天気……町の郊外は、昼と夜の寒暖差が大きい。夜が明けて、空が白み始めた時、辺り一面に霜が降りているのが見えた。工場に出勤していく人たちが冷たい風が吹き抜ける中、秋の装いに身を包みながら、もくもくと歩いていた。

ぼくたちは昨夜は田んぼの中にあるわら積みの中で一夜を明かした。体の上にわらをかけ、体の下にもわらを敷いて、防寒対策をしながら床についた。それでも肌寒く感じたので、よく眠れなかった。サンパオはまだ子どもなので、少々寒くても気にならないのか、夜が明けるまで、ぐっすりと寝ていた。ぼくはサンパオの体を、体温で暖めながら、サンパオの心地よい眠りを助けていた。老いらくさんは、ぼくよりも早く目が覚めていて、スイカボールの中で、こそこそ動いていた。年を取れば睡眠時間が短くなるというが、老いらくさんも寝る時間はそれほど長くないのだろうか。ぼくはそう思った。
夜空にたくさん出ていた星は夜が明けると消えてしまい、星と入れ替わるように、たくさんの小鳥たちがどこからか出てきて、さえずりながら田んぼの上をせわしげに飛び交っていた。道路の上には電線が縦横に張られていて、電線の上にはたくさんの雀がとまっていた。雀はにぎやかな声で朝を迎えた喜びを楽しげに歌っていた。夜が明けてしばらくしてから、ようやくサンパオが目を覚ました。ぼくは、うちから持ってきた食べ物の袋を首から降ろして、サンパオと一緒に食べた。老いらくさんはスイカボールの中に入れて持ってきた米粒を食べていた。
ぼくたちはそれからまもなく、黒騎士を探すために、再び工場地帯の方に向かって歩いていった。昨日もいくつかの工場を見て回ったが、まだ行っていない工場があるので、しらみつぶしに調べて、一つも見落としがないようにしようと思った。工場地帯の中に戻ってきて、昨日は行かなかった方向に曲がって、しばらく歩いていると、突き当りに大きな工場があった。工場の屋根の上には、薬の絵が描かれている広告板が出ていた。今はちょうど工場の出勤時間帯だったので、たくさんの人たちが正門から入っていた。
「あっ、あそこにラブラドル・レトリバー犬がいる」
サンパオが声を上げた。確かに門の前に黒いラブラドル・レトリバー犬がいた。犬は、前足を立てて、行儀よく座りながら、出勤してくる人たちをじっと見ていた。
(もしかしたら、あの犬は黒騎士かもしれない)
ぼくはそう思って期待感が高まった。サンパオも心を弾ませていた。
犬の後ろ足に障害があるかどうかは分からなかったが、黒騎士の可能性はあると思って、ぼくは嬉しくなった。
でも犬の様子を注意深く見ていると、ぼくの心の中に、疑問が生じた。門の前を通り過ぎていく人たちの服装を、犬はじっと見ていて、服装によって表情が変わったからだ。普段着で工場の中に入っていく労働者には厳しい目を光らせていたが、スーツを着て管理棟に入っていく幹部には、こびるような目をしていたからだ。人の服装を見て、偉い人か普通の人か、お金持ちかそうでないかを判断して、態度を変えるようなことは黒騎士はしない。そう思うと、最初の予想とは違って、この犬は黒騎士ではないかもしれないと、見れば見るほど思えてきた。
それからまもなく始業のベルが鳴り、正門の前に人の姿は見えなくなった。犬はそれでも正門の前にきちんと座ったまま動かなかった。
「どうしてずっと、あそこにいるのだろう」
サンパオが、けげんそうな顔をしていた。
「そうだね。もう誰も来ないだろうから、あそこでじっとしていても退屈だろうに」
ぼくはそう答えた。
犬が立ち上がって動いてくれたら、後ろ足に障害があるかどうか一目瞭然。黒騎士かどうか見極めがつく。ぼくはそう思いながら、犬をじっと見ていた。ところが犬はなかなか立ち上がらなかった。ぼくもサンパオも、しびれを切らしていた。
始業のベルが鳴ってから十分ほどたったころ、一人の労働者が正門に駆け込んできた。それを見て、犬はすくっと立ち上がり、その労働者に向かって勢いよく突進していった。犬は後ろ足に障害があって、走る時に体が左右に傾いていた。それを見てサンパオが
「黒騎士だ」
と、言った。
犬は労働者のすぐ前まで来ると、激しい声で吠えたてて、その労働者を中に入れなかった。始業時間に遅刻した労働者を戒めるように、犬は狂ったように吠え続けた。犬のあまりの剣幕にたじろいだ労働者は動けなくなり、その場に立ちすくんでいるよりほかなかった。犬は労働者の左足に、容赦なくかみついた。
「あっ、痛い、痛い、痛い……」
労働者は悲鳴を上げながら、右足で犬の体を思い切り蹴り上げた。犬はそれでもひるまずに、かんだ左足をしばらく離さなかった。労働者は結局、工場の中に入ることができず、やむなく帰っていくしかなかった。犬はそれでも労働者のあとをしつっこく追いかけていって、労働者の姿が見えなくなるまで、にらみを利かせていた。犬が追いかけている姿は、後ろ足の障害にもめげず、勇ましさにあふれていて、とてもたくましく見えた。
