野いちご源氏物語 〇六 末摘花(すえつむはな)

姫君(ひめぎみ)のいらっしゃるお部屋の方へ近づいたら、何か聞こえてくるかもしれない>
と、源氏(げんじ)(きみ)命婦(みょうぶ)の部屋からお出になった。
一度お庭に下りて、竹でつくった(へい)がぼろぼろになってしまっているところの影にお立ちになる。
すると、すぐ近くに別の男が立っているの。
<姫君に恋する者が他にもいたのか。私だと気づかれたら面倒だ>
と思ってこっそり離れようとなさると、男はさっと源氏の君に近づいてきて言う。
「よくも私を置いていかれましたね。ご一緒に内裏(だいり)を出ましたのに、あなたは思いもよらない方へ進んでいかれた。それがあまりに悲しくて、こんなところまでお(とも)してしまいましたよ」

その男は頭中将(とうのちゅうじょう)様だったの。
源氏の君はばかばかしくなってしまわれた。
苦笑いしながら、
「何をしておられるのです。お気づきになっても放っておいてくださればよいのに、わざわざついていらっしゃるなんて」
とおっしゃると、頭中将様はまた一歩近づいて、
「こんなふうに私があなたについて回ったら、どうなさいますか」
と意地悪をおっしゃる。
「まぁ、それは冗談ですがね。こんなふうに女性の家をこっそりお訪ねになるときは、お供の質が大切ですよ。私をお連れになればよろしいのに。そんな格好までなさって、誰かに見つかったらどうなさるおつもりです」
と源氏の君にご注意なさったわ。
でも、その頭中将様も、恋人の家に行くために下流貴族の格好をなさっているのよ。

どういうことだったかと言うとね。
実は源氏の君が内裏からお下がりになるとき、すぐ後ろに頭中将様がいらっしゃったのよ。
頭中将様はいつもの乗り物ではなく馬に乗っていらっしゃったし、恋人の家をこっそり訪ねるために下流貴族の格好をしておられたから、源氏の君はお気づきにならなかった。
頭中将様が後ろからご覧になっていると、源氏の君の乗り物は二条(にじょう)(いん)とも左大臣(さだいじん)(てい)とも違う方へ進んでいく。
源氏の君がどこに行かれるのか気になったから、恋人の家に行くのはやめて、あとをつけていらっしゃった。
思いもよらないお屋敷に源氏の君の乗り物が入って、頭中将様が首をかしげていらっしゃると、姫君の(きん)()が聞こえてきたの。
それを聞きながら源氏の君をお待ちになっていた、というわけ。

奥様の兄君(あにぎみ)である頭中将様に浮気がばれて、お説教までされてしまった源氏の君だけれど、負けた気はしておられない。
だって、頭中将様の恋人だった夕顔(ゆうがお)(きみ)を、ひそかにご自分の恋人にしたという自信がおありになったのですもの。