天気……今日は一日中、空がどんよりと曇っていて、太陽の光がほとんど差し込まなかった。天気がこのようによくない日には、ぼくの心も晴れ晴れしないので、一日中、うつうつとして過ごしていた。
昨日、アーヤーはうちへ帰ってくるのがとても遅かった。家族みんなが早く晩ご飯を食べたくて、うずうずしている時に、ようやく帰ってきた。
「お父さん、お母さん、相談したいことがあるのだけど、今いいですか」
「いいよ。何だい?」
ぼくはそう答えた。
「名前を変えたいと思っているの」
アーヤーがそう答えた。
「名前を変える?」
妻猫がびっくりして、聞き返した。
アーヤーがうなずいた。
「アーヤーという名前が好きではないの?」
妻猫が、けげんそうな顔をした。
「そうではないけど、もっとかっこいい名前に変えたいの」
アーヤーがそう言った。
「何という名前に変えたいの?」
妻猫が聞いた。
「アリス」
アーヤーがそう答えた。
「アリス?」
「そう、アリス」
「それ、どんな意味?」
「わたしにもよく分からない。でも、アーヤーよりも、アリスのほうが、かっこいいと、友だちが話していた」
アーヤーが、そう言った。
「そうかなあ……、お母さんには、アーヤーのほうが、かわいいように思えるわ。お父さんが、どうして、あなたにアーヤーと名前をつけたのか、知っているの」
妻猫が聞いた。
アーヤーが首を横に振った。アーヤーは本当は知っているのかもしれない。しかし本当のことを言ったら、ぼくの心を傷つけのではないかと思って、わざと知らないふりをしているようにも見えた。
「アーヤーという名前を、お父さんがつけた理由を、ぼくは知っているよ」
サンパオが、横から口を出した。
「アーヤーのアーは『二』という意味だし、ヤ―は『女の子』という意味だからでしょ」
「そうだよ。その通りだよ。二番目に生まれた子どもで、女の子だから、そうつけたのだ」
ぼくは、そう答えた。
するとアーヤーが不満そうな顔をした。
「だから平凡過ぎるのよ」
「そんなこと言うなよ。今風のおしゃれな名前は、確かにかっこいいかもしれないが、名前よりも中身のほうが大事だと、お父さんは思っている。中身のよい人間が、名前のよい人間よりも、ずっとかっこいい」
ぼくは、そう言った。
「お母さんもそう思うわ」
妻猫がぼくの考えに同意した。
「ぼくもアーヤーのことを、アリスなんて呼びたくない」
パントーがそう言った。
「お父さんがつけてくれた名前を変えるなんて、お父さんに失礼だよ」
サンパオは、そう言った。
「分かったわ。家族みんなの反対にあった以上、名前は変えないことにするわ」
アーヤーが渋々、同意した。
一夜明けて、アーヤーは、今朝早く、ご飯も食べないで、うちを出ていった。アイに会いに行ったのだろう。アーヤーは今、アイに夢中になっているので、あの猫はよくないと口をすっぱくして言っても、聞き入れるかどうか分からない。ここは静観するよりほかはない。アーヤーは頭のいい子だから、けっして羽目を外すようなことはしないはずだ。ぼくはそう思っていた。
お昼ごろ、うちの前に見たことのない真っ黒い子猫がいた。妻猫がびっくりして
「お前は誰なの。ここはわたしたちのうちよ。ここへ何しに来たの」
と、声を荒らげた。ぼくもむっとして
「出て行け」
と、どなりつけた。すると、その子猫は泰然自若とした様子で
「お父さん、お母さん、わたしです。アーヤーです」
と言った。よく見ると、まぎれもなく、アーヤーだった。
ぼくは心臓が飛び出るほど、びっくりした。妻猫も卒倒する寸前だった。
「お前は何ということをしたのだ」
ぼくは怒り心頭に発した。
「恥を知りなさい」
