野いちご源氏物語 一四 澪標(みおつくし)

こんなふうに、源氏(げんじ)(きみ)(むらさき)(うえ)のご機嫌(きげん)をとることにお忙しい。
もちろん内裏(だいり)でのお仕事もいろいろある。
花散里(はなちるさと)姫君(ひめぎみ)のことは気にかけてはおられたけれど、あちらから急ぎのご用件を言ってくることもなかったから、ずっと訪問していらっしゃらなかった。
梅雨の時期で少しお暇ができたころ、源氏の君はやっとご訪問なさったわ。

訪問はなさらなくても、経済的な支援は続けておられた。
姫君はそれで生活を成り立たせていたし、もともとのご性格もおっとりしておられるから、今どきの若い女性たちのように(うら)んだりすねたりなさらない。
源氏の君にとっては安心できる女君(おんなぎみ)よね。
お屋敷はますます荒れていた。
そんなところに姫君は姉の女御(にょうご)様と寂しく住んでいらっしゃる。
源氏の君はまず女御様にご挨拶(あいさつ)なさって、夜が更けてから花散里の姫君のお部屋の方へ行かれた。

姫君は()(えん)の近くまで出て月を眺めていらっしゃった。
そこへ、月光にぼんやりと照らされながら源氏の君が近づいていらっしゃるの。
気が引けるほど上品なご様子だから、ふつうの姫君ならあわててお部屋のなかに入ってしまってもおかしくない。
でも、この姫君はそんなことをなさらないの。
おっとりとほほえんで源氏の君をお迎えになったわ。

水鶏(くいな)がコンコンと戸を叩くような音で鳴く。
姫君は、
「水鶏が鳴いて知らせてくれたので、縁側(えんがわ)に出て戸を開けてみたら、美しい月が出ておりました。それでこのようなところに座っていたのです。おかげであなたがお越しになったことにも気づけました」
と、穏やかな優しい声でおっしゃる。
<どの女性もそれぞれによいところがあって捨てがたい。私の体はひとつだというのに>
と源氏の君はお思いになる。

「水鶏が鳴いたからと言って誰にでも戸を開いてはいけませんよ。心配だな」
とご冗談をおっしゃるけれど、花散里の姫君は、もちろんそんな女君ではいらっしゃらない。
一途(いちず)に源氏の君が都に戻られる日を待っておられたのだから、源氏の君も大切にお思いになる。
須磨(すま)へご出発なさる前、私に会いにきてくださったことを覚えておられますか。あのときは本当に悲しゅうございました。これ以上つらいことはないと思いましたけれど、都にお戻りになっても私などはつらいままでございますね。まったく来てくださらないのですもの」
とお恨みになる口調が、おっとりとしておかわいらしい。
源氏の君はいつもどおり、あれはどこから出るお言葉なのかしら、優しく優しくおなぐさめになったわ。