日が暮れてから惟光は二条の院にやって来た。
源氏の君は近くにお呼びになって、
「もう本当に駄目であったか」
とお尋ねになる。
そうおっしゃりながら、すでに泣いておられて、着物の袖をお顔に当てていらっしゃるの。
惟光も涙を押さえきれない。
「残念でございましたが。お葬式は明日、私の知り合いの僧侶に行わせます」
と申し上げる。
「乗り物に同乗させた、右近という女房はどうした」
「女君と一緒に寺に預けてまいりました。一時は女君のあとを追って自害しそうなほど取り乱しておりましたよ。『夕顔の家で待っている女房たちに姫様の死を知らせたい』と申しましたが、説得して思いとどまらせました。騒ぎになってもよいことはありませんので」
それを聞いて源氏の君は、
「私もとても苦しくて、このまま死んでしまいそうな気がする」
と気弱なことをおっしゃった。
惟光は、
「もう何もお考えなさいますな。これも運命でございましょう。誰にも何も気づかれないように、私がすべてうまく手配しております。ご安心なされませ」
と申し上げる。
「私も運命だとあきらめようと思うのだが、自分の浮気心で人を死なせてしまった罪が苦しいのだ。誰にも言わないでくれ。そなたの母にもだ。厳しい乳母だから、どれほど叱られることか。私はいまだにあの人に頭が上がらない」
源氏の君は少年と青年の心を行ったり来たりして苦しんでおられた。
おふたりの会話がなんとなく聞こえる女房たちは、
「何事でございましょうね。穢れに触れたとおっしゃって内裏にも上がられない。しかもひそひそとお話しをなさって何かを嘆いていらっしゃる」
とあやしんでいた。
「丁寧に弔ってやってくれ」
と源氏の君は惟光にお願いなさる。
「いえ、こういうときは簡単になさった方がよろしゅうございます。目立ってはいけません」
と冷たいほどの口調で申し上げると、惟光は山積みの仕事に向かおうとした。
「そなたはあきれてしまうかもしれないが、もう一度あの人を見ることはできないだろうか。馬でこっそりと行く」
惟光はとんでもないことだと思ったけれど、小さく諦めのため息をついた。
「かしこまりました。それならば今すぐご出発なさって、夜、あまり遅くなる前にお戻りなさいませ。私もお供いたします」
と申し上げる。
源氏の君は夕顔の家に通うときにお召しになっていた粗末な格好で、馬でご出発なさった。
お心は乱れて耐えらえないほど。
昨夜恐ろしい目に遭われたことを思い出すと、山寺などへ出かけることは気が引けた。
でも、やはりもう一目だけでも女君を見て、かわいらしいお顔を目に焼きつけておきたいとお思いになったの。
ずいぶん遠い道のりにお感じになったわ。
山寺へ到着なさった。
寒々しいところよ。
惟光の知り合いだという尼は、寺のとなりの小さな小屋に住んでいるみたい。
その小屋からは右近の泣き声が聞こえた。
身分の高い僧侶がお経を読むありがたい声も聞こえてくる。
源氏の君はしばらく小屋の外に立って、涙を流していらっしゃったわ。
小屋にお入りになると、女君の亡骸が横たわっていて、右近はついたての向こうにいるようだった。
女君は生きているときと変わらない、かわいらしいご様子なの。
源氏の君は手をおとりになって、
「もう一度声を聞かせてください。あまりに短い愛情だったではないか。私を捨てて行ってしまうとは」
と声を上げてお泣きになる。
僧侶はくわしい事情を聞かされていないのだけれど、深いお悲しみは伝わって、もらい泣きなさっていた。
源氏の君は右近に、
「私の家、二条の院で仕えるがよい」
とおっしゃる。
右近をこのまま寺には置いておけない。
かといって、夕顔の家に戻って他の女房たちに事情を話されても困る。
夕顔の家の女房たちには、「女君と右近は謎の男に連れていかれて行方不明になってしまった」と思わせておきたかったのね。
右近は力なく首をふって、
「幼いころから片時も離れず姫様にお仕えしてまいったのでございます。私一人でどこへ行けましょう。火葬の煙と一緒に、私も煙になって消えとうございます」
と泣きながらお答えする。
源氏の君は、
「気持ちは分かるが