空き家にご到着なさった。
立派なお屋敷だけれど、きちんと手入れされていないことは一目で分かったわ。
うっそうとしたお庭の木々のせいで薄暗く、じめじめしている。
濃い霧も出ていたから、なんだか不気味な雰囲気なの。
源氏の君は、
「大変なところに来てしまったな。もっと手入れがされていると思っていたが。明け方に恋人と出かけて妙なところに迷いこむなんて、私は初めての経験ですよ。あなたはどうですか」
とお尋ねになる。
夕顔の君はご質問にはお答えしないで、
「私をどうなさるおつもりかも分からないのに、このようなところまでついてきてしまいました。あまりに心細いので、なんだかこのまま自分が消えてしまいそうな気がいたします」
と恥ずかしそうにおっしゃる。
源氏の君は女君が怖がっていらっしゃるのをご覧になって、
「小さな家が密集している場所で暮らしているから、広々とした屋敷や庭を人気がないように思って怖がるのだろう」
とお思いになっていた。
女君は嫌な予感がしておられたのだけれど、源氏の君はそれにお気づきにならなかったのね。
源氏の君と女君と右近を乗り物のなかでお待たせしたまま、屋敷の管理人が急いで室内を整えている。
右近は立派なお屋敷にうっとりしながら、これまでの女君のご苦労を思い出していた。
管理人の慌てぶりや話す内容から、男君の正体も確信したわ。
うっすら明るくなってきたころ、ようやくお屋敷にお入りになった。
急ぎであったのに、室内はすっきりと整えられている。
管理人はお庭の方を見て、
「お供がほとんどいらっしゃらないではありませんか。これではいけません。二条の院から何人かお呼びなされませ」
と申し上げるけれど、源氏の君は、
「わざとだ。ここを秘密の隠れ家にするのだから、誰にも言ってはならぬ」
とお命じになる。
管理人が簡単なお食事をお出ししようにも、人手が足りないくらいなのよ。
でもそのくらい人目がなくて放っておかれた方が、お二人にはご都合がよかったでしょうね。
源氏の君はこんな気楽な外泊は初めてのことで、思う存分に女君を愛されたわ。
お昼になってからお目覚めになった。
源氏の君はご自分で窓をお開けになったの。
明るい日の光で見渡すと、お庭は驚くほど荒れている。
気味悪く広々としているなかに、老木が何本もうっそうと立っているの。
お屋敷の近くには花壇らしきものがあるけれど、とくに何が咲いているわけでもない。
お池は水草に占拠されている。
ちょっとこれはひどいありさまよ。
源氏の君は、
「以前は風流な庭のある屋敷だと聞いていたけれど、空き家になってずいぶん荒れてしまったのだな。鬼でも出そうな雰囲気だが、鬼も私ならば見逃してくれるだろう」
なんて余裕な態度でいらっしゃった。
女君の前ではまだお顔を隠そうとなさっていたのだけれど、
「こんなところまで連れてきて、こちらの顔を隠しつづけるのも気の毒だ。これだけ明るいのだから隠しきることもできまい」
と、ついに女君にお顔をお見せになった。
「あなたが想像していたとおりの顔でしたか」
とお尋ねになると、女君は、
「あの日、夕暮れ時にちらりと拝見したお顔は、もっとお美しかったような」
と小さな声で意地悪をおっしゃる。
夕顔の君がそんな態度をなさったのは初めてで、源氏の君は「ここに来た甲斐があった」とお思いになっていたわ。
源氏の君の方も、気兼ねのないお屋敷でくつろいだ気分になっていらっしゃった。
そのお姿は信じられないほどのお美しさだけれど、薄気味悪い場所なだけに、かえって不吉な感じがしてしまったわ。
源氏の君はもうお互い何もかも明らかにしてしまおうと、
「あなたが素性をお隠しになるから、私も隠していたのですよ。さぁ、あなたももうご自分のことをお話しください」
とお願いなさる。
女君は、
「あちこちをさまよっているだけのつまらない女でございますから」
とかわいらしくおっしゃるだけ。
源氏の君は、
