明後日にはご出発という日の夜、まだあまり遅くない時間に、源氏の君は岡の館をご訪問なさった。
これまでは夜遅くご訪問されていたし、女君にご遠慮して、まじまじとお顔をご覧になったことはなかったのだけれど、もうお別れだからお顔を目に焼きつけておかれる。
驚くほど気高い美人でいらっしゃった。
<美しいとは思っていたが、これほど貴婦人らしい顔立ちだったとは。元地方長官の娘などとは思えない>
と、見捨ててしまうのはもったいなくお思いになる。
「しばらく明石で待っていておくれ。必ず、きちんと都にお迎えしますから」
と女君にお約束なさったわ。
源氏の君は、熱心に仏教の修行をなさっていたために、お顔がやせてしまわれている。
でも、それがかえってお美しくて、そんな方が心苦しそうに涙ぐんでお約束なさるの。
女君は、
<そうおっしゃっていただけるだけで、私はもう十分に幸せだ。これ以上の幸せを求められる身分ではない>
と、未練を断ち切ろうとしておられる。
「ほんの少しのお別れです。すぐに都でお会いできますよ」
と源氏の君がおっしゃると、女君は泣きながら、
「お別れは仕方がないこととあきらめております。お恨みいたしません」
とお返事なさる。
もう何もおっしゃれないような悲しそうなご様子でも、立派にお返事をなさるのだから、自尊心の高い女性なのね。
「そういえば、ずっとお聞きしたいと思っていた筝の音を、ついに聞かせてくれませんでしたね」
と源氏の君は恨み言をおっしゃるけれど、女君は筝を弾こうなどとお思いになれない。
「では、私が少し弾きましょう。どうかこの音を覚えていて、私を思い出してください」
源氏の君は浜の館から琴をお取り寄せになって、すばらしい音色でお弾きになった。
それが聞こえた明石の入道は、いても立ってもいられず、女君のところまで筝をお届けしたわ。
女君は涙がとめどなくあふれて、思わず筝に手を伸ばすと、上品にお弾きになった。
源氏の君はこれまで、入道の宮様のお弾きになる筝が一番すばらしいと思っておられた。
たしかに宮様の筝は、気分が晴れるような現代風の音色なの。
演奏者の美しくおやさしいご様子さえ思い浮かぶという点では、最高の音色よ。
一方で明石の君の筝は、めずらしくはない音色かと思いきや、その奥に聞く人をはっとさせるところがある。
筝のよさを完全に理解して引き出しておられるのは、明石の君ね。
いくつかめずらしい曲などを少しずつ弾いて、女君は演奏をおやめになった。
源氏の君は、
<もうやめてしまうのか。この人と恋人関係になってから一年という長い時間があったのに、どうして無理にお願いしてでも弾いてもらわなかったのだろう>
と悔しくお思いになる。
でも今となっては、将来のことをお約束なさることしかできないの。
「私の琴はここに置いていきます。また合奏できる日まで、あなたが持っていてください」
とおっしゃると、女君は、
「ほんの気休めでおっしゃったことだとは分かっておりますが、今のお言葉を支えに、泣きながら生きてまいりましょう」
とつぶやかれる。
「何を言うのです。すぐにまたお会いできますよ。この琴の絃がゆるまないうちに、必ず会いましょう。あなたこそ心変わりなどしないでおくれ」
と源氏の君はおなぐさめになるけれど、女君はもうお泣きになることしかできない。
これまでは夜遅くご訪問されていたし、女君にご遠慮して、まじまじとお顔をご覧になったことはなかったのだけれど、もうお別れだからお顔を目に焼きつけておかれる。
驚くほど気高い美人でいらっしゃった。
<美しいとは思っていたが、これほど貴婦人らしい顔立ちだったとは。元地方長官の娘などとは思えない>
と、見捨ててしまうのはもったいなくお思いになる。
「しばらく明石で待っていておくれ。必ず、きちんと都にお迎えしますから」
と女君にお約束なさったわ。
源氏の君は、熱心に仏教の修行をなさっていたために、お顔がやせてしまわれている。
でも、それがかえってお美しくて、そんな方が心苦しそうに涙ぐんでお約束なさるの。
女君は、
<そうおっしゃっていただけるだけで、私はもう十分に幸せだ。これ以上の幸せを求められる身分ではない>
と、未練を断ち切ろうとしておられる。
「ほんの少しのお別れです。すぐに都でお会いできますよ」
と源氏の君がおっしゃると、女君は泣きながら、
「お別れは仕方がないこととあきらめております。お恨みいたしません」
とお返事なさる。
もう何もおっしゃれないような悲しそうなご様子でも、立派にお返事をなさるのだから、自尊心の高い女性なのね。
「そういえば、ずっとお聞きしたいと思っていた筝の音を、ついに聞かせてくれませんでしたね」
と源氏の君は恨み言をおっしゃるけれど、女君は筝を弾こうなどとお思いになれない。
「では、私が少し弾きましょう。どうかこの音を覚えていて、私を思い出してください」
源氏の君は浜の館から琴をお取り寄せになって、すばらしい音色でお弾きになった。
それが聞こえた明石の入道は、いても立ってもいられず、女君のところまで筝をお届けしたわ。
女君は涙がとめどなくあふれて、思わず筝に手を伸ばすと、上品にお弾きになった。
源氏の君はこれまで、入道の宮様のお弾きになる筝が一番すばらしいと思っておられた。
たしかに宮様の筝は、気分が晴れるような現代風の音色なの。
演奏者の美しくおやさしいご様子さえ思い浮かぶという点では、最高の音色よ。
一方で明石の君の筝は、めずらしくはない音色かと思いきや、その奥に聞く人をはっとさせるところがある。
筝のよさを完全に理解して引き出しておられるのは、明石の君ね。
いくつかめずらしい曲などを少しずつ弾いて、女君は演奏をおやめになった。
源氏の君は、
<もうやめてしまうのか。この人と恋人関係になってから一年という長い時間があったのに、どうして無理にお願いしてでも弾いてもらわなかったのだろう>
と悔しくお思いになる。
でも今となっては、将来のことをお約束なさることしかできないの。
「私の琴はここに置いていきます。また合奏できる日まで、あなたが持っていてください」
とおっしゃると、女君は、
「ほんの気休めでおっしゃったことだとは分かっておりますが、今のお言葉を支えに、泣きながら生きてまいりましょう」
とつぶやかれる。
「何を言うのです。すぐにまたお会いできますよ。この琴の絃がゆるまないうちに、必ず会いましょう。あなたこそ心変わりなどしないでおくれ」
と源氏の君はおなぐさめになるけれど、女君はもうお泣きになることしかできない。



