麗景殿(れいけいでん)女御(にょうご)様と妹姫(いもうとひめ)がお住まいのお屋敷は、源氏(げんじ)(きみ)のご想像どおり、人気(ひとけ)がなく物寂しい雰囲気だった。
でもね、お庭の(たちばな)の木に咲いている花から、昔を思い出させるようなよい香りがするの。
古い和歌に出てくる「(はな)()(さと)」みたいに、花が散りはじめているお屋敷よ。

源氏の君はまず女御様にご挨拶(あいさつ)をして、上皇(じょうこう)様がお元気だったころのお話などをなさる。
女御様はお年を召されているけれど、上品なかわいらしさがおありになるわ。
<亡き上皇様はこの女御様を激しく愛されたわけではなかったが、心が安らぐ人だと信頼しておられた。それなのに、今はなんというお気の毒で心細そうなお暮らしぶりだろう>
と、源氏の君は悲しくなってしまわれる。

ほととぎすが鳴いた。
源氏の君はしみじみとおっしゃる。
「橘の花のよい香りに誘われてお訪ねしました。いえ、正直に申しますと、最近何かとつらいことばかりで、ふと女御様のことを思い出したのでございます。こうして上皇様のことをお話しできるお相手は少なくなる一方で、寂しく思っております。まして女御様は、私以上にお寂しくお過ごしでございましょう」

女御様は、
「普段は訪ねてくださる方もいらっしゃいませんから。今夜はあなた様にお越しいただいて、上皇様のお話までできてうれしゅうございました。橘の花に感謝しなければなりませんね」
とほほえまれる。
<やはり他の人にはない長所がおありだ。自然と心が安らいでいく>
源氏の君は、政治から()(もの)にされてすさんだお心が、なぐさめられたようだったわ。