野いちご源氏物語 一二 須磨(すま)

源氏(げんじ)(きみ)が都を離れることが世間に知られると、ほとんどの人は、
<信じられない。おかしなことだ>
と思っている。

源氏の君は三歳で母君(ははぎみ)を、六歳で祖母君(そぼぎみ)を亡くされて、それからずっと内裏(だいり)で亡き上皇(じょうこう)様にかわいがられてお育ちになった。
そのころ(みかど)でいらっしゃった上皇様は、源氏の君を一日中おそばに置いて、源氏の君が何かおっしゃると、にこにこしながら耳を(かたむ)けておられたわ。

はじめは最愛の皇子(みこ)がかわいらしくてそうなさっていたのよ。
でも、源氏の君は貴族たちが見落としているようなことに気づいたり、誰も思いつかないようなよい案を出したりなさるの。
どれも公平で思いやりのあるのご意見だったから、そのうち帝も源氏の君をご信頼なさって、「源氏が言うことなら」と、たいていのことはお認めになるようになった。

だから、上流貴族や中流貴族は、どなたも源氏の君に感謝しておられる。
もっと身分の低い人たちのなかにも、源氏の君のご(おん)を忘れていない人はたくさんいるのだけれど、まぁ、こんな時代では仕方がないわね。
右大臣(うだいじん)様も皇太后(こうたいごう)様も、気に()わないことをする人がいればすぐに(ばつ)をお与えになる。
そんななかで、あえて源氏の君のお見舞いに行こうなんて人はいるはずがないわ。
源氏の君はすべてお分かりになっているけれど、それでも、<つまらない世の中だ>とお思いになる。