源氏の君はお寺に下りてお経を読んでいらっしゃる。午後になると発作が起きやすい。今日もだろうかと心配なさる。
「あまり気になさらない方がようございます。少しご気分を変えられては」
お供がそう申し上げるので、山を少し登って都の方角を見渡してごらんになった。
遠くまで霞がかかっていて、周囲の木々はぼんやりとしている。
「絵に描いたような景色だな。こんなところに住んだら、一年中景色を眺めて飽きないだろう」
ほう、とため息をついておっしゃる。
「ここなどはまだまだ。地方の絶景をお目にかけとうございます。ご趣味でお描きになる絵もますます上達なさることでしょうね」
お供たちは山や海の名前を挙げていく。富士の山、なんとかの岳、それから西国の名高い浦や磯。源氏の君のご気分がまぎれるようにおしゃべりをする。父親が地方長官程度の人たちだから、いろいろな場所に行った経験がある。
「都から近いところでは、播磨の国の明石の浦が見事でございますよ。何か特別なものがあるわけではありませんが、ゆったりとした海面に心が落ち着くという点では、あそこが一番でございましょう」
良清という名前のお供が申し上げた。この人は父親が播磨の国の長官をしている。
「播磨の国と申せば、父の何代か前に長官をしていた人が変わり者でございまして。任期が終わっても都に戻らず、あちらで出家してしまったのです。明石の浦近くの豪邸に住んでおりますよ。ふつう出家したら山奥に住むものですが、大切な一人娘のために人の多いところに屋敷を建てたそうでございます。
もともとは大臣が出るような立派な家の出身で、本人も上級貴族に出世できそうだったのですが、貴族社会での人付き合いを面倒がりましてね。自分から申し出て、地方長官などという格下の官職に移ったのでございます。朝廷で働くより気楽だろうと思ったのかもしれませんが、地方は地方で言うことを聞かぬ権力者がのさばっております。地方長官の仕事も嫌になり、かといって今さら都へ戻ることもできず、その国で出家してしまったというわけなのです。
先日父の供をして、挨拶がてらどんな人物か見てまいりました。長官をしていた間にずいぶん貯めこんだらしく、豊かな暮らしぶりで修行に明け暮れておりましたよ。僧侶になると見栄えがしなくなることが多いのですが、あの人は逆に男ぶりが上がったようでした」
源氏の君には聞き捨てならないところがあった。
「その一人娘はどういう人だ」
良清はにやりとする。
「見た目や人柄は悪くないようです。ただ、後任の長官たちが丁寧に結婚を申し込んでも、父親がすべて断ってしまうとか。いつも娘に言い聞かせているそうでございます。『私は落ちぶれたがあなたは違う。結婚に高い理想を持ってほしい。もし私が死んだ後、理想の結婚ができそうになければ、海に身を投げて死ぬ道を選びなさい』と」
あっけにとられる話だった。
「地方長官として都からやって来た中級貴族などでは、娘の結婚相手にふさわしくないと言うのか。海底の神のお妃にさせるつもりなのだな。なんという思い上がりだ」
お供たちは冗談を言って笑う。それから良清をからかった。
「そなたは女好きだから、その娘に父親の言いつけを破らせようとしているのだろう」
「元長官に挨拶だとか言って、本当の目的は娘に近づくことだったのではないか」
「まぁ、そうは言っても田舎娘じゃないか。幼いころからそんなところで育ったのだろう。しかも古めかしい親の言いなりではな」
良清はむくれて言い返す。
「父親もだが、母親も立派な家柄の人らしいのだ。よい女房たちを都から呼び寄せて、娘の世話をさせている」
「それじゃあ、力づくで欲しい物を手に入れる人が長官になったら、娘の父親はおちおち安心していられなくなるな」
また笑いが起きる。
源氏の君は首をかしげておっしゃった。
「どうしてそこまで極端なことを言うのだろう。父親の死後に娘が後追いなんてしたら、それはそれで世間から悪く言われるだろうに」
その娘に強く興味をお持ちになった。
<変わった女性を好まれる方だから、きっと気にしておいでだろう>
お供たちにはもちろん見抜かれている。
「日が暮れかかってまいりましたが、発作は起きないようでございますね。山伏のお祈りがさっそく効いたのでしょう。もう都にお帰りなっては」
今日のうちに帰ってしまいたいお供が申し上げたけれど、山伏はお止めした。
「ただの流行り病でなく、妖怪も憑りついているようなご様子でしたから、念のため今夜一晩お祈りをいたしましょう。明日ご出発なされませ」
なるほどそういうこともあるかとお供は納得する。源氏の君もめずらしい外泊をしてみたいと思って、
