野いちご源氏物語 一二 須磨(すま)

(ひま)()(あま)して暮らしておられる源氏(げんじ)(きみ)のところへ、三位(さんみの)中将(ちゅうじょう)様がお見舞いにいらっしゃった。
今は「宰相(さいしょう)」というお役職(やくしょく)出世(しゅっせ)されて、名実(めいじつ)ともに上流貴族の仲間入りをなさっている。
これからは「宰相(さいしょうの)中将(ちゅうじょう)様」とお呼びいたしましょう。

宰相中将様は、源氏の君のいらっしゃらない都をずっとつまらなくお思いになっていた。
<源氏の君が須磨(すま)へ行かれてもうすぐ一年になる。どうしてもお会いしたい。右大臣(うだいじん)ににらまれたって構うものか>
と、突然お越しになったの。
おふたりは目が合った途端(とたん)、ひさしぶりにお会いできたことがうれしくて涙を流される。

中将(ちゅうじょう)様は少し落ち着かれると、源氏の君のお住まいを見回された。
中国風に、まるで仙人(せんにん)でも住んでいそうな雰囲気につくられている。
源氏の君は灰色っぽい質素なお着物を着ていらっしゃる。
いかにも田舎(いなか)の人の格好だけれど、すっきりとしてよく似合っておられた。

家具は(かざ)()がないものが最低限あるだけで、部屋を仕切るついたても少ない。
だから、中将様のお席からお部屋全体が見渡せてしまう。
囲碁(いご)などの遊びのお道具も田舎(いなか)(ふう)に作らせたものを置いておられる。
その向こうには仏教(ぶっきょう)修行(しゅぎょう)のときに使うお道具があった。
<ここで修行をして過ごしておられるのか>
と、中将様は胸が締めつけられるような思いがなさる。

源氏の君は地元のめずらしい食材を使って中将様をおもてなししようとなさる。
ちょうど漁師が獲れたものを届けにきていたので、お部屋の前のお庭にお呼びになる。
中将様は漁師とお話しになったことなどないから、家来(けらい)を通じて暮らしのことをお尋ねになった。
漁師は、
「不安定でつらい暮らしでございます」
というようなお返事を申し上げる。
中将様は、
<この者も私も源氏の君も、何も変わらないのだな>
とお思いになって、ご褒美(ほうび)にお着物をお与えになった。
漁師はたいそう驚いて、
<生きていた甲斐(かい)があった>
と感動していたわ。

その後はおふたりで積もる話をなさる。
泣いたり笑ったりお忙しい。
(さきの)左大臣(さだいじん)(てい)でお育ちになっている若君(わかぎみ)ですが、六歳におなりになって、もうずいぶん大人っぽくお話しになりますよ。ただただ無邪気に過ごしていらっしゃるご様子が、父にはかえって悲しく思われるようです」
と中将様はおっしゃる。
ご立派な祖父君(そふぎみ)祖母君(そぼぎみ)に育てられているとはいえ、源氏の君は若君のことをお気の毒にお思いになった。

他にもいろいろなお話をなさりながら、一晩中、中国の詩を作って遊んでいらっしゃった。
<右大臣ににらまれたって構うものか>とお越しになった中将様だけれど、やはり長居(ながい)はおできにならない。
朝になったら都へご出発なさるおつもりなの。
こんなに短い時間しかお会いできないと、余計に寂しくなってしまうわよね。

源氏の君は、
「悲しいお別れの杯です」
と、お酒の入った(さかずき)を中将様にお渡しになった。
早朝の空に(かり)が列をつくって飛んでいる。
「私もいつか都に戻れるでしょうか。帰っていかれるあなたがうらやましい」
とおっしゃると、中将様は帰りがたくて、
「悲しいお別れに心が乱れております。無事に都までたどりつけますかどうか」
とお返事なさる。

中将様は都からすばらしいお土産(みやげ)をお持ちになったので、源氏の君はお礼に黒い馬をお贈りになったわ。
罪人(ざいにん)からの贈り物など縁起(えんぎ)が悪いと思われるかもしれませんが、威勢(いせい)よくお帰りになれるおまじないですので」
とおっしゃる。
堂々とした見事な馬なの。
中将様はありがたくお思いになって、
「では、私からはこれを。私だと思っておそばにお置きください」
と、名品(めいひん)として有名なご愛用の(ふえ)をお贈りになった。
世間からまた何か言われることを恐れて、お互いに、そのくらいのささやかなことしかおできにならない。