野いちご源氏物語 一三 明石(あかし)

 年が明けた。
 (みかど)のご病気はあいかわらず重い。
「お目が見えなくては、帝の(くらい)東宮(とうぐう)にお(ゆず)りになる日も近いだろう」
 と世間は(うわさ)している。
 東宮に後見(こうけん)役がいないことを帝は心配なさっていた。東宮は入道(にゅうどう)(みや)、つまりかつての藤壺(ふじつぼ)女御(にょうご)がお生みになった皇子(みこ)だから、親戚(しんせき)は皇族ばかりで、後見役になれる方がいらっしゃらない。
<新しい帝を支える政治家として、やはり源氏の君が必要だ。都から追放(ついほう)したままにはしておけない>
 七月、帝はとうとう皇太后(こうたいごう)のご反対を振りきって、源氏の君を許すという命令をお出しになった。

 明石(あかし)の源氏の君にもこの話は届いた。
<ありがたくうれしいご命令だが、あまりに急なことでまだ心の準備ができていない。すぐに明石を離れることになるのか>
 明石の入道は当然のなりゆきだと思いながらも胸がふさがる。
<間違ってもお引きとめなどしてはいけない。源氏の君が都で政治の中心に立たれてこそ、姫も世間から重んじられる身分に引き上げていただけるのだ。それが昔見た夢を現実にする第一歩だ>
 入道の野望(やぼう)は娘を高貴(こうき)な人と結婚させることだけではなかった。さらにとんでもない夢を(いだ)いている。

 源氏の君はそれから毎夜、(おか)(やかた)にお通いになる。
 帝のご命令が出る少し前から明石の君は懐妊(かいにん)していた。お別れが近づいているとお思いになるせいか、源氏の君はこれまで以上に女君(おんなぎみ)が愛しい。
<今から少しずつ離れていった方が別れのつらさを軽くできるだろうに。苦しむ方へ苦しむ方へと()きうごかされてしまうのはなぜだ>
 もちろん明石の君は源氏の君以上に悩んでいる。

 都から須磨(すま)へ行かれたときは、いつか都に戻る日も来るだろうという希望があった。しかし晴れて都へ戻る今回は、また明石に戻るだろうとはお思いにならない。これきりの出発がお悲しい。
 源氏の君の家来たちは都に戻ることをそれぞれよろこんでいる。出発が近づいたころ、都からお迎えの人たちがやって来た。(はま)(やかた)はこれまでにないほど活気づいて、誰もが(いそが)しそうに働いている。
 入道は源氏の君が明石を去っていかれることが悲しくて、涙に暮れていた。

 源氏の君はというと、明石の君のことで物思いにふけっていらっしゃる。
「あいかわらず先の見えない恋ばかり好まれる方だ」
「初めはそれほど本気でもないようなご様子だったが」
「お別れが近づいているから、知らず知らず深みにはまっていかれるのだ。こんなに毎晩お訪ねになっては、女君もよけいつらくなってしまうだろうに」
「そもそも女君は良清(よしきよ)が片思いしていたのではなかったか」
「良清は相手にされなかったのだよ。たしか北山(きたやま)の寺でもそんなことを言っていた」
 家来たちのひそひそ話をうっかり聞いてしまった良清は、気まずそうに恥ずかしがっていた。