天気……秋晴れのよい天気で、雲一つない空はまるでトルコ石のように青く澄んでいる。時折、強い風が吹いて、木犀の花を吹き散らし、オレンジ色や白い小花がたくさん地面に落ちている。

翌朝、ぼくたちは、昨日と同じように、この公園のシンボルツリーである大きな木犀の木の下でフーテンとナンクセーを待っていた。七時ごろ、フーテンとナンクセーは連れ立ってやってきた。
「昨日、黒狐がうちへ帰ってきたあと、これまでとはがらりと違っていることに、わたしも気がつきました。まるで英雄にでもなったように自信にあふれた表情をしていました」
ナンクセーがそう言った。それを聞いて、フーテンがうなずいた。
「黒狐は足に障害があることで劣等感を抱いていたのか、これまではずっと暗い顔をしていた。ところが、あの自信にあふれた変わりようは一体何なのだろう」
フーテンがそう言った。
「昨日、黒狐が指定された場所へ行っている途中で、あなたたちの後ろ姿を見て、もしかしたら、自分は以前は災害救助犬として活躍していて、みんなから立派な犬だと思われていたことを思い出したのかもしれない」
ナンクセーがそう言った。ぼくはうなずいた。
「今は活躍できていない自分を恥ずかしく思って、合わせる顔がなくて、会わないで、途中で引き返してきたのかもしれない」
ナンクセーがさらにそう言った。
「だとすれば、やはり黒狐は黒騎士だということになるのではないかな」
フーテンがそう答えた。
「いや、ぼくはそうは思わない。黒騎士だったら、救助活動中に怪我をした自分を誇りに思っているはずだ。障害を負っても卑屈になることはない」
ぼくはそう言った。
「お父さん、ぼくもそう思うよ。黒騎士は体も心も立派な犬だから、足に障害を負ったことで劣等感を抱くようなことはないよ」
サンパオがぼくの意見に同意した。
「でも、もし黒狐が黒騎士だったら、あなたたちは、どうするつもりですか」
ナンクセーが聞いた。
「黒狐と一緒に人のために役に立つことをしようと思っています」
サンパオがそう答えた。
「それはできないわ」
ナンクセーが首を横に振った。
「どうしてですか」
サンパオが聞き返した。
「黒狐は今は何もしていないし、時々、この湖畔の周りを散歩するだけだから」
ナンクセーがそう答えた。
「そうですか。だったら黒狐は黒騎士ではないということになる。黒騎士だったら、障害を負って救助活動ができなくなっても、何か自分にできることを見つけて人のために役に立つことをしようとするはずです」
ぼくはそう言った。
「そうか。黒騎士はそんなに偉い犬なのか」
フーテンが聞いた。
「そうです。とても偉い犬です」
ぼくはそう答えた。
「黒狐はそんなに偉い犬には少しも見えない」
フーテンがそう言った。ナンクセーがうなずいた。
「黒狐は黒騎士とは別の犬だと思う。しかしどちらも同じ黒いラブラドル・レトリバー犬だし、どちらも後ろ足に障害があるので、黒狐が黒騎士と間違われたことが、これまで何度もあったかもしれない。そのたびに黒狐は黒騎士との違いを感じてこれまで卑屈になっていた。しかしそれでは楽しくないし、まわりからも一目置かれないので、これからは黒騎士のふりをして威風堂々としていよう。そのように思いを変えたのではないのかな」
ぼくは自分の考えを述べた。あくまでも、ぼくの憶測に過ぎないが、その可能性も否定できないと、ぼくは思ったからだ。
「黒狐が、豹変して、急に英雄的な態度を取るようになったのは、ぼくたちをだまして一目置かれるためなの」
サンパオが聞いた。
「そうかもしれない」
ぼくはそう答えた。
「もしそうだとすれば、黒狐は何て悪い犬でしょう」
サンパオがため息をついた。
「でも黒狐が黒騎士になりきって自分に自信をもって、これから英雄的な行為をしてくれたら悪くはないと、父さんは思っている」
ぼくはそう答えた。
「わたしもそう思います」
ナンクセーがそう答えた。
「黒狐は謎の多い犬だから真意を探りにくいところがある。しかし黒騎士のふりをしてだますのはよくないな」
フーテンがそう答えた。
「黒狐が黒騎士ではないことは大体、分かったよ。でも、もしかしたら少しは可能性があるかもしれないから、この目で確かめてみたい」
サンパオがそう言った。
「その必要はないよ。黒狐と呼ばれているのは、狐のようにだますからだ。だまされてはいけない」
ぼくはサンパオを戒めた。
サンパオは渋々、ぼくの考えに同意した。
ぼくたちはそれからまもなく、フーテンやナンクセーと別れて、湖のそばから離れることにした。白鳥が優雅に羽を休めている湖や、湖畔に建ち並んでいる美しい別荘や、別荘の庭や湖畔からただよってくる木犀のにおいに、ぼくたちは名残りを惜しみながら、公園に帰っていった。老いらくさんもスイカボールの中で体を丸くして転がりながらついてきた。
