野いちご源氏物語 〇九 葵(あおい)

若君(わかぎみ)は目元のあたりが東宮(とうぐう)様によく似ていらっしゃる。
東宮様は中宮(ちゅうぐう)様と源氏(げんじ)(きみ)の秘密のお子だから、似ていらっしゃるのは当然かもしれないわね。
源氏の君は若君をご覧になるたび東宮様を思い出される。
東宮様が恋しくて、すぐにもお会いしたいとお思いになるの。

「長らく内裏(だいり)に上がっておりませんでしたので、これからひさしぶりに参ろうと思います。その前に、近くで少しお話しできますか」
と奥様にお尋ねになる。
奥様がご出産なさってから、まだ直接お顔を見て話をなさっていなかったのね。
女房(にょうぼう)たちは、
「奥様はまだおやつれでいらっしゃいますが、ご夫婦なのですもの。恥ずかしがったり気取ったりなさる必要はございませんでしょう」
と言って、奥様の寝床(ねどこ)のすぐ近くに源氏の君のお席をご用意したわ。

源氏の君がお声をおかけになると、奥様はときどきお返事をなさるのだけれど、そのお声はまだ弱々しい。
それでも一時は命も危ないご様子だったのだから、源氏の君は夢のような心地がなさる。
<あのときはもうこのまま亡くなってしまうかもしれぬと覚悟したのだったが、突然妖怪(ようかい)が話しはじめて>
と思い出されて、お(つむり)をお振りになる。
「お話ししたいことはたくさんありますが、もう少しご回復なさってからにしましょう。お薬をお飲みになりますか」
と優しく看病なさる。

あらためて奥様をよくご覧になると、ひどく弱っていらっしゃることに気づかれた。
とても(はかな)げなご様子で苦しそうになさっているのに、お(ぐし)は見事なまま。
ご病気のあと特有のお美しさも加わっているの。
<結婚してからもう十年、私はいったいこの人の何が気に入らなかったのだろう>
と思いながら、源氏の君はじっとご覧になる。

「内裏と上皇(じょうこう)様のところに上がったら、すぐに帰ってまいります。今日はお目にかかれてうれしかった。いつもは母君(ははぎみ)がぴったりついていらっしゃるので、私はご遠慮するしかありませんからね。さぁ、気を強くお持ちなさい。すぐにお元気になられましょう。母君が子ども扱いなさっても、それに甘えておられてはご回復が遅くなってしまいますよ」
と奥様を励ましてからお着替えに行かれる。

ちょうどその日は人事(じんじ)に関する大切な発表がある日で、左大臣(さだいじん)様もご子息(しそく)たちもそろって内裏へ上がられる。
奥様は、美しくご立派な源氏の君のお姿を、目に焼きつけるようにお見送りなさったわ。