日頃、穏やかな妻猫も、この時ばかりは色をなしていた。ぼくと妻猫にひどく叱責されて旗色が悪くなったアーヤーは、すぐには弁解できずに、ぼうぜんとして、しばらくその場に立ちすくんでいるだけだった。
「だって、この世の中で一番、もてはやされている色は黒だと、友だちが言ったから」
しばらくしてから、アーヤーは独り言のように、そう言った。
「何を根拠に、その友だちは、そんな根も葉もないことを言っているのか。利己的で独りよがりの考え方だ。ひとりひとり、毛の色が違っているからこそ、個性があっていいのだ」
ぼくは力説した。
「お母さんも、そう思うわ。お父さんは三毛猫、お母さんは虎猫なので、そのような真っ黒い子猫が生まれるはずがありません。どこでどうやって染めたのか知りませんが、すぐに元の色に戻してきなさい。それまでは、うちの中に入ることを許しません」
妻猫が厳しい目でアーヤーにそう言った。
「分かったわ。元の色に戻せばいいのでしょ?」
「そうだ」
「そのとおりです」
アーヤーは不満そうな顔をしながら、ぼくと妻猫を見ながら、出ていった。
それからしばらくしてから、ぼくの友だちの地包天が、うちへやってきた。地包天は猫ではなくて犬だけど、気が合うので、ぼくの大切な友だちのひとりだ。
「さっき、ここへ来る途中、真っ黒い猫とすれ違ったよ。あいさつはしなかったけど、ぼくのことを知っているのか、何か言いたそうな顔をしていた」
地包天がそう言った。
「ああ、それは、たぶんアーヤーだろう」
ぼくは、そう答えた。
「アーヤー?」
地包天が、けげんそうな顔をしていた。
「だって、黒い猫だったわ」
「友だちに感化されて、黒い色に染めたのだ」
ぼくはそう答えた。
「まあ、何てことを」
地包天があきれていた。
「お前もそう思うだろう」
ぼくがそう聞くと、地包天がうなずいた。
「アーヤーは、ぼくと妻猫に叱られたので、お前にあいさつをする元気もなかったのだと思う」
ぼくはそう答えた。
「アーヤーは頭のいい子だけど、どうして羽目を外すようなことをしたのだろう」
地包天が心配していた。
(何か悪い病に取りつかれて、正常な考え方ができなくなったのではないだろうか)
ぼくはそう思った。犬には狂犬病という病気があるが、猫には狂猫病はない。しかし猫の心を狂わせるような病気があって、うちのアーヤーは、もしかしたら、今、その病にかかっていて、何をするか分からない。池に飛び込んだり、車に飛び込んだり、高い木から飛び降りたり……そう思うと、ぼくは居ても立ってもいられなくなったので、地包天と一緒にアーヤーの後を追いかけていった。
遠くにアーヤーの姿が見えた。アーヤーのすぐ近くにプードル犬のフェイナがいた。アーヤーとフェイナが、ぼくたちに気がついたので、ぼくと地包天は急いで近づいていった。フェイナも、ぼくの友だちだから、ぼくの気持ちをよく理解してくれている。プードル犬のフェイナと、チン犬の地包天も互いに気心が知れたよい友だちである。
フェイナの話を、アーヤーは分からないので、ぼくが通訳して聞かせることにした。
「アーヤー、分かっているの。その色は絶対によくないわ。せっかく、お母さんからもらったきれいな色を、そんな色に染めたらいけません。もっと自分に自信を持ちなさい」
フェイナがそう言った。
「だって、黒が今、一番もてはやされている色だって、友だちが言っていたから」
アーヤーがそう答えていた。
「それは偏見だわ。きれいな色に対するねたみだわ」
フェイナがそう言っていた。
「……」
アーヤーは何も答えなかった。
「アーヤー、この世の中で一番もてはやされるのは色ではなくて、個性だよ。ひとりひとりがみな違った個性を持って、この世に生まれてきているのよ。その個性を最大に発揮することで、周りからもてはやされるのよ」