ぼくたちはこれまで老いらくさんの子孫たちがもたらしてくれた情報をもとに、南の郊外にも東の郊外にも、北の郊外にも黒騎士を探しに行った。でも結局、見つけることができなかった。残るのは西の郊外だけとなった。もし西の郊外でも黒騎士を見つけることができなかったら、ぼくたちの旅は徒労に終わったことになる。それを思うと少し虚しさを感じた。しかしまだあきらめないで、これから西の郊外に向けて旅を続けることにした。
しばらく歩いていると、目の前には田畑が広がっている農村地帯が見えてきた。稲刈りはすでに終わっていて、稲穂を刈り取ったあとの稲わらが、田んぼのあちこちに積み重ねられていて小山のように点在していた。稲わらの高さは二メートルぐらい。下の方が広くて、ふわりと広がっていて、舞踏会で女の人がはくスカートのように見えた。稲わらの中は柔らかくて暖かいので、サンパオは時々道を外れて田んぼの中に入って稲わらの中で楽しそうに遊んでいた。サンパオが遊んでいるあいだ、ぼくは老いらくさんと話をしながらサンパオが戻ってくるのを待っていた。
「笑い猫、これから西の郊外に黒騎士を探しに行くが、たとえそこでも黒騎士に出会えなかったとしてもがっかりすることはないよ」
老いらくさんが意外なことを言った。
「どうしてですか」
ぼくはけげんに思って聞き返した。
「今回の旅で、サンパオはいろいろな猫や犬と出会って、たくさんのことを知って、勉強になったからだ」
老いらくさんがそう答えた。
「そうですね。『井の中の蛙』と言いますから、世の中には、いろいろな猫や犬がいて、性格もいろいろだし、悪い猫や犬がいることも分かってよかったと思います」
ぼくはそう答えた。
「お前やわしが、サンパオについてきてよかったよ。もしサンパオをひとりで行かせていたら、黒騎士のふりをした悪い犬にだまされていたかもしれないよ」
老いらくさんがそう言った。心当たりがあったので、ぼくはうなずいた。
「今回の旅のなかで、サンパオは、心から信頼できる友だちとまだ出会えていません。黒騎士を探すための旅ですが、黒騎士以外にも、いい猫や、いい犬がいたら友だちになってほしいと、ぼくは思っています」
ぼくはそう答えた。
「わしもそう願っている。わしにはお前のようないい友だちがいる。わしは視野や見聞が広いし、経験も豊富だから、わしと付き合うことはお前にとっても有意義なのではないか」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。ありがとうございます」
ぼくはそう答えた。
それからしばらくしてから、サンパオが田んぼの中から戻ってくるのが見えたので、ぼくは老いらくさんとの会話をやめた。
「あれっ、お父さん見て。あそこに犬がいる」
サンパオがそう言った。
サンパオの視線の先に茶色いコリー犬がいるのが見えた。その犬は田んぼのあぜ道に立っている木の下で、瞑想にふけっているような顔をしながら、うつろな目をしていた。
(どうしたのだろう。元気がなさそうに見える)
ぼくは気になったので、サンパオと一緒にコリー犬の近くまで行ってみることにした。老いらくさんもついてきた。
「こんにちは!」
ぼくは犬の言葉でコリー犬に話しかけた。
「お前は猫なのに犬の言葉が話せるのか」
コリー犬がけげんそうな顔をしていた。ぼくは、にっこり、うなずいた。
「お前は笑うこともできるのか」
コリー犬は目を丸くしながら、ぼくの顔をじっと見ていた。
「ぼくは笑い猫と呼ばれています」
「そうか。笑い猫か。おれはヒマリーだ」
コリー犬がそう答えた。
「ヒマリーさん、ここで何をしているのですか」
ぼくはヒマリーに聞いた。
「何もしていないよ。ぼーっとしているだけだ」
ヒマリーがそう答えた。
「元気そうに見えませんが、どこか体の具合でも悪いのですか」
ぼくは気遣って、そう聞いた。
「体に特に悪いところはない。心がいつも、もやもやしていて、すっきりしないだけだ」
ヒマリーがそう答えた。
「どうしてなのでしょう」
ぼくは心配そうな声で聞いた。
「今まで盲導犬として一生懸命働いてきたが、今は何もしていないので、退屈で仕方がない。ひまだ」
ヒマリーがそう言ったので、ヒマリーが元気がないわけが少し分かってきたような気がした。
「盲導犬ですか?」
ぼくはヒマリーに聞き返した。
「そうだ。盲導犬だ。知っているか」
ヒマリーが聞いた。
「一度、町で見かけたことがあります。でも毎日どんな仕事をしているのか、よく知りません」
ぼくはそう答えた。
「興味があったら、一度見に連れていってやろうか」
ヒマリーが聞いた。
「いいですね。とても興味があります。ぜひ連れて行ってください」
ぼくはそう答えた。
ヒマリーが盲導犬をしていたことをサンパオに伝えると、サンパオもとても興味深そうな顔をしていた。
「分かった。ではおれはこれから、おれの後任として働いている盲導犬と会って話をつけてくる。明日の朝、ここで待っていてくれないか」
ヒマリーがそう言った。
「分かりました。楽しみにしています」
ぼくはそう答えた。それからまもなくヒマリーはどこかへ去っていった。