天気……中秋節が近づいてきた。月はだんだん丸みを帯びてきて、こうこうとした柔らかい光が静かに降り注いでいた。木犀の花が咲き、かぐわしいにおいがあちこちでしている。

今朝早く、ぼくたちは北の郊外のはずれにある湖のほとりに行った。湖面にはたくさんの白鳥が浮かんでいた。秋になると、北国から白鳥が飛来して羽を休めるところなので、白鳥の湖と呼ばれているそうだ。湖畔には別荘がたくさん建ち並んでいて、三角形をした赤い屋根が朝の光に美しく照り映えていた。どの別荘の前にも手入れの行き届いた庭があって、庭に植えられている木犀の木の花が今、ちょうど見ごろを迎えていた。木犀には金木犀と銀木犀があり、オレンジ色の小花が金木犀、白い小花が銀木犀だ。どちらも中秋節の前後に独特の芳香を放ち始め、一週間ほど辺り全体に木犀のかおりが、ぷんぷんしている。木犀のにおいは、ぼくが一番好きなにおいだ。
「きれいな家がたくさん並んでいるね」
別荘の美しさにサンパオが感心していた。
「そうだね。こんなにきれいな家で飼われているペットはしあわせだろうね」
ぼくはそう答えた。
「黒騎士はどの家にいるのかな」
サンパオがそう言いながら、辺りを見回していた。
「どこにいるのか、父さんにも見当がつかない。でもとりあえず、湖の周りを回ってみよう。何か手がかりが得られるかもしれないから」
ぼくはそう答えた。
「そうだね。犬がいたら、ぼくたちを見て吠えるかもしれないからね」
サンパオがそう言った。
ぼくとサンパオは、それからまもなく湖畔に沿って散歩を始めた。老いらくさんもスイカボールに入ったまま気持ちよさそうに転がりながら、ぼくたちの後からついてきた。
しばらく歩いていると、向こうから白いシャム猫が一匹やってきた。
「こんにちは。いい天気ですね」
ぼくはシャム猫にあいさつをした。するとシャム猫は、ぼくとサンパオの顔を交互に見ながら
「見かけない顔だが、お前たちは、どこから来たのか。この辺りの猫じゃないだろう」
と聞いた。
「そうです。ぼくたちは、さっきここへ来たばかりです」
ぼくはそう答えた。
「名前は何と言うのか」
シャム猫が聞いた。
「笑い猫と言います」
ぼくはそう答えた。
「笑い猫?」
シャム猫が聞き返した。
「そうです。笑い猫です。笑うことができるので、そう呼ばれています」
ぼくはそう答えて、笑ってみせた。するとシャム猫が、目を丸くしていた。
「お前は化け猫か」
「化け猫ではありません。普通の猫です」
ぼくはそう答えた。
「そばにいるのはお前の子どもか」
シャム猫が聞いた。
「そうです。ぼくの子どもです。サンパオと言います」
「そうか。わしはフーテンだ」
シャム猫がそう言った。
「フーテンですか」
ぼくがそう言うと、シャム猫がうなずいた。
「お前たちは、花のにおいをかぎに来たのか、それとも白鳥を見に来たのか」
フーテンが聞いた。
「どちらでもありません。会いたい犬がいるので、ここにいないか探しにきたのです」
ぼくはそう答えた。
「そうか。この辺りには犬がたくさんいるからな」
フーテンがそう言った。
「この辺りにはきれいな家がたくさんあるし、景色もきれいだから、ここで飼われている犬や猫はしあわせだろうなあと、さっきから、ずっと思っていました」
ぼくは、うらやましそうな声で、そう言った。
「そうか。おれは飼い猫ではなくて野良猫だから、飼い猫の気持ちは分からない」
フーテンが素っ気なく、そう答えた。
「そうですか。でもここはとてもいいところだから、ここを拠点にして、あちこち自由に動いているのでしょう」
ぼくはフーテンに聞いた。
「そうだ。お前たちは、日ごろ、どこに住んでいるのだ」
フーテンが聞き返した。
「ぼくたちは翠湖公園に住んでいます。ここと違って、白鳥はいませんが、翠湖公園もとてもきれいな公園です。来たことがありますか」
「いいや、まだ行ったことはない」
フーテンがそう答えた。
「そうですか。ではいつかぜひ来てください。案内します」
ぼくはそう言った。
「ありがとう」
フーテンがそう答えた。
「おまえはさっき会いたい犬がいるので、ここにいないか探しに来たと言ったが、どんな犬を探しているのだ」
フーテンが聞いた。
「黒いラブラドル・レトリバー犬です」
ぼくはそう答えた。
「黒いラブラドル・レトリバー犬?」
「そうです。黒いラブラドル・レトリバー犬です」
「体に何か特徴はあるか」
「足に障害があります」
「前足か、後ろ足か」
「後ろ足です」
フーテンはしばらく考えていた。
「あっ、思い出した。そういう犬が確かに、この近くにいる。見たことがある」