フェイナがそう言った。
「分かったわ」
アーヤーがうなずいていた。
「個性は心の中から自然と湧き出てくるものなの。色のように、外からははっきりとは見えないけど、色以上にとても大切なもの。アーヤーはアーヤーらしい個性を発揮してちょうだい」
フェイナがそう言った。
「……」
フェイナの話がアーヤーの心の琴線に触れているように感じられた。
「わたしは、いつも自分の個性を意識しているわ。ほかのプードル犬が、わたしのように優雅になろうと思って、歩き方や仕草を真似したけど、個性がないから、形だけの薄っぺらの真似にすぎなかった。そのために、深みがなくて、笑いものになるだけだった」
フェイナがそう言った。
「……」
「アーヤーだって、そうよ。黒が今、もてはやされている色だと言われたからといって、
黒に染めるだけだったら、形だけの薄っぺらの真似に過ぎないわ。深みがなくて、笑いものになるだけだわ」
フェイナの話がアーヤーの心に沁みているように思えた。
「アーヤーの、その色はどう見ても不自然です。自然な色が一番美しいです。分かりますか」
フェイナがアーヤーに言って聞かせていた。
「……」
こんこんとした説教をアーヤーは黙って聞いているだけだった。
「わたしは、あなたのお父さんやお母さんとは、とても仲のよい友だちです。あなたが、突拍子もなく、浅はかな行為をしたことに、お父さんもお母さんも、とても嘆いておられることと思います」
フェイナがそう言った。
「……」
アーヤーはうなだれたまま、フェイナの言葉を聞いていた。
アーヤーとフェイナは、それからまもなく話を終えた。ぼくはフェイナに心から感謝した。
アーヤーはそれからしばらくしてから、目に涙を浮かべながら、湖畔にそって走り出した。自分がした愚かなことに対する悔悟の念が胸にぐっとこみあげてきたのだろうか。ぼくは、そう思いながら、アーヤーのあとから、ついていった。地包天とフェイナも、ぼくのあとからついてきた。アーヤーは湖の周りを、一周回ったあと、湖の中にどぶんと飛び込んだ。
「あっ!」
ぼくはびっくりして、鋭い声を上げた。地包天とフェイナも、びっくりして、色を失っていた。
「アーヤー」
ぼくは、うつろな目をしながら、アーヤーが飛び込んだあたりを見た。
(アーヤーが自殺した)
ぼくはそう思って、頭の中が真っ白になり、思わず涙が出てきた。
湖の上には枯れたハスの葉が浮いているだけで、アーヤーの体はしばらく見えなかった。ぼくがついていながら、アーヤーを自殺させてしまった。そう思うと、後悔の気持ちで胸が苦しくなり、生きてはいられないような気持ちになった。妻猫に申し訳なくて、ぼくもアーヤーのあとに続いて入水しようと思って、湖畔に立った。妻猫やパントーやサンパオのことが一瞬頭によぎった。しかし思いを断ち切って湖に飛び込もうとした。するとその寸前、水の中からアーヤーの頭が上がってくるのが見えた。
「お前、無事だったのか!」
ぼくの涙は嬉し涙に変わった。
水の中から、アーヤーの声が聞こえた。
「お父さん、どうして泣いているの。分かった。わたしが死ぬのではないかと思ったのでしょう」
ぼくはうなずいた。
「わたしが湖に飛び込んだのは、体についた墨を落とすためですよ。死ぬためじゃないわ」
アーヤーが、そう言った。
「そうだったのか。お父さんは、てっきり……」
ぼくは涙で言葉が続かなかった。
「わたしは早まったことはしないわ。心配かけてごめんなさい」
アーヤーが謝った。
