須磨の浜辺をしばらく歩いていくと、国境を越えて、播磨の国の明石の浜辺になる。
良清という家来は、播磨の国の地方長官だった人の娘に片思いをしている。覚えているかしら、源氏の君がまだ十代だったころ、北山の寺へ病気回復のお祈りに行かれた。そう、幼い紫の上を垣間見なさったお寺よ。
そこで良清は源氏の君のご気分を紛らわせるために、こんなお話をしていた。
『播磨の国と申せば、父の何代か前に長官をしていた人が変わり者でございましてね。任期が終わっても都に戻らず、あちらで出家してしまったのです。明石の浜辺の豪邸に住んでおりますよ。ふつう出家したら山奥に住むものですが、大切な一人娘のために人の多いところに屋敷を建てたそうでございます』
その一人娘に何度も恋文を送っているのだけれど、まったく返事はない。ところが須磨へ来てしばらくしたころ、娘の父親から手紙が届いた。
「直接お会いしてご相談したいことがございますので、ぜひ明石までお越しください」
奇妙な手紙だった。
<娘を私にくれるという話ではなさそうだ。明石まで出かけていって、よく分からない話に巻きこまれるのも馬鹿馬鹿しい>
へそを曲げている良清は行くつもりなどない。
この父親は、明石に住む出家した人、つまり入道ということで、明石の入道と呼びましょうか。
良清の想像どおり、明石の入道は良清に大切な娘をやるつもりはない。思い上がりの激しい人で、播磨の国の長官が娘を望んだって許さないくらいだもの。
その入道が、須磨に源氏の君がお越しだということを耳に挟んだ。張り切って妻に言う。
「桐壺の更衣がお生みになった源氏の君が、須磨で謹慎生活をしていらっしゃるらしい。姫の人生を輝かしいものにする絶好の機会だ。なんとかして姫を源氏の君に差し上げよう」
「何を夢のようなことを。源氏の君にはご身分の高い奥様がたくさんいらっしゃるのでしょう。その上さらに帝の最愛の女官にまで手をつけてしまわれて、それで都をお離れになったと聞いておりますよ。そのような方が、こんな田舎で育った姫にご興味など持たれますまい」
あきれて言う妻に入道は腹を立てる。
「そなたには分からぬだろうが、私には私の考えがある。おもてなしの準備をしておきなさい。この屋敷へお越しいただいてみせる」
いかにも頑固そうに言い放った。屋敷をまばゆいほど飾りたて、これまで以上に娘をたいそうな姫君扱いする。
「いくらご立派な方でも罪人でいらっしゃいますよ。わざわざそんな方を姫の婿になさらなくても。まぁ、あちら様だって田舎娘はお断りでしょうから、どのみちうまくいくはずはありませんけれど」
まったくありえないことのように妻が言うので、入道は早口で源氏の君をかばった。
「出る杭は打たれるのだ。何を隠そう亡き桐壺の更衣は私の従妹でいらっしゃる。美しさを頼りに錚々たるお妃が集まる内裏に入っていかれ、見事、桐壺帝のご愛情を独りじめなさった。ねたまれて若死になさったのは残念だったが、源氏の君を遺していかれたのだからご立派だ。若い娘というのはそういうふうに高望みをするべきだ。私が母更衣の親戚だとお知りになれば、田舎者の姫だからといって、あっさりお断りになることはないだろう」
入道の娘は、最高の美人というわけではないけれど、上品で教養がある。その点では都の高貴な姫君にも負けていない。本人は田舎で育ったことを残念に思っていて、
<身分の高い男性が私などを相手になさるわけがない。だからといって田舎者同士で結婚するのは嫌だ。両親に先立たれたら尼になるか、海に入って死のう」
と嘆いている。
入道は自分の人生のすべてをかけて娘の世話をしている。年に二回、住吉大社にお参りにいかせ、輝かしい将来になるよう神頼みもさせていた。
良清という家来は、播磨の国の地方長官だった人の娘に片思いをしている。覚えているかしら、源氏の君がまだ十代だったころ、北山の寺へ病気回復のお祈りに行かれた。そう、幼い紫の上を垣間見なさったお寺よ。
そこで良清は源氏の君のご気分を紛らわせるために、こんなお話をしていた。
『播磨の国と申せば、父の何代か前に長官をしていた人が変わり者でございましてね。任期が終わっても都に戻らず、あちらで出家してしまったのです。明石の浜辺の豪邸に住んでおりますよ。ふつう出家したら山奥に住むものですが、大切な一人娘のために人の多いところに屋敷を建てたそうでございます』
その一人娘に何度も恋文を送っているのだけれど、まったく返事はない。ところが須磨へ来てしばらくしたころ、娘の父親から手紙が届いた。
「直接お会いしてご相談したいことがございますので、ぜひ明石までお越しください」
奇妙な手紙だった。
<娘を私にくれるという話ではなさそうだ。明石まで出かけていって、よく分からない話に巻きこまれるのも馬鹿馬鹿しい>
へそを曲げている良清は行くつもりなどない。
この父親は、明石に住む出家した人、つまり入道ということで、明石の入道と呼びましょうか。
良清の想像どおり、明石の入道は良清に大切な娘をやるつもりはない。思い上がりの激しい人で、播磨の国の長官が娘を望んだって許さないくらいだもの。
その入道が、須磨に源氏の君がお越しだということを耳に挟んだ。張り切って妻に言う。
「桐壺の更衣がお生みになった源氏の君が、須磨で謹慎生活をしていらっしゃるらしい。姫の人生を輝かしいものにする絶好の機会だ。なんとかして姫を源氏の君に差し上げよう」
「何を夢のようなことを。源氏の君にはご身分の高い奥様がたくさんいらっしゃるのでしょう。その上さらに帝の最愛の女官にまで手をつけてしまわれて、それで都をお離れになったと聞いておりますよ。そのような方が、こんな田舎で育った姫にご興味など持たれますまい」
あきれて言う妻に入道は腹を立てる。
「そなたには分からぬだろうが、私には私の考えがある。おもてなしの準備をしておきなさい。この屋敷へお越しいただいてみせる」
いかにも頑固そうに言い放った。屋敷をまばゆいほど飾りたて、これまで以上に娘をたいそうな姫君扱いする。
「いくらご立派な方でも罪人でいらっしゃいますよ。わざわざそんな方を姫の婿になさらなくても。まぁ、あちら様だって田舎娘はお断りでしょうから、どのみちうまくいくはずはありませんけれど」
まったくありえないことのように妻が言うので、入道は早口で源氏の君をかばった。
「出る杭は打たれるのだ。何を隠そう亡き桐壺の更衣は私の従妹でいらっしゃる。美しさを頼りに錚々たるお妃が集まる内裏に入っていかれ、見事、桐壺帝のご愛情を独りじめなさった。ねたまれて若死になさったのは残念だったが、源氏の君を遺していかれたのだからご立派だ。若い娘というのはそういうふうに高望みをするべきだ。私が母更衣の親戚だとお知りになれば、田舎者の姫だからといって、あっさりお断りになることはないだろう」
入道の娘は、最高の美人というわけではないけれど、上品で教養がある。その点では都の高貴な姫君にも負けていない。本人は田舎で育ったことを残念に思っていて、
<身分の高い男性が私などを相手になさるわけがない。だからといって田舎者同士で結婚するのは嫌だ。両親に先立たれたら尼になるか、海に入って死のう」
と嘆いている。
入道は自分の人生のすべてをかけて娘の世話をしている。年に二回、住吉大社にお参りにいかせ、輝かしい将来になるよう神頼みもさせていた。



