明石の入道は決意した。このままでは埒が明かない。心配する妻を無視して、源氏の君を岡の館へお招きする。
自分ひとりで娘の部屋を飾りたて、明るい月が出たころに源氏の君へ手紙をお送りした。
「岡の館へお越しください。今夜の月も、私の娘も、魅力が分かる人にお見せしたいのです」
でしゃばりな父親だと源氏の君は苦笑いしつつも、このあたりが潮時だとお思いになる。いつもより上等な着物に着替えて、夜遅くなってから出発なさる。入道が用意したお迎えの乗り物はお断りになった。
「それでは大げさになってしまうだろう」
と馬に乗って、惟光などわずかなお供だけを連れていかれる。
道中の開けたところでは、月に照らされる入江が見えた。この景色を一緒にご覧になりたいのは紫の上だった。
「入道の娘のところへなど行かず、このまま馬で都まで飛んでいけたら。ほんの少しでも会いたい」
岡の館は木立の奥深くにあって、趣深い屋敷だった。浜の館は堂々として立派なのに対して、こちらはひっそりと、少し心細いような雰囲気がある。
<若い娘がこのようなところに住めば悩んでばかりだろう>
源氏の君は同情なさった。
入道が修行するお堂も近くにある。鐘の音が松風と合わさって響いてくる。
庭では虫がさかんに鳴いていた。あちこちを眺めていらっしゃると、ひときわ美しく飾りたてた離れがある。娘の住む離れだった。月光と源氏の君を招きいれるように、ひとつだけ戸が開けられている。
濡れ縁に上がった源氏の君は、その戸から縁側にお入りになった。簾の向こうに娘がいるらしい。
優しく声をおかけになるけれど、娘は心外だと思って返事さえしない。
<気軽に男に声を聞かせないとは、高貴な姫君のような態度をとるではないか。たとえそういう身分の人でも、私がここまで言い寄れば返事をしてくれるものだったが。私を落ちぶれ者と馬鹿にしているのだろうか>
源氏の君はじれったい。
<無理やり関係を持つことはしたくないが、何もせず帰るのも世間体が悪い>
悩みながら恨み言を言ってお口説きになる。そのときのもったいないほどの魅力を、入道の娘は分かっていたかしら。
ふいに筝の音がした。
ついたてから下げられた紐が揺れて、近くにあった筝の弦に触れたらしい。
<今までくつろいで筝を弾いていたのか>
娘の様子を想像すると源氏の君はたまらない。
「筝がお上手と伺いましたよ。弾いてくれませんか。あなたと恋人同士になってお話ができたら、人生のつらさが半減すると思うのです」
「このような田舎で暗闇の中を生きてまいりましたから、私には人生のつらさも楽しさも見分けがつかないのでございます。お話し相手もできませんでしょう」
娘のかすかな声は六条の御息所によく似ていた。
突然のことに娘はいたたまれなくなった。近くの小部屋へ逃げこむ。追いかけた源氏の君が戸を開けようとなさるけれど、びくともしない。
しかし源氏の君は入道に認められてここにいらっしゃっている。遠慮ばかりなさるはずはなかった。
いつもは長すぎてうんざりする夜も、今夜はずいぶんと短く、もう明けようとしている。
女君は上品ですらりとしていて、驚くほどの気高さがあった。源氏の君はこれからのことを約束なさる。人目を気にしてあわただしくお帰りになった。
浜の館に戻ると女君に手紙をお送りになる。いつも以上にこっそりとお届けになった。紫の上に申し訳ないと思っていらっしゃるらしい。
秘密の関係にしたいという源氏の君のお考えが伝わるので、入道も使者を派手にもてなすことはしない。父親としては残念だった。
源氏の君はその後、ときどきひそかに岡の館をお訪ねになる。道中で住民に見つかって噂を立てられないかとご不安でいらっしゃる。それでたまにしかお越しにならないのを、女君は、
<やはり思ったとおりだ>
と嘆いていた。
入道も仏教の修行どころではない。
<いったいどうなってしまうのだろう>
ただただ気を揉んで源氏の君のお越しを待っている。出家した人だというのに、娘のことで悩むなんてお気の毒だこと。