アーヤーはそのあと水から上がり、体をぷるぷると振って、体についた水気を落としていた。アーヤーの体についていた墨はきれいに取れて、元の色に戻っていた。
昨日、アーヤーはうちへ帰ってくるのがとても遅かった。家族みんなが早く晩ご飯を食べたくて、うずうずしている時に、ようやく帰ってきた。
「お父さん、お母さん、相談したいことがあるのだけど、今いいですか」
「いいよ。何だい?」
ぼくはそう答えた。
「名前を変えたいと思っているの」
アーヤーがそう答えた。
「名前を変える?」
妻猫がびっくりして、聞き返した。
アーヤーがうなずいた。
「アーヤーという名前が好きではないの?」
妻猫が、けげんそうな顔をした。
「そうではないけど、もっとかっこいい名前に変えたいの」
アーヤーがそう言った。
「何という名前に変えたいの?」
妻猫が聞いた。
「アリス」
アーヤーがそう答えた。
「アリス?」
「そう、アリス」
「それ、どんな意味?」
「わたしにもよく分からない。でも、アーヤーよりも、アリスのほうが、かっこいいと、友だちが話していた」
アーヤーが、そう言った。
「そうかなあ……、お母さんには、アーヤーのほうが、かわいいように思えるわ。お父さんが、どうして、あなたにアーヤーと名前をつけたのか、知っているの」
妻猫が聞いた。
アーヤーが首を横に振った。アーヤーは本当は知っているのかもしれない。しかし本当のことを言ったら、ぼくの心を傷つけのではないかと思って、わざと知らないふりをしているようにも見えた。
「アーヤーという名前を、お父さんがつけた理由を、ぼくは知っているよ」
サンパオが、横から口を出した。
「アーヤーのアーは『二』という意味だし、ヤ―は『女の子』という意味だからでしょ」
「そうだよ。その通りだよ。二番目に生まれた子どもで、女の子だから、そうつけたのだ」
ぼくは、そう答えた。
するとアーヤーが不満そうな顔をした。
「だから平凡過ぎるのよ」
「そんなこと言うなよ。今風のおしゃれな名前は、確かにかっこいいかもしれないが、名前よりも中身のほうが大事だと、お父さんは思っている。中身のよい人間が、名前のよい人間よりも、ずっとかっこいい」
ぼくは、そう言った。
「お母さんもそう思うわ」
妻猫がぼくの考えに同意した。
「ぼくもアーヤーのことを、アリスなんて呼びたくない」
パントーがそう言った。
「お父さんがつけてくれた名前を変えるなんて、お父さんに失礼だよ」
サンパオは、そう言った。
「分かったわ。家族みんなの反対にあった以上、名前は変えないことにするわ」
アーヤーが渋々、同意した。
一夜明けて、アーヤーは、今朝早く、ご飯も食べないで、うちを出ていった。アイに会いに行ったのだろう。アーヤーは今、アイに夢中になっているので、あの猫はよくないと口をすっぱくして言っても、聞き入れるかどうか分からない。ここは静観するよりほかはない。アーヤーは頭のいい子だから、けっして羽目を外すようなことはしないはずだ。ぼくはそう思っていた。
お昼ごろ、うちの前に見たことのない真っ黒い子猫がいた。妻猫がびっくりして
「お前は誰なの。ここはわたしたちのうちよ。ここへ何しに来たの」
と、声を荒らげた。ぼくもむっとして
「出て行け」
と、どなりつけた。すると、その子猫は泰然自若とした様子で
「お父さん、お母さん、わたしです。アーヤーです」
と言った。よく見ると、まぎれもなく、アーヤーだった。
ぼくは心臓が飛び出るほど、びっくりした。妻猫も卒倒する寸前だった。
「お前は何ということをしたのだ」
ぼくは怒り心頭に発した。
「恥を知りなさい」
日頃、穏やかな妻猫も、この時ばかりは色をなしていた。ぼくと妻猫にひどく叱責されて旗色が悪くなったアーヤーは、すぐには弁解できずに、ぼうぜんとして、しばらくその場に立ちすくんでいるだけだった。
