貴族の方たちはそれぞれ解散なさって、中宮様と東宮様は内裏のお部屋へお戻りになる。
静かになったお庭に、月明かりがたいそう明るく差しこんで美しいの。
源氏の君はお酒に酔っていらっしゃった。
<この機会に中宮様にお会いできないだろうか>
と、藤壺の近くまでこっそり行かれる。
でも、しっかり戸締りされていて、王命婦を呼び出せそうな戸さえ開いていない。
嘆きながらふらふらと弘徽殿の方へ行かれると、こちらは一か所だけ戸が開いている。
弘徽殿の女御様は、どうやら帝のご寝室にお呼ばれになったのね。
ほとんどの女房たちはそのお供をしているらしく、こちらに残っている人は少なそうな気配よ。
源氏の君は濡れ縁に上がると、開いている戸から、そっと縁側を覗いてごらんになる。
誰も来ないの。
<ずいぶんと不用心な。こうやって男女の間に過ちが起きるものなのだが>
と思いながら中に入って見回してごらんになると、女房たちはついたての向こうで皆寝ているみたい。
そこへ、若い女性の声が聞こえてきたの。
ただの女房とは思われない美しい声よ。
「春の夜の朧月夜ほど美しいものはないわね」
と言いながら、縁側をこちらの方へ歩いてくる。
源氏の君はうれしくて、思わず女君の袖をつかんでしまわれた。
女君はさぞや恐ろしくお思いになったでしょうね、
「なんてこと。誰なの」
とおっしゃる。
「怖がらないで。あなたと私の運命の糸は、朧月のようにぼんやりとはしていませんよ。私にははっきり見えるのです」
と耳元でささやきながら、女君を抱きかかえてしまわれた。
縁側の奥にある部屋へ入って女君を下ろすと、戸をお閉めになる。
女君はとても驚いているけれど、おかわいらしさは消えきらない。
震えながら女房をお呼びになる。
「ここに知らない人が」
源氏の君は、
「私をとがめられる人はいませんから、女房をお呼びになっても無駄ですよ。お静かになさい」
とおっしゃる。
女君はその優雅なお声で男の正体に気づいた。
<源氏の君ならば、よいかしら。駄目なのかしら>
と迷っておられる。
<よくないかもしれないけれど、源氏の君につまらない女だと思われるのも嫌だわ>
というお心が、源氏の君に伝わってしまうの。
源氏の君は酔っていらっしゃる。
<この人を放してしまうのは惜しい>
と、ほほえみを浮かべてご覧になる。
女君は目をそらさない。
でもその目は、男を威嚇する目ではない。
<かわいらしい人だ>
と源氏の君はお思いになった。
あっという間に夜が明けてしまった。
女君は、ありとあらゆる感情で混乱している。
「あなたのことを教えてください。弘徽殿の女御様とどういうご関係なのですか。このままではお手紙も届けられない。まさかこれで終わりにするつもりはないでしょう」
と源氏の君がおっしゃると、
「私がどこの誰だか分からないとお手紙もくださらないの? 探し出そうとまでは思ってくださらないのね」
と、少しすねたようなお顔をなさる。
源氏の君は優しくおっしゃる。
「うっかりしたことを言ってしまったな。あなたを探しているうちに、誰かが私たちの関係に気づいたら困るでしょう。私のことがお嫌いでなければ、こちらの女御様とのご関係を教えてください。それともあなたは私がお嫌いですか」
女房たちが起きて、帝のご寝室とこちらを行ったり来たりしはじめた。
部屋の外の気配があわただしくなってきたので、源氏の君は人目を気になさる。
「あなたを探す手がかりに、せめて扇をいただいて帰りましょう」
と、ご自分の扇と女君の扇を交換なさったわ。
源氏の君は桐壺にお帰りになった。
すでに目を覚ましている女房も何人かいたけれど、
<また昨夜も女性のところにお泊まりになったのね。ご熱心ですこと>
とひそひそ話して寝たふりをしている。
源氏の君は横になっても寝られずにいらっしゃった。
<かわいらしい人だった。弘徽殿の女御様にはたくさん妹君がいらっしゃるから、おそらくそのうちのどなたかが、女御様のお話し相手として遊びにきておられたのだろう。まだ男をご存じなかったことからして、右大臣様の五、六番目の姫君だろうな。すでに人妻の姫君なら、ちょっとした遊びとして気楽だったのだが。
六番目の姫君は、たしか東宮様とご結婚なさる予定のはず。もしその姫君だったら気の毒なことをしてしまった。五番目か六番目のどちらかということまでは分かるが、ここで間違えると面倒なことになる。あちらも嫌そうではなかったのだから、もっとはっきり手紙のやりとりの方法を決めてしまうべきだった>
と、こんこんと考えておられたわ。
<それにしても、戸締りひとつをとっても、弘徽殿に比べて藤壺はしっかりしていた。そういうところにも主の人柄が出るのだろう>