「お父さん、あれは黒騎士だよね」
サンパオが聞いた。
「さあ、どうだろう」
ぼくは首をかしげた。
「あの犬はラブラドル・レトリバー犬で、後ろ足に障害があるじゃない。それにとても強い。黒騎士に間違いないよ」
サンパオがそう言った。
ぼくはそれでも、うんとは言わなかった。
「黒騎士なら、あんなひどいことをするわけがないよ」
ぼくはそう答えた。
四川大地震が起きた時に、勇敢なラブラドル・レトリバー犬が黒騎士と呼ばれて、みんなから崇拝されていたのは、勇ましさだけでなくて、騎士のような優れた品格を備えていたからだ。それを思うと、あの犬は人を見て、機嫌よくふるまったり、怒ったりするし、怖くてたまらないところがある。ぼくが思っている黒騎士のイメージとはかけ離れている。ぼくはサンパオにそのことを話した。するとサンパオが
「障害を負ってから性格が変わったのではないの」
と言った。ぼくは首を横に振った。
「そんなことは絶対ない。黒騎士はみんなに恐れられるような犬では絶対ない」
ぼくは確信をもってそう答えた。
それからまもなく、正門の横にある守衛室の中から、三毛猫が一匹、出てきた。
「こんにちは」
ぼくは笑みを浮かべながら、三毛猫にあいさつをした。
「あれっ、あなたは笑うことができる猫ですか」
三毛猫が聞いた。
「そうです」
ぼくはうなずいた。
「どうしてここに来たのですか」
三毛猫がけげんそうな顔をしていた。
「黒騎士という名前の犬を探しています。ここにいますか」
ぼくは三毛猫に聞いた。
「黒騎士?」
三毛猫が聞き返した。
「そうです。黒騎士です」
ぼくはそう答えた。
三毛猫はしばらく考えてから、首を横に振って
「いません」
と答えた。
「さっき、門の前にいた犬は黒騎士ではないのですか」
サンパオが聞いた。
「いいえ、あの犬は黒騎士ではなくて黒狼です」
三毛猫がそう答えた。
「黒狼?」
「そうです。黒狼です」
三毛猫はそう答えた。
「狼のように残忍な犬だから、みんなからそう呼ばれています」
三毛猫が黒狼という名前の由来を説明してくれた。
「さっき、ぼくたちは、その犬が遅刻してきた人に、襲いかかって、足にかみついて追い返したところを見ました」
「そうですか。怖い犬だったでしょう」
ぼくはうなずいた。
「どうして、あんなことをしたのですか」
ぼくは聞き返した。
「黒狼は番犬として飼われているので、毎朝、正門の前に座って、工場の中に入ってくる人を監視しています。日頃、見かけない人が入ってきたり、遅れてくる人がいたら、大きな声で吠えたり、かみついたりします」
三毛猫がそう答えた。
「そうですか。それで遅れてきた人にかみついたのですか」
「そうです」
三毛猫がうなずいた。
「それにしても、あの犬は怖すぎます」
ぼくがそう言うと、三毛猫は首を横に振った。
「誰にでも怖いわけではありません。労働者に対しては怖いですが、幹部に対しては怖くありません」
三毛猫がそう言った。
「ぼくもそのことには気がついていました」
ぼくはそう答えた。
ぼくと三毛猫の話をそばで聞いていたサンパオが
「あの犬は足が不自由だったけど、どうしてそうなったのか知っていますか。知っていたら教えてください」
と、三毛猫に聞いた。
「知っています」
三毛猫は、そう答えてから、話し始めた。ぼくとサンパオは興味深く、耳を傾けながら聞いていた。
「あの犬はああいう厳しい犬だから、人から恨みを買うことも多いです。ちょっとした過ちを犯したり、ほんの一分遅刻しただけでも、吠えたり、かみついたりします。以前、あの犬にかまれて気分を害した人が、腹いせに、犬を思いっきり棒でなぐりました。それで、あの犬は後ろ足に負傷して、びっこを引くようになりました」
三毛猫がそう答えた。
「そうでしたか。あの犬は報いを受けたのですか」
ぼくはそう答えた。
「お父さん、報いって何?」
サンパオが聞いた。
「よいことをしたら、よいことをしてもらえる。悪いことをしたら、悪いことをされる。これが報いだよ」
ぼくはそう答えた。
サンパオがうなずいた。
「ここにいるラブラドル・レトリバー犬は、ぼくたちが探している黒騎士ではなかったね」
ぼくがそう言うと、サンパオが
「そうだね。ここにいるラブラドル・レトリバー犬は、下劣で陰険な犬。早く、ここを離れようよ」
と言った。
「そうだね。これから、また別のところに探しに行ってみよう」
ぼくがそう言うと、サンパオがうなずいた。
「どこへ行く?」
サンパオが聞いた。
「スイカボールの後についていこうよ」
ぼくはそう答えた。サンパオがスイカボールに軽く手を添えると、スイカボールは、ころころと転がり始めた。東の方に向かって転がっていったので、ぼくたちは今度は町の東の郊外へ行ってみることにした。