四月になった。
明石の入道は源氏の君のために、夏用のお着物や涼しげな家具をご用意した。
どれも立派な品物よ。
そこまで熱心に世話をされてしまうと、源氏の君は落ち着かない。
勝手に婿扱いされているような気がしてしまわれるのかしら。
でも入道は平気な顔をしているの。
あまりに自然に堂々とお世話をするから、源氏の君も、
<まぁ、よいか>
とご覧になっている。
のんびりとした夕月夜で、海の上に雲もない。
源氏の君は二条の院のお庭のお池を思い出された。
月に照らされる淡路島をご覧になって、
「私が都を恋しがっていることを知っていて、こんなにも美しく月は輝いているのだろうか」
とつぶやかれる。
ひさしぶりに琴をお出しになった。
めずらしい曲を上手に弾かれる音が、岡の館まで届く。
松を通る風や波の音と合わさって、美しく響いてくるの。
入道はお堂で仏教のお祈りをしていたけれど、こんなに美しい琴の音が聞こえるから、お祈りは中断して浜の館へ急いで向かった。
「極楽のような琴の音が聞こえましたので参りました。出家して華やかな暮らしは捨てたはずですが、あのころに戻りたいと思わせるような音色でございます」
と泣きながら源氏の君に申し上げる。
源氏の君は内裏で行われた音楽会のことを思い出しながら、演奏をお続けになる。
<あの人は和琴が上手だった、あの人は笛が上手で、あの人はよい声で歌った。上手な人たちを帝は大いにおほめになって、私をほめてくださることもあった。まぶたを閉じればありありと思い出せる>
夢のなかをただようようなお気持ちでお弾きになる。
水鶏が鳴いている。
戸をコンコンと叩くような声で鳴くの。
<この入道は、私が岡の館の戸を叩いたら、よろこんで娘婿として入れるつもりなのだろう>
とお思いになった。
入道は岡の館から琵琶と箏——琴よりも絃が多い楽器を持ってこさせた。
琵琶でめずらしい曲をお聞かせしたわ。
筝を源氏の君に差し出すと、少しだけお弾きになった。
<琴だけでなく、筝もお上手でいらっしゃる>
と入道は感動していたけれど、源氏の君は、
「やはり筝は、女性が優しい雰囲気で弾く方が似合うだろう」
とおっしゃる。
源氏の君が何気なくおっしゃったお言葉を、入道は逃さなかった。
「いえいえ、あなた様以上に優しい雰囲気で弾ける女性などおりませんでしょう。
私は昔、とある親王様に筝を教えていただいておりました。もう亡くなってしまわれましたが、親王様はそのころの帝からお習いになったそうでございます。私などはたいして上達もいたしませんでしたので、退屈なときに気晴らし程度に弾いていただけでございますが、それを私の娘が聞いて、まねをしていたようなのでございます。
親馬鹿とお思いになるかもしれませんが、今では亡き親王様そっくりに弾くようになりました。いかがでございましょう。娘の筝をお聞きいただけませんか」
この好機を逃せないという焦りと、うまくいくだろうかという恐れ、そしてよいお返事をいただきたいという祈りが、入道の口を震わせる。
必死に申し上げるうちに、入道は泣いていた。
<どう答えるべきか。娘のことは気になるが>
と、源氏の君はさりげなくお話を続けて、お返事を先延ばしになさる。
「立派な師匠に習った人の前で、うっかり弾いてしまったな。なぜか昔から、筝は女性向きの楽器と言われますね。
かつて、嵯峨帝から技を受け継がれた姫宮は、特にお上手だったそうです。しかし姫宮のお弟子は途絶えてしまって、もう由緒正しい帝の技を受け継いだ人はどこにもいらっしゃらないと思っていました。実際都にも、名人と言うほどの方はいらっしゃいませんしね。ですが、こんなところに由緒正しいお弟子がいらっしゃったとは」
<あぁ、やはり娘が気になる>
とお思いになる。
「消えたと思っていた貴重な技が、思わぬところで残っているというのはうれしい話ですね。ぜひお聞きしたいものだ」
とおっしゃると、入道はぱっと顔を輝かせた。
「ぜひ聞いてやってくださいませ。こちら様に女房として連れてまいってもかまいません。琵琶もなかなか上手に弾くのでございます」
源氏の君は、入道に気づかれないくらいに首をおかしげになる。
<正式な妻どころか、恋人扱いさえしなくてよいと言うのか。入道は身分もわきまえず、そういうところにこだわる男だと思っていた。娘をこの館の女房にして、気まぐれにかわいがってやるだけでよいならば、こちらとしては面倒がなくて気楽ではあるけれど>
源氏の君は入道に筝をお返しになった。
「亡き親王様に習ったという、由緒正しい技を聞かせておくれ」
とおっしゃると、入道はよろこんでお弾きする。
源氏の君からよいお返事がいただけて、うれしくてたまらないのね。
源氏の君が筝に合わせてお歌いになると、入道は手を止めてお声に聞きほれていた。
そのあとは家来たちも一緒ににぎやかな宴会をして、おふたりとも浮かれていらっしゃったわ。