「そうか。最初から私が正直に名乗っていればよかったのだろうね」
とおっしゃって、女君を恨んでみたりせがんでみたりなさってお過ごしになったわ。
夕方になって、やっと惟光が源氏の君の居場所を見つけてやって来た。
でも、女房の右近が怖くて源氏の君に近づけない。
「謎の男君を夕顔の家に入れたのは、やはりあなただったのね。知らん顔をしていたくせに」
と怒られてしまいそうだものね。
惟光は遠くから、
「こんな妙な場所に連れてきてまでかわいがっておられるとは、よほどの女性なのだろう」
とおかしく思っていた。
静かな夕方の空をお二人でご覧になる。
部屋の奥の方は薄暗くて怖いと女君がおっしゃるので、明るい縁側でお二人は横になっていらっしゃるの。
このお屋敷にいらっしゃってから、女君はずっと何かを怖がっていて、源氏の君からお離れにならない。
幼い子どものようでかわいらしいと源氏の君はお思いになって、女君の髪をなでたり、安心させるようなお言葉をかけたりなさる。
女君もだいぶくつろいだご様子になってきたわ。
源氏の君は、窓を早めに閉めて灯りをつけるようお命じになった。
「こうしてすっかり打ちとけた関係になったのに、まだあなたは私に秘密をもっている」
と女君をお責めになる。
女君はやはり素性をおっしゃらず、優しくほほえんでいらっしゃったわ。
「今日はご連絡もせずに内裏に上がらなかったから、帝は私をお探しになっているだろう。お使者を二条の院や左大臣邸に行かせても見つからず、ご心配なさっているのでは」
と申し訳なくお思いになる。
「六条御息所のところにも最近は訪れていない。きっと思い悩んでおられることだろう。恨まれても仕方がない」
とあちこちのことを気になさった。
反省なさる一方で、
「御息所はこちらが息苦しくなるほど物事を深くお考えになる。この夕顔の君のように、何も考えずおっとりしたところが少しはあったらよいのに」
と思い比べていらっしゃったわ。
立派なお屋敷だけれど、きちんと手入れされていないことは一目で分かったわ。
うっそうとしたお庭の木々のせいで薄暗く、じめじめしている。
濃い霧も出ていたから、なんだか不気味な雰囲気なの。
源氏の君は、
「大変なところに来てしまったな。もっと手入れがされていると思っていたが。明け方に恋人と出かけて妙なところに迷いこむなんて、私は初めての経験ですよ。あなたはどうですか」
とお尋ねになる。
夕顔の君はご質問にはお答えしないで、
「私をどうなさるおつもりかも分からないのに、このようなところまでついてきてしまいました。あまりに心細いので、なんだかこのまま自分が消えてしまいそうな気がいたします」
と恥ずかしそうにおっしゃる。
源氏の君は女君が怖がっていらっしゃるのをご覧になって、
「小さな家が密集している場所で暮らしているから、広々とした屋敷や庭を人気がないように思って怖がるのだろう」
とお思いになっていた。
女君は嫌な予感がしておられたのだけれど、源氏の君はそれにお気づきにならなかったのね。
源氏の君と女君と右近を乗り物のなかでお待たせしたまま、屋敷の管理人が急いで室内を整えている。
右近は立派なお屋敷にうっとりしながら、これまでの女君のご苦労を思い出していた。
管理人の慌てぶりや話す内容から、男君の正体も確信したわ。
うっすら明るくなってきたころ、ようやくお屋敷にお入りになった。
急ぎであったのに、室内はすっきりと整えられている。
管理人はお庭の方を見て、
「お供がほとんどいらっしゃらないではありませんか。これではいけません。二条の院から何人かお呼びなされませ」
と申し上げるけれど、源氏の君は、
「わざとだ。ここを秘密の隠れ家にするのだから、誰にも言ってはならぬ」
とお命じになる。
管理人が簡単なお食事をお出ししようにも、人手が足りないくらいなのよ。
でもそのくらい人目がなくて放っておかれた方が、お二人にはご都合がよかったでしょうね。
