野いちご源氏物語 一二 須磨(すま)

 須磨(すま)浜辺(はまべ)をしばらく歩いていくと、国境(くにざかい)を越えて、播磨(はりま)(くに)明石(あかし)の浜辺になる。
 良清(よしきよ)という家来(けらい)は、播磨の国の地方長官だった人の娘に片思いをしている。覚えているかしら、源氏(げんじ)(きみ)がまだ十代だったころ、北山(きたやま)の寺へ病気回復のお祈りに行かれた。そう、幼い(むらさき)(うえ)垣間(かいま)()なさったお寺よ。
 そこで良清は源氏の君のご気分を(まぎ)らわせるために、こんなお話をしていた。
『播磨の国と申せば、父の何代か前に長官をしていた人が変わり者でございましてね。任期(にんき)が終わっても都に戻らず、あちらで出家(しゅっけ)してしまったのです。明石の浜辺の豪邸(ごうてい)に住んでおりますよ。ふつう出家(しゅっけ)したら山奥に住むものですが、大切な一人娘のために人の多いところに屋敷を建てたそうでございます』

 その一人娘に何度も恋文を送っているのだけれど、まったく返事はない。ところが須磨へ来てしばらくしたころ、娘の父親から手紙が届いた。
「直接お会いしてご相談したいことがございますので、ぜひ明石までお越しください」
 奇妙(きみょう)な手紙だった。
<娘を私にくれるという話ではなさそうだ。明石まで出かけていって、よく分からない話に巻きこまれるのも馬鹿(ばか)馬鹿しい>
 へそを曲げている良清は行くつもりなどない。

 この父親は、明石に住む出家した人、つまり入道(にゅうどう)ということで、明石の入道と呼びましょうか。
 良清の想像どおり、明石の入道は良清に大切な娘をやるつもりはない。思い上がりの激しい人で、播磨の国の長官が娘を(のぞ)んだって許さないくらいだもの。
 その入道が、須磨に源氏の君がお越しだということを耳に(はさ)んだ。張り切って妻に言う。
桐壺(きりつぼ)更衣(こうい)がお生みになった源氏の君が、須磨で謹慎(きんしん)生活をしていらっしゃるらしい。(ひめ)の人生を輝かしいものにする絶好(ぜっこう)の機会だ。なんとかして姫を源氏の君に差し上げよう」

「何を夢のようなことを。源氏の君にはご身分の高い奥様がたくさんいらっしゃるのでしょう。その上さらに(みかど)の最愛の女官(にょかん)にまで手をつけてしまわれて、それで都をお離れになったと聞いておりますよ。そのような方が、こんな田舎(いなか)で育った姫にご興味など持たれますまい」
 あきれて言う妻に入道は腹を立てる。
「そなたには分からぬだろうが、私には私の考えがある。おもてなしの準備をしておきなさい。この屋敷へお越しいただいてみせる」
 いかにも頑固(がんこ)そうに言い(はな)った。屋敷をまばゆいほど(かざ)りたて、これまで以上に娘をたいそうな姫君(ひめぎみ)扱いする。

「いくらご立派な方でも罪人(ざいにん)でいらっしゃいますよ。わざわざそんな方を姫の婿(むこ)になさらなくても。まぁ、あちら様だって田舎(いなか)(むすめ)はお断りでしょうから、どのみちうまくいくはずはありませんけれど」
 まったくありえないことのように妻が言うので、入道は早口で源氏の君をかばった。
「出る(くい)は打たれるのだ。何を(かく)そう亡き桐壺の更衣は私の従妹(いとこ)でいらっしゃる。美しさを頼りに錚々(そうそう)たるお(きさき)が集まる内裏(だいり)に入っていかれ、見事、桐壺(きりつぼ)(てい)のご愛情を(ひと)りじめなさった。ねたまれて(わか)()になさったのは残念だったが、源氏の君を(のこ)していかれたのだからご立派だ。若い娘というのはそういうふうに(たか)(のぞ)みをするべきだ。私が(はは)更衣の親戚(しんせき)だとお知りになれば、田舎(いなか)(もの)の姫だからといって、あっさりお断りになることはないだろう」

 入道の娘は、最高の美人というわけではないけれど、上品で教養がある。その点では都の高貴(こうき)姫君(ひめぎみ)にも負けていない。本人は田舎で育ったことを残念に思っていて、
<身分の高い男性が私などを相手になさるわけがない。だからといって田舎者同士で結婚するのは嫌だ。両親に(さき)()たれたら(あま)になるか、海に入って死のう」
 と(なげ)いている。
 入道は自分の人生のすべてをかけて娘の世話をしている。年に二回、住吉(すみよし)大社(たいしゃ)にお参りにいかせ、輝かしい将来になるよう(かみ)(だの)みもさせていた。