「それでは明日の明け方前に出発しよう」
とお決めになった。
「あまり気になさらない方がようございます。少しご気分を変えられては」
お供がそう申し上げるので、山を少し登って都の方角を見渡してごらんになった。
遠くまで霞がかかっていて、周囲の木々はぼんやりとしている。
「絵に描いたような景色だな。こんなところに住んだら、一年中景色を眺めて飽きないだろう」
ほう、とため息をついておっしゃる。
「ここなどはまだまだ。地方の絶景をお目にかけとうございます。ご趣味でお描きになる絵もますます上達なさることでしょうね」
お供たちは山や海の名前を挙げていく。富士の山、なんとかの岳、それから西国の名高い浦や磯。源氏の君のご気分がまぎれるようにおしゃべりをする。父親が地方長官程度の人たちだから、いろいろな場所に行った経験がある。
「都から近いところでは、播磨の国の明石の浦が見事でございますよ。何か特別なものがあるわけではありませんが、ゆったりとした海面に心が落ち着くという点では、あそこが一番でございましょう」
良清という名前のお供が申し上げた。この人は父親が播磨の国の長官をしている。
「播磨の国と申せば、父の何代か前に長官をしていた人が変わり者でございまして。任期が終わっても都に戻らず、あちらで出家してしまったのです。明石の浦近くの豪邸に住んでおりますよ。ふつう出家したら山奥に住むものですが、大切な一人娘のために人の多いところに屋敷を建てたそうでございます。
もともとは大臣が出るような立派な家の出身で、本人も上級貴族に出世できそうだったのですが、貴族社会での人付き合いを面倒がりましてね。自分から申し出て、地方長官などという格下の官職に移ったのでございます。朝廷で働くより気楽だろうと思ったのかもしれませんが、地方は地方で言うことを聞かぬ権力者がのさばっております。地方長官の仕事も嫌になり、かといって今さら都へ戻ることもできず、その国で出家してしまったというわけなのです。
先日父の供をして、挨拶がてらどんな人物か見てまいりました。長官をしていた間にずいぶん貯めこんだらしく、豊かな暮らしぶりで修行に明け暮れておりましたよ。僧侶になると見栄えがしなくなることが多いのですが、あの人は逆に男ぶりが上がったようでした」
源氏の君には聞き捨てならないところがあった。
「その一人娘はどういう人だ」
良清はにやりとする。
「見た目や人柄は悪くないようです。ただ、後任の長官たちが丁寧に結婚を申し込んでも、父親がすべて断ってしまうとか。いつも娘に言い聞かせているそうでございます。『私は落ちぶれたがあなたは違う。結婚に高い理想を持ってほしい。もし私が死んだ後、理想の結婚ができそうになければ、海に身を投げて死ぬ道を選びなさい』と」
あっけにとられる話だった。
「地方長官として都からやって来た中級貴族などでは、娘の結婚相手にふさわしくないと言うのか。海底の神のお妃にさせるつもりなのだな。なんという思い上がりだ」
お供たちは冗談を言って笑う。それから良清をからかった。
「そなたは女好きだから、その娘に父親の言いつけを破らせようとしているのだろう」
「元長官に挨拶だとか言って、本当の目的は娘に近づくことだったのではないか」
「まぁ、そうは言っても田舎娘じゃないか。幼いころからそんなところで育ったのだろう。しかも古めかしい親の言いなりではな」
良清はむくれて言い返す。
「父親もだが、母親も立派な家柄の人らしいのだ。よい女房たちを都から呼び寄せて、娘の世話をさせている」
「それじゃあ、力づくで欲しい物を手に入れる人が長官になったら、娘の父親はおちおち安心していられなくなるな」
また笑いが起きる。
源氏の君は首をかしげておっしゃった。
「どうしてそこまで極端なことを言うのだろう。父親の死後に娘が後追いなんてしたら、それはそれで世間から悪く言われるだろうに」
その娘に強く興味をお持ちになった。
<変わった女性を好まれる方だから、きっと気にしておいでだろう>
お供たちにはもちろん見抜かれている。
「日が暮れかかってまいりましたが、発作は起きないようでございますね。山伏のお祈りがさっそく効いたのでしょう。もう都にお帰りなっては」
今日のうちに帰ってしまいたいお供が申し上げたけれど、山伏はお止めした。
「ただの流行り病でなく、妖怪も憑りついているようなご様子でしたから、念のため今夜一晩お祈りをいたしましょう。明日ご出発なされませ」
なるほどそういうこともあるかとお供は納得する。源氏の君もめずらしい外泊をしてみたいと思って、
「それでは明日の明け方前に出発しよう」
とお決めになった。



