野いちご源氏物語 一四 澪標(みおつくし)

「実は明石(あかし)(きみ)も、この住吉(すみよし)大社(たいしゃ)にお参りするつもりで船でお越しになっていたようです。こちらの(さわ)ぎに遠慮(えんりょ)して、お参りを中止し、難波(なんば)の岸の方に船を回されたと聞きました」
 惟光(これみつ)はこっそりお耳に入れる。
<知らなかったとはいえ気の毒なことをした。そもそも明石の君と出会えたのは住吉の神様のおかげだというのに、そのお(れい)(まい)りでつらい思いをさせてしまったとは>
 源氏の君は同情なさる。

 一行はこれから住吉大社を出発して、あちこちの名所(めいしょ)見物(けんぶつ)しながら都に戻る。途中で難波(なんば)にも立ち寄ってお(はら)いをなさる。
「すぐ近くにいるのだから、この身を(ほろ)ぼしてでも会いにいきたいのだが」
 源氏の君の口からついこぼれた(なげ)きを、惟光(これみつ)は聞き(のが)さなかった。携帯(けいたい)用の筆をお渡しする。
 気が()く男だと感心しながら、源氏の君は手持ちの紙に明石の君への手紙をお書きになった。
「こんなところでお会いするとは私たちの(えん)の深さを感じますね。『身を()くしても会いたい』と思っていた甲斐(かい)がありました」

 手紙を読んだ明石の君は船から岸を見やる。源氏の君のお(とも)たちが立派な馬に乗って通りすぎていく。ほんの短い手紙をいただいただけでも、女君(おんなぎみ)はありがたくて涙がこぼれた。
「あなた様に正式に愛していただけるような身分ではありませんのに、私も『身を尽くしても』と思ってしまうのです。本気になってはいけないと分かっていたはずなのに」
 と返事を送る。

 日が暮れていく。
 難波の入江(いりえ)(つる)の美しい鳴き声が(ひび)く。
 源氏の君は明石の君にお会いになりたくてたまらない。しかし、たくさんのお供を連れて、周りから注目されながらの旅行では、ふらりと女君のところへ行くことなどできない。
須磨(すま)明石(あかし)での生活もつらかったが、これもまた苦しい」
 今の華やかなお立場では、かえって明石の君が遠くなったようにお感じになる。

 道中の名所では誰もが楽しそうにしているけれど、源氏の君は明石の君のことしかお考えになれない。よいお客になってくれそうだと遊女(ゆうじょ)たちが集まってきた。上級貴族のなかでも女好きな人たちは、思わず目を()めてしまわれる。
<こういう女たちと、同じものをおもしろいとか悲しいとか思えるだろうか。誰にでもしなだれかかる女など私は相手にしたくないが>
 遊女たちの(かん)(だか)い笑い声が上がった。源氏の君は(まゆ)をひそめていらっしゃる。