野いちご源氏物語 一三 明石(あかし)

 明石(あかし)入道(にゅうどう)は決意した。このままでは(らち)が明かない。心配する妻を無視して、源氏(げんじ)(きみ)(おか)(やかた)へお招きする。
 自分ひとりで娘の部屋を(かざ)りたて、明るい月が出たころに源氏の君へ手紙をお送りした。
「岡の館へお越しください。今夜の月も、私の娘も、魅力(みりょく)が分かる人にお見せしたいのです」
 でしゃばりな父親だと源氏の君は苦笑いしつつも、このあたりが潮時(しおどき)だとお思いになる。いつもより上等な着物に着替えて、夜遅くなってから出発なさる。入道が用意したお迎えの乗り物はお断りになった。
「それでは大げさになってしまうだろう」
 と馬に乗って、惟光(これみつ)などわずかなお(とも)だけを連れていかれる。

 道中(どうちゅう)の開けたところでは、月に照らされる入江(いりえ)が見えた。この景色を一緒にご覧になりたいのは紫の上だった。 
「入道の娘のところへなど行かず、このまま馬で都まで飛んでいけたら。ほんの少しでも会いたい」
 岡の館は木立(こだち)の奥深くにあって、(おもむき)(ぶか)い屋敷だった。浜の館は堂々として立派なのに対して、こちらはひっそりと、少し心細いような雰囲気(ふんいき)がある。
<若い娘がこのようなところに住めば悩んでばかりだろう>
 源氏の君は同情なさった。

 入道が修行(しゅぎょう)するお(どう)も近くにある。(かね)()松風(まつかぜ)と合わさって(ひび)いてくる。
 庭では虫がさかんに鳴いていた。あちこちを(なが)めていらっしゃると、ひときわ美しく飾りたてた離れがある。娘の住む離れだった。月光と源氏の君を(まね)きいれるように、ひとつだけ戸が開けられている。
 ()(えん)に上がった源氏の君は、その戸から縁側(えんがわ)にお入りになった。(すだれ)の向こうに娘がいるらしい。

 優しく声をおかけになるけれど、娘は心外(しんがい)だと思って返事さえしない。
<気軽に男に声を聞かせないとは、高貴(こうき)姫君(ひめぎみ)のような態度をとるではないか。たとえそういう身分の人でも、私がここまで言い寄れば返事をしてくれるものだったが。私を落ちぶれ者と馬鹿(ばか)にしているのだろうか>
 源氏の君はじれったい。
<無理やり関係を持つことはしたくないが、何もせず帰るのも世間体(せけんてい)が悪い>
 悩みながら(うら)(ごと)を言ってお口説きになる。そのときのもったいないほどの魅力を、入道の娘は分かっていたかしら。

 ふいに(そう)()がした。
 ついたてから下げられた(ひも)()れて、近くにあった(そう)(げん)()れたらしい。
<今までくつろいで(そう)を弾いていたのか>
 娘の様子を想像すると源氏の君はたまらない。
(そう)がお上手と(うかが)いましたよ。弾いてくれませんか。あなたと恋人同士になってお話ができたら、人生のつらさが半減(はんげん)すると思うのです」
「このような田舎(いなか)暗闇(くらやみ)の中を生きてまいりましたから、私には人生のつらさも楽しさも見分けがつかないのでございます。お話し相手もできませんでしょう」
 娘のかすかな声は六条(ろくじょう)御息所(みやすんどころ)によく似ていた。

 突然のことに娘はいたたまれなくなった。近くの小部屋(こべや)へ逃げこむ。追いかけた源氏の君が戸を開けようとなさるけれど、びくともしない。
 しかし源氏の君は入道に認められてここにいらっしゃっている。遠慮(えんりょ)ばかりなさるはずはなかった。

 いつもは長すぎてうんざりする夜も、今夜はずいぶんと短く、もう明けようとしている。
 女君(おんなぎみ)は上品ですらりとしていて、驚くほどの気高(けだか)さがあった。源氏の君はこれからのことを約束なさる。人目(ひとめ)を気にしてあわただしくお帰りになった。
 浜の館に戻ると女君に手紙をお送りになる。いつも以上にこっそりとお届けになった。紫の上に申し訳ないと思っていらっしゃるらしい。
 秘密の関係にしたいという源氏の君のお考えが伝わるので、入道も使者(ししゃ)を派手にもてなすことはしない。父親としては残念だった。

 源氏の君はその後、ときどきひそかに岡の館をお訪ねになる。道中で住民に見つかって(うわさ)を立てられないかとご不安でいらっしゃる。それでたまにしかお越しにならないのを、女君は、
<やはり思ったとおりだ>
 と(なげ)いていた。
 入道も仏教の修行どころではない。
<いったいどうなってしまうのだろう>
 ただただ気を()んで源氏の君のお越しを待っている。出家(しゅっけ)した人だというのに、娘のことで悩むなんてお気の毒だこと。