「だって、この世の中で一番、もてはやされている色は黒だと、友だちが言ったから」
しばらくしてから、アーヤーは独り言のように、そう言った。
「何を根拠に、その友だちは、そんな根も葉もないことを言っているのか。利己的で独りよがりの考え方だ。ひとりひとり、毛の色が違っているからこそ、個性があっていいのだ」
ぼくは力説した。
「お母さんも、そう思うわ。お父さんは三毛猫、お母さんは虎猫なので、そのような真っ黒い子猫が生まれるはずがありません。どこでどうやって染めたのか知りませんが、すぐに元の色に戻してきなさい。それまでは、うちの中に入ることを許しません」
妻猫が厳しい目でアーヤーにそう言った。
「分かったわ。元の色に戻せばいいのでしょ?」
「そうだ」
「そのとおりです」
アーヤーは不満そうな顔をしながら、ぼくと妻猫を見ながら、出ていった。
それからしばらくしてから、ぼくの友だちの地包天が、うちへやってきた。地包天は猫ではなくて犬だけど、気が合うので、ぼくの大切な友だちのひとりだ。
「さっき、ここへ来る途中、真っ黒い猫とすれ違ったよ。あいさつはしなかったけど、ぼくのことを知っているのか、何か言いたそうな顔をしていた」
地包天がそう言った。
「ああ、それは、たぶんアーヤーだろう」
ぼくは、そう答えた。
「アーヤー?」
地包天が、けげんそうな顔をしていた。
「だって、黒い猫だったわ」
「友だちに感化されて、黒い色に染めたのだ」
ぼくはそう答えた。
「まあ、何てことを」
地包天があきれていた。
「お前もそう思うだろう」
ぼくがそう聞くと、地包天がうなずいた。
「アーヤーは、ぼくと妻猫に叱られたので、お前にあいさつをする元気もなかったのだと思う」
ぼくはそう答えた。
「アーヤーは頭のいい子だけど、どうして羽目を外すようなことをしたのだろう」
地包天が心配していた。
(何か悪い病に取りつかれて、正常な考え方ができなくなったのではないだろうか)
ぼくはそう思った。犬には狂犬病という病気があるが、猫には狂猫病はない。しかし猫の心を狂わせるような病気があって、うちのアーヤーは、もしかしたら、今、その病にかかっていて、何をするか分からない。池に飛び込んだり、車に飛び込んだり、高い木から飛び降りたり……そう思うと、ぼくは居ても立ってもいられなくなったので、地包天と一緒にアーヤーの後を追いかけていった。
遠くにアーヤーの姿が見えた。アーヤーのすぐ近くにプードル犬のフェイナがいた。アーヤーとフェイナが、ぼくたちに気がついたので、ぼくと地包天は急いで近づいていった。フェイナも、ぼくの友だちだから、ぼくの気持ちをよく理解してくれている。プードル犬のフェイナと、チン犬の地包天も互いに気心が知れたよい友だちである。
フェイナの話を、アーヤーは分からないので、ぼくが通訳して聞かせることにした。
「アーヤー、分かっているの。その色は絶対によくないわ。せっかく、お母さんからもらったきれいな色を、そんな色に染めたらいけません。もっと自分に自信を持ちなさい」
フェイナがそう言った。
「だって、黒が今、一番もてはやされている色だって、友だちが言っていたから」
アーヤーがそう答えていた。
「それは偏見だわ。きれいな色に対するねたみだわ」
フェイナがそう言っていた。
「……」
アーヤーは何も答えなかった。
「アーヤー、この世の中で一番もてはやされるのは色ではなくて、個性だよ。ひとりひとりがみな違った個性を持って、この世に生まれてきているのよ。その個性を最大に発揮することで、周りからもてはやされるのよ」