フーテンがそう言ったので、ぼくはサンパオと顔を合わせて、思わず、にんまりした。
「どの家ですか」
ぼくは間髪を入れずに、すぐに聞き返した。
「ここからまっすぐ五十メートルほど行ったところの右側の家だ」
フーテンがそう答えた。
それを聞いて、ぼくとサンパオは今すぐにでも行ってみたくなった。
「黒騎士に早く会いたいなあ」
サンパオがそう言った。
「黒騎士?」
フーテンがけげんそうな顔をした。
「そうです。黒騎士です」
ぼくはそう答えた。フーテンが首を横に振った。
「その犬は黒騎士ではなくて黒狐だ」
フーテンがそう言った。それを聞いて、ぼくは(えっ)と思った。名前が違っていたからだ。でも新しい飼い主が名前を変えたのかもしれないと思って、黒騎士である可能性を否定しないことにした。
「その犬はどんな性格の犬ですか」
ぼくはフーテンに聞いた。
「おれは野良猫だから、その犬のことについて詳しくは知らない。黒狐が飼われている別荘にはペルシャ猫も飼われているので、ペルシャ猫に聞いたら分かるかもしれない」
フーテンがそう答えた。
「そうですか。その猫と連絡を取ることはできますか」
ぼくはフーテンに聞いた。
「できる。おれはその猫と友だちだから」
フーテンがそう答えた。
「よかった。ではその猫と連絡を取ってください」
ぼくはフーテンにお願いした。
「いいだろう」
フーテンがそう答えた。
「その猫が住んでいる別荘にこれから行って、連れてくるよ。どこで待ち合わせようか」
フーテンが聞いた。
「ぼくたちはここに来たばかりだから、どこに何があるかよく分かりません。待ち合わせの場所として、分かりやすいところがあったら教えてください」
ぼくがそう言うと、フーテンは少し先に見える白い塔を指さして
「あそこの下で会おう」
と言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えた。
それからまもなくぼくたちはフーテンといったん別れた。フーテンの後ろ姿が小さくなってから、ぼくたちは再び湖畔に沿って散歩を続けた。
二十分ほど歩いて、フーテンと会う約束をした白い塔の下まで来た。ぼくとサンパオは、そこでしばらくフーテンを待つことにした。老いらくさんも、ぼくたちの後からスイカボールの中に入ったまま、転がりながらついてきた。塔の下まで来ると、老いらくさんは塔の周りをぐるぐる回り始めた。サンパオはそれを見て、スイカボールを追いかけるように、自分もくるくる回って楽しそうに遊んでいた。
小一時間ほど待ったとき、遠くにフーテンの姿が見えた。フーテンのそばには白いペルシャ猫がいた。
(あの猫がラブラドル・レトリバー犬と一緒に飼われている猫だろうか)
ぼくはそう思いながら、フーテンたちが近づいてくるのを見ていた。
塔の前まで来るとフーテンが
「やあ、待たせたな」
と言った。
「この猫が黒狐と同じ家で飼われている猫だ。ナンクセーと呼ばれているメス猫で、その名の通り、ほかのものの欠点を探し出して難癖をつけることが好きな猫だ」
フーテンがそう言った。
「フーテンから聞きましたが、あなたは笑うことができる猫だそうですね」
ナンクセーと呼ばれているペルシャ猫が、ぼくの顔をじろじろ見ながら聞いた。
「そうです。ぼくには笑うことができるという特技があります」
ぼくはそう答えてから、あいさつ代わりに笑って見せた。ぼくの笑い顔を見て、ナンクセーがびっくり仰天していた。
「すごいですね。笑える猫がいるとは思ってもいませんでした。たいしたものです」
ナンクセーがそう言った。しかしそのあと、ナンクセーは名にたがわぬことを言った。
「あなたの笑い顔はすばらしい。だからと言って、あなたが魅力的な猫だとは少しも思いません」
それを聞いて、ぼくは少しかちっときた。でも怒らないで軽く聞き流すことにした。ほかのものに自分よりも優れているところがあれば素直にほめるのではなくて、欠点を探し出して難癖をつけようとするものがいる。ナンクセーもそういった類の猫だと思ったからだ。
ナンクセーは、ぼくのすぐ近くまで体を寄せてくると、ぼくの体をじっと見ていた。
「毛の中に隠れていて、外からはよく見えませんが、あなたの体には、いぼがあるかもしれません」
ナンクセーが、そう言った。
「そんなものはありません」
ぼくは強く否定した。
「そうだよ。お父さんの体に、いぼなんか絶対にありません」
サンパオがぼくに援護射撃を送ってくれた。
「あなたたちはそう思うかもしれませんが、息を吹きかけて毛を逆立てたら、いぼがあるかないか、はっきりします」