自分ひとりで娘の部屋を飾りたて、明るい月が出たころに源氏の君へ手紙をお送りした。
「岡の館へお越しください。今夜の月も、私の娘も、魅力が分かる人にお見せしたいのです」
でしゃばりな父親だと源氏の君は苦笑いしつつも、このあたりが潮時だとお思いになる。いつもより上等な着物に着替えて、夜遅くなってから出発なさる。入道が用意したお迎えの乗り物はお断りになった。
「それでは大げさになってしまうだろう」
と馬に乗って、惟光などわずかなお供だけを連れていかれる。
道中の開けたところでは、月に照らされる入江が見えた。この景色を一緒にご覧になりたいのは紫の上だった。
「入道の娘のところへなど行かず、このまま馬で都まで飛んでいけたら。ほんの少しでも会いたい」
岡の館は木立の奥深くにあって、趣深い屋敷だった。浜の館は堂々として立派なのに対して、こちらはひっそりと、少し心細いような雰囲気がある。
<若い娘がこのようなところに住めば悩んでばかりだろう>
源氏の君は同情なさった。
入道が修行するお堂も近くにある。鐘の音が松風と合わさって響いてくる。
庭では虫がさかんに鳴いていた。あちこちを眺めていらっしゃると、ひときわ美しく飾りたてた離れがある。娘の住む離れだった。月光と源氏の君を招きいれるように、ひとつだけ戸が開けられている。
濡れ縁に上がった源氏の君は、その戸から縁側にお入りになった。簾の向こうに娘がいるらしい。
優しく声をおかけになるけれど、娘は心外だと思って返事さえしない。
<気軽に男に声を聞かせないとは、高貴な姫君のような態度をとるではないか。たとえそういう身分の人でも、私がここまで言い寄れば返事をしてくれるものだったが。私を落ちぶれ者と馬鹿にしているのだろうか>
源氏の君はじれったい。
<無理やり関係を持つことはしたくないが、何もせず帰るのも世間体が悪い>
悩みながら恨み言を言ってお口説きになる。そのときのもったいないほどの魅力を、入道の娘は分かっていたかしら。
ふいに筝の音がした。
ついたてから下げられた紐が揺れて、近くにあった筝の弦に触れたらしい。
<今までくつろいで筝を弾いていたのか>
娘の様子を想像すると源氏の君はたまらない。
「筝がお上手と伺いましたよ。弾いてくれませんか。あなたと恋人同士になってお話ができたら、人生のつらさが半減すると思うのです」
「このような田舎で暗闇の中を生きてまいりましたから、私には人生のつらさも楽しさも見分けがつかないのでございます。お話し相手もできませんでしょう」
娘のかすかな声は六条の御息所によく似ていた。
突然のことに娘はいたたまれなくなった。近くの小部屋へ逃げこむ。追いかけた源氏の君が戸を開けようとなさるけれど、びくともしない。
しかし源氏の君は入道に認められてここにいらっしゃっている。遠慮ばかりなさるはずはなかった。
いつもは長すぎてうんざりする夜も、今夜はずいぶんと短く、もう明けようとしている。
女君は上品ですらりとしていて、驚くほどの気高さがあった。源氏の君はこれからのことを約束なさる。人目を気にしてあわただしくお帰りになった。
浜の館に戻ると女君に手紙をお送りになる。いつも以上にこっそりとお届けになった。紫の上に申し訳ないと思っていらっしゃるらしい。
秘密の関係にしたいという源氏の君のお考えが伝わるので、入道も使者を派手にもてなすことはしない。父親としては残念だった。
源氏の君はその後、ときどきひそかに岡の館をお訪ねになる。道中で住民に見つかって噂を立てられないかとご不安でいらっしゃる。それでたまにしかお越しにならないのを、女君は、
<やはり思ったとおりだ>
と嘆いていた。
入道も仏教の修行どころではない。
<いったいどうなってしまうのだろう>
ただただ気を揉んで源氏の君のお越しを待っている。出家した人だというのに、娘のことで悩むなんてお気の毒だこと。