明石の入道は源氏の君のために、夏用のお着物や涼しげな家具をご用意した。
どれも立派な品物よ。
そこまで熱心に世話をされてしまうと、源氏の君は落ち着かない。
勝手に婿扱いされているような気がしてしまわれるのかしら。
でも入道は平気な顔をしているの。
あまりに自然に堂々とお世話をするから、源氏の君も、
<まぁ、よいか>
とご覧になっている。
のんびりとした夕月夜で、海の上に雲もない。
源氏の君は二条の院のお庭のお池を思い出された。
月に照らされる淡路島をご覧になって、
「私が都を恋しがっていることを知っていて、こんなにも美しく月は輝いているのだろうか」
とつぶやかれる。
ひさしぶりに琴をお出しになった。
めずらしい曲を上手に弾かれる音が、岡の館まで届く。
松を通る風や波の音と合わさって、美しく響いてくるの。
入道はお堂で仏教のお祈りをしていたけれど、こんなに美しい琴の音が聞こえるから、お祈りは中断して浜の館へ急いで向かった。
「極楽のような琴の音が聞こえましたので参りました。出家して華やかな暮らしは捨てたはずですが、あのころに戻りたいと思わせるような音色でございます」
と泣きながら源氏の君に申し上げる。
源氏の君は内裏で行われた音楽会のことを思い出しながら、演奏をお続けになる。
<あの人は和琴が上手だった、あの人は笛が上手で、あの人はよい声で歌った。上手な人たちを帝は大いにおほめになって、私をほめてくださることもあった。まぶたを閉じればありありと思い出せる>
夢のなかをただようようなお気持ちでお弾きになる。
水鶏が鳴いている。
戸をコンコンと叩くような声で鳴くの。
<この入道は、私が岡の館の戸を叩いたら、よろこんで娘婿として入れるつもりなのだろう>
とお思いになった。
入道は岡の館から琵琶と箏——琴よりも絃が多い楽器を持ってこさせた。
琵琶でめずらしい曲をお聞かせしたわ。
筝を源氏の君に差し出すと、少しだけお弾きになった。
<琴だけでなく、筝もお上手でいらっしゃる>
と入道は感動していたけれど、源氏の君は、
「やはり筝は、女性が優しい雰囲気で弾く方が似合うだろう」
とおっしゃる。
源氏の君が何気なくおっしゃったお言葉を、入道は逃さなかった。
「いえいえ、あなた様以上に優しい雰囲気で弾ける女性などおりませんでしょう。
私は昔、とある親王様に筝を教えていただいておりました。もう亡くなってしまわれましたが、親王様はそのころの帝からお習いになったそうでございます。私などはたいして上達もいたしませんでしたので、退屈なときに気晴らし程度に弾いていただけでございますが、それを私の娘が聞いて、まねをしていたようなのでございます。
親馬鹿とお思いになるかもしれませんが、今では亡き親王様そっくりに弾くようになりました。いかがでございましょう。娘の筝をお聞きいただけませんか」
この好機を逃せないという焦りと、うまくいくだろうかという恐れ、そしてよいお返事をいただきたいという祈りが、入道の口を震わせる。
必死に申し上げるうちに、入道は泣いていた。
<どう答えるべきか。娘のことは気になるが>
と、源氏の君はさりげなくお話を続けて、お返事を先延ばしになさる。
「立派な師匠に習った人の前で、うっかり弾いてしまったな。なぜか昔から、筝は女性向きの楽器と言われますね。
かつて、嵯峨帝から技を受け継がれた姫宮は、特にお上手だったそうです。しかし姫宮のお弟子は途絶えてしまって、もう由緒正しい帝の技を受け継いだ人はどこにもいらっしゃらないと思っていました。実際都にも、名人と言うほどの方はいらっしゃいませんしね。ですが、こんなところに由緒正しいお弟子がいらっしゃったとは」
<あぁ、やはり娘が気になる>
とお思いになる。
「消えたと思っていた貴重な技が、思わぬところで残っているというのはうれしい話ですね。ぜひお聞きしたいものだ」
とおっしゃると、入道はぱっと顔を輝かせた。
「ぜひ聞いてやってくださいませ。こちら様に女房として連れてまいってもかまいません。琵琶もなかなか上手に弾くのでございます」
源氏の君は、入道に気づかれないくらいに首をおかしげになる。
<正式な妻どころか、恋人扱いさえしなくてよいと言うのか。入道は身分もわきまえず、そういうところにこだわる男だと思っていた。娘をこの館の女房にして、気まぐれにかわいがってやるだけでよいならば、こちらとしては面倒がなくて気楽ではあるけれど>
源氏の君は入道に筝をお返しになった。
「亡き親王様に習ったという、由緒正しい技を聞かせておくれ」
とおっしゃると、入道はよろこんでお弾きする。
源氏の君からよいお返事がいただけて、うれしくてたまらないのね。
源氏の君が筝に合わせてお歌いになると、入道は手を止めてお声に聞きほれていた。
そのあとは家来たちも一緒ににぎやかな宴会をして、おふたりとも浮かれていらっしゃったわ。