と、藤壺の中宮様へのご尊敬が強まっていったみたい。
静かになったお庭に、月明かりがたいそう明るく差しこんで美しいの。
源氏の君はお酒に酔っていらっしゃった。
<この機会に中宮様にお会いできないだろうか>
と、藤壺の近くまでこっそり行かれる。
でも、しっかり戸締りされていて、王命婦を呼び出せそうな戸さえ開いていない。
嘆きながらふらふらと弘徽殿の方へ行かれると、こちらは一か所だけ戸が開いている。
弘徽殿の女御様は、どうやら帝のご寝室にお呼ばれになったのね。
ほとんどの女房たちはそのお供をしているらしく、こちらに残っている人は少なそうな気配よ。
源氏の君は濡れ縁に上がると、開いている戸から、そっと縁側を覗いてごらんになる。
誰も来ないの。
<ずいぶんと不用心な。こうやって男女の間に過ちが起きるものなのだが>
と思いながら中に入って見回してごらんになると、女房たちはついたての向こうで皆寝ているみたい。
そこへ、若い女性の声が聞こえてきたの。
ただの女房とは思われない美しい声よ。
「春の夜の朧月夜ほど美しいものはないわね」
と言いながら、縁側をこちらの方へ歩いてくる。
源氏の君はうれしくて、思わず女君の袖をつかんでしまわれた。
女君はさぞや恐ろしくお思いになったでしょうね、
「なんてこと。誰なの」
とおっしゃる。
「怖がらないで。あなたと私の運命の糸は、朧月のようにぼんやりとはしていませんよ。私にははっきり見えるのです」
と耳元でささやきながら、女君を抱きかかえてしまわれた。
縁側の奥にある部屋へ入って女君を下ろすと、戸をお閉めになる。
女君はとても驚いているけれど、おかわいらしさは消えきらない。
震えながら女房をお呼びになる。
「ここに知らない人が」
源氏の君は、
「私をとがめられる人はいませんから、女房をお呼びになっても無駄ですよ。お静かになさい」
とおっしゃる。
女君はその優雅なお声で男の正体に気づいた。
<源氏の君ならば、よいかしら。駄目なのかしら>
と迷っておられる。
<よくないかもしれないけれど、源氏の君につまらない女だと思われるのも嫌だわ>
というお心が、源氏の君に伝わってしまうの。
源氏の君は酔っていらっしゃる。
<この人を放してしまうのは惜しい>
と、ほほえみを浮かべてご覧になる。
女君は目をそらさない。
でもその目は、男を威嚇する目ではない。
<かわいらしい人だ>
と源氏の君はお思いになった。
あっという間に夜が明けてしまった。
女君は、ありとあらゆる感情で混乱している。
「あなたのことを教えてください。弘徽殿の女御様とどういうご関係なのですか。このままではお手紙も届けられない。まさかこれで終わりにするつもりはないでしょう」
と源氏の君がおっしゃると、
「私がどこの誰だか分からないとお手紙もくださらないの? 探し出そうとまでは思ってくださらないのね」
と、少しすねたようなお顔をなさる。
源氏の君は優しくおっしゃる。
「うっかりしたことを言ってしまったな。あなたを探しているうちに、誰かが私たちの関係に気づいたら困るでしょう。私のことがお嫌いでなければ、こちらの女御様とのご関係を教えてください。それともあなたは私がお嫌いですか」
女房たちが起きて、帝のご寝室とこちらを行ったり来たりしはじめた。
部屋の外の気配があわただしくなってきたので、源氏の君は人目を気になさる。
「あなたを探す手がかりに、せめて扇をいただいて帰りましょう」
と、ご自分の扇と女君の扇を交換なさったわ。
源氏の君は桐壺にお帰りになった。
すでに目を覚ましている女房も何人かいたけれど、
<また昨夜も女性のところにお泊まりになったのね。ご熱心ですこと>
とひそひそ話して寝たふりをしている。
源氏の君は横になっても寝られずにいらっしゃった。
<かわいらしい人だった。弘徽殿の女御様にはたくさん妹君がいらっしゃるから、おそらくそのうちのどなたかが、女御様のお話し相手として遊びにきておられたのだろう。まだ男をご存じなかったことからして、右大臣様の五、六番目の姫君だろうな。すでに人妻の姫君なら、ちょっとした遊びとして気楽だったのだが。
六番目の姫君は、たしか東宮様とご結婚なさる予定のはず。もしその姫君だったら気の毒なことをしてしまった。五番目か六番目のどちらかということまでは分かるが、ここで間違えると面倒なことになる。あちらも嫌そうではなかったのだから、もっとはっきり手紙のやりとりの方法を決めてしまうべきだった>
と、こんこんと考えておられたわ。
<それにしても、戸締りひとつをとっても、弘徽殿に比べて藤壺はしっかりしていた。そういうところにも主の人柄が出るのだろう>
と、藤壺の中宮様へのご尊敬が強まっていったみたい。



