野いちご源氏物語 〇九 葵(あおい)

 日が高くなってからのご出発になってしまった。大通りには、もう乗り物を停(と)められそうな場所がない。すでに停めてある乗り物の主(あるじ)と交渉(こうしょう)して場所を譲(ゆず)らせる。ほとんどの人が左大臣(さだいじん)家(け)に遠慮(えんりょ)して場所を譲るなか、どうしても動かない乗り物があった。
 たいした身分の人が乗っているとは思えない、質素な乗り物だった。ただ気になるのは、乗り物の簾(すだれ)の下からちらりと見える着物の色合いが、妙(みょう)に洗練(せんれん)されていること。身分の高い女性がこっそりと見物にいらっしゃったらしい。
「こちらはどかしてよいような乗り物ではない」
 謎(なぞ)の乗り物にお供している家来がきっぱりと言う。どちらの家来も浮(う)かれてお酒を飲んでいたから、若い人同士で喧嘩(けんか)が始まる。年配(ねんぱい)の家来が注意するけれど、若者の喧嘩など止められるはずもない。

 この謎の乗り物の主(あるじ)は六条(ろくじょう)の御息所(みやすんどころ)だった。源氏の君との関係に苦しむお心を慰(なぐさ)めようと、人目(ひとめ)を忍(しの)んで行列見物にいらっしゃっていた。左大臣家の家来は、実はそれに気づいている。
「今にも捨てられそうな愛人の家来が何を言う。まだ源氏(げんじ)の君(きみ)を頼りにしているのか」
 と大声で馬鹿(ばか)にした。