野いちご源氏物語 一四 澪標(みおつくし)

明石(あかし)入道(にゅうどう)はいつものように(うれ)し泣きしている。
こういうことがあると、<生きていた甲斐(かい)があった>と思うわよね。
明石(あかし)でも当然お祝いをしていたけれど、やはり源氏(げんじ)(きみ)から祝っていただけるのと、そうでないのとでは大違いだもの。

都から明石へ来た乳母(めのと)は、明石(あかし)(きみ)(なつ)いていた。
想像していた以上に人柄(ひとごら)がご立派でいらっしゃるから、お話し相手をすることで、田舎(いなか)暮らしの寂しさをなぐさめている。
明石の君の女房(にょうぼう)たちはしっかりした人が多いけれど、入道の妻が伝手(つて)を頼って都から呼び寄せた人たちだから、かなり年をとっているの。
明石の君も、同年代の話し相手ができて、ご気分が晴れたでしょうね。

おもしろい世間話はもちろん、都での源氏の君のご様子や、世間からどれほど尊敬されているかなどを、いかにも若い女性同士らしく語り合う。
明石の君はずいぶんと表情が明るくなって、
<そのようなご立派な方のお子を産んで、気遣(きづか)っていただける私は幸せ者だ>
とお思いになるようになっていた。

乳母は女君(おんなぎみ)と一緒にお手紙を拝見して、
<こんなふうに源氏の君から大切にされる人生もあるのか。父親の身分で言えば、この方よりも私の方が上だというのに、私には不運がつきまとっている>
と思ってしまう。
でもお手紙に、
「乳母はしっかり働いていますか。きちんとした生まれ育ちの人です。都から明石へ行って心細いでしょうから、優しくしておやりなさい」
とあるのを見つけると、気にかけていただいていることがありがたくて、心もなぐさめられた。

明石の君はお返事で、
「おめでたいお祝いの日ですが、姫は寂しく過ごしています。私だけでは何もしてあげられません。こうしてたまにいただくお手紙を支えになんとか生きておりますが、それほど長生きできるとも思えませんので、姫の将来が心配でございます。どうかお見捨てにはなりませんように」
と真剣にお願いなさった。

源氏の君は届いたお返事を何度も何度もお読みになって、独り言をおっしゃっている。
(むらさき)(うえ)はそのご様子をちらりとご覧になると、
「お心が明石へ()ぎ出してしまわれた」
と小さなお声でつぶやいて思い沈まれる。
それに気づいた源氏の君は、
「また余計な気を回される。明石という場所を思い出していただけですよ。寂しいところで苦労したものだと独り言を言っただけなのに、あなたは思いもよらない悪い方に考えてしまうのだから」
(うら)(ごと)をおっしゃって、お手紙の(つつ)(がみ)だけをお見せになる。
宛名(あてな)が見事な筆跡(ひっせき)で書かれているの。
都の上流貴族の姫君でもこうは書けないというほどの風格(ふうかく)があった。

紫の上は、
<元地方長官の娘とおっしゃっていたけれど、身分に似合わないほど(すぐ)れた人なのだろう。そういう人だからこそ源氏の君はこれほど気にかけていらっしゃるのだ>
とお思いになる。