源氏の君はこんな気楽な外泊は初めてのことで、思う存分に女君を愛されたわ。
お昼になってからお目覚めになった。
源氏の君はご自分で窓をお開けになったの。
明るい日の光で見渡すと、お庭は驚くほど荒れている。
気味悪く広々としているなかに、老木が何本もうっそうと立っているの。
お屋敷の近くには花壇らしきものがあるけれど、とくに何が咲いているわけでもない。
お池は水草に占拠されている。
ちょっとこれはひどいありさまよ。
源氏の君は、
「以前は風流な庭のある屋敷だと聞いていたけれど、空き家になってずいぶん荒れてしまったのだな。鬼でも出そうな雰囲気だが、鬼も私ならば見逃してくれるだろう」
なんて余裕な態度でいらっしゃった。
女君の前ではまだお顔を隠そうとなさっていたのだけれど、
「こんなところまで連れてきて、こちらの顔を隠しつづけるのも気の毒だ。これだけ明るいのだから隠しきることもできまい」
と、ついに女君にお顔をお見せになった。
「あなたが想像していたとおりの顔でしたか」
とお尋ねになると、女君は、
「あの日、夕暮れ時にちらりと拝見したお顔は、もっとお美しかったような」
と小さな声で意地悪をおっしゃる。
夕顔の君がそんな態度をなさったのは初めてで、源氏の君は「ここに来た甲斐があった」とお思いになっていたわ。
源氏の君の方も、気兼ねのないお屋敷でくつろいだ気分になっていらっしゃった。
そのお姿は信じられないほどのお美しさだけれど、薄気味悪い場所なだけに、かえって不吉な感じがしてしまったわ。
源氏の君はもうお互い何もかも明らかにしてしまおうと、
「あなたが素性をお隠しになるから、私も隠していたのですよ。さぁ、あなたももうご自分のことをお話しください」
とお願いなさる。
女君は、
「あちこちをさまよっているだけのつまらない女でございますから」
とかわいらしくおっしゃるだけ。
源氏の君は、
「そうか。最初から私が正直に名乗っていればよかったのだろうね」
とおっしゃって、女君を恨んでみたりせがんでみたりなさってお過ごしになったわ。
夕方になって、やっと惟光が源氏の君の居場所を見つけてやって来た。
でも、女房の右近が怖くて源氏の君に近づけない。
「謎の男君を夕顔の家に入れたのは、やはりあなただったのね。知らん顔をしていたくせに」
と怒られてしまいそうだものね。
惟光は遠くから、
「こんな妙な場所に連れてきてまでかわいがっておられるとは、よほどの女性なのだろう」
とおかしく思っていた。
静かな夕方の空をお二人でご覧になる。
部屋の奥の方は薄暗くて怖いと女君がおっしゃるので、明るい縁側でお二人は横になっていらっしゃるの。
このお屋敷にいらっしゃってから、女君はずっと何かを怖がっていて、源氏の君からお離れにならない。
幼い子どものようでかわいらしいと源氏の君はお思いになって、女君の髪をなでたり、安心させるようなお言葉をかけたりなさる。
女君もだいぶくつろいだご様子になってきたわ。
源氏の君は、窓を早めに閉めて灯りをつけるようお命じになった。
「こうしてすっかり打ちとけた関係になったのに、まだあなたは私に秘密をもっている」
と女君をお責めになる。
女君はやはり素性をおっしゃらず、優しくほほえんでいらっしゃったわ。
「今日はご連絡もせずに内裏に上がらなかったから、帝は私をお探しになっているだろう。お使者を二条の院や左大臣邸に行かせても見つからず、ご心配なさっているのでは」
と申し訳なくお思いになる。
「六条御息所のところにも最近は訪れていない。きっと思い悩んでおられることだろう。恨まれても仕方がない」
とあちこちのことを気になさった。
反省なさる一方で、
「御息所はこちらが息苦しくなるほど物事を深くお考えになる。この夕顔の君のように、何も考えずおっとりしたところが少しはあったらよいのに」
と思い比べていらっしゃったわ。