ナンクセーはそう言うが早いか、口を大きくふくらませて息をいっぱい吸い込んで、ぼくの体に息をさーっと吹きかけた。ぼくの毛は逆立ち、皮膚があらわになった。
「ほらここに、いぼがあるではありませんか」
ナンクセーが勝ち誇ったような顔をしてそう言った。それを聞いて、サンパオが目を凝らして、ぼくの皮膚をじっと観察していた。確かに目に見えるか見えないぐらいの小さな吹き出物があったらしく、それに気がついたサンパオが不快そうな顔をして
「こんな出来物なんか、だれにでもあります。こんなことでお父さんにケチをつけるなんて、素直ではありません」
と言った。
『毛を吹いて疵(きず)を求める』ということわざがあるが、ナンクセーがしていることは、まさにその通りだと、ぼくは思った。だれにでも欠点はあるので、欠点を取り上げて、いちいち目くじらを立てるのではなくて、相手の優れている点に一目置いて相手を立てる行為をすべきだと、ぼくは常日頃思っている。サンパオにも、そう言い聞かせている。重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをしているナンクセーが、ぼくはどうしても好きになれなかった。しかし今はじっと我慢するしかないと、ぼくは思った。黒騎士に関する有力な情報をナンクセーから聞きださなければならないからだ。
「さっきフーテンから聞きましたが、ラブラドル・レトリバー犬と一緒に暮らしているそうですね」
ぼくがそう聞くと、ナンクセーがうなずいた。
「黒狐のことですか?」
「そうです。その黒狐のことについて詳しく教えていただけないでしょうか」
「いいでしょう。どんなことを知りたいのですか」
ナンクセーが聞き返した。
「その犬はいつごろから飼われているのですか」
ぼくは聞いた。
「わたしが来たあとです。以前はあの犬は別のところで飼われていたらしいです。足が不自由になって捨てられていたところを、今の飼い主さんが拾ってきて飼っています」
ナンクセーがそう答えた。
「そうですか。黒狐はどんな性格の犬ですか」
ぼくは聞いた。
「狐のようにずる賢いところがある犬です。それで飼い主さんが黒狐と呼ぶようになりました」
ナンクセーがそう答えた。
「そうですか」
ぼくは相づちを打った。
ナンクセーの話を聞いたあと、その犬は、ぼくたちが探している黒騎士ではないかもしれないと思った。黒騎士なら、けっしてずる賢いことをする犬ではないからだ。
「黒狐は足が不自由だそうですが、そうなった理由を知っていますか」
ぼくはナンクセーに聞いた。
「いいえ、知りません」
ナンクセーが首を横に振った。
「あの犬は秘め事が多くて、足が不自由になった理由を、ほかの犬にも話さないようです」
ナンクセーがそう言った。
「そうですか。どうしてでしょうね。心を開いて何でも話せるような友だちはいないのでしょうか」
ぼくはそう聞いた。
「さあ、どうでしょう」
ナンクセーが首をかしげていた。
「黒狐と一緒に住んでいるあなたは黒狐と友だちになることはできないのですか」
ぼくは聞いた。
「犬の言葉が話せないのに、どうして犬と友だちになることができますか」
ナンクセーが口をとがらせた。
「そうだね」
ぼくはうなずいた。
「あなたたちは黒騎士という犬を探しているそうですが、その犬を探してどうするのですか。犬の言葉が分かるのですか」
ナンクセーが聞いた。
「分かります。ぼくは犬の言葉が分かります」
「えっ、そうですか。信じられない。猫なのにたいしたものですね」
ナンクセーが感嘆の声を上げた。
「あなたたちが探している黒騎士はどんな犬ですか」
ナンクセーがさらに聞いた。
「四川大地震が起きた時、災害救助犬として活躍した犬です。足に障害を負ってから、どこかへ行ってしまいました」
ぼくはそう答えた。
「そうですか。たいした犬ですね。黒狐は、そんな英雄犬には少しも見えません。でも障害を負ってから、性格が変わったと考えられないこともありません。もしあなたたちが黒狐に会って黒騎士かどうか確かめてみたいと思うのでしたら、会うための段取りを、わたしがつけてやりましょう」
ナンクセーがそう言った。
「そうですか。お願いします。黒騎士かどうかこの目で確かめてみたいですから」
ぼくはそう答えた。
「分かりました。黒狐は散歩を自由にすることが飼い主から許されています。毎日散歩に出る習慣があるので、あとでフーテンに、黒狐と会う場所と時間を伝えます」
ナンクセーがそう言った。
「分かりました。よろしくお願いします」
ぼくはそう答えた。
ナンクセーはそのあと、フーテンと一緒に、ぼくたちの前から去っていった。