのでしょうか。どのようなお具合ですか」
 源氏の君はついたての奥を(のぞ)こうとなさる。
「いけません、見苦しい病人の姿をしておりますから。最期(さいご)の最期にお越しいただけたということは、私たちのご(えん)が浅くなかったということでしょう。どうか姫宮をよろしくお願いいたします。胸のうちをお話しできて、これでもういつ死んでも安心でございます」

「私にまでご遺言をいただき、ありがたくはありますが悲しいことです。亡き桐壺(きりつぼ)(いん)は姫宮の親代わりをしていらっしゃいました。私にとって姫宮は妹ということになりますから、大切にお世話させていただきましょう。この年になっても世話する娘がいないことを、ちょうど寂しく思っていたところなのです」
 源氏の君は明石(あかし)姫君(ひめぎみ)の存在をまだ公表していらっしゃらない。それでこんなふうに言ってお帰りになった。それからはたびたびお見舞いをなさる。