フェイナがそう言った。
「分かったわ」
アーヤーがうなずいていた。
「個性は心の中から自然と湧き出てくるものなの。色のように、外からははっきりとは見えないけど、色以上にとても大切なもの。アーヤーはアーヤーらしい個性を発揮してちょうだい」
フェイナがそう言った。
「……」
フェイナの話がアーヤーの心の琴線に触れているように感じられた。
「わたしは、いつも自分の個性を意識しているわ。ほかのプードル犬が、わたしのように優雅になろうと思って、歩き方や仕草を真似したけど、個性がないから、形だけの薄っぺらの真似にすぎなかった。そのために、深みがなくて、笑いものになるだけだった」
フェイナがそう言った。
「……」
「アーヤーだって、そうよ。黒が今、もてはやされている色だと言われたからといって、
黒に染めるだけだったら、形だけの薄っぺらの真似に過ぎないわ。深みがなくて、笑いものになるだけだわ」
フェイナの話がアーヤーの心に沁みているように思えた。
「アーヤーの、その色はどう見ても不自然です。自然な色が一番美しいです。分かりますか」
フェイナがアーヤーに言って聞かせていた。
「……」
こんこんとした説教をアーヤーは黙って聞いているだけだった。
「わたしは、あなたのお父さんやお母さんとは、とても仲のよい友だちです。あなたが、突拍子もなく、浅はかな行為をしたことに、お父さんもお母さんも、とても嘆いておられることと思います」
フェイナがそう言った。
「……」
アーヤーはうなだれたまま、フェイナの言葉を聞いていた。
アーヤーとフェイナは、それからまもなく話を終えた。ぼくはフェイナに心から感謝した。
アーヤーはそれからしばらくしてから、目に涙を浮かべながら、湖畔にそって走り出した。自分がした愚かなことに対する悔悟の念が胸にぐっとこみあげてきたのだろうか。ぼくは、そう思いながら、アーヤーのあとから、ついていった。地包天とフェイナも、ぼくのあとからついてきた。アーヤーは湖の周りを、一周回ったあと、湖の中にどぶんと飛び込んだ。
「あっ!」
ぼくはびっくりして、鋭い声を上げた。地包天とフェイナも、びっくりして、色を失っていた。
「アーヤー」
ぼくは、うつろな目をしながら、アーヤーが飛び込んだあたりを見た。
(アーヤーが自殺した)
ぼくはそう思って、頭の中が真っ白になり、思わず涙が出てきた。
湖の上には枯れたハスの葉が浮いているだけで、アーヤーの体はしばらく見えなかった。ぼくがついていながら、アーヤーを自殺させてしまった。そう思うと、後悔の気持ちで胸が苦しくなり、生きてはいられないような気持ちになった。妻猫に申し訳なくて、ぼくもアーヤーのあとに続いて入水しようと思って、湖畔に立った。妻猫やパントーやサンパオのことが一瞬頭によぎった。しかし思いを断ち切って湖に飛び込もうとした。するとその寸前、水の中からアーヤーの頭が上がってくるのが見えた。
「お前、無事だったのか!」
ぼくの涙は嬉し涙に変わった。
水の中から、アーヤーの声が聞こえた。
「お父さん、どうして泣いているの。分かった。わたしが死ぬのではないかと思ったのでしょう」
ぼくはうなずいた。
「わたしが湖に飛び込んだのは、体についた墨を落とすためですよ。死ぬためじゃないわ」
アーヤーが、そう言った。
「そうだったのか。お父さんは、てっきり……」
ぼくは涙で言葉が続かなかった。
「わたしは早まったことはしないわ。心配かけてごめんなさい」
アーヤーが謝った。
アーヤーはそのあと水から上がり、体をぷるぷると振って、体についた水気を落としていた。アーヤーの体についていた墨はきれいに取れて、元の色に戻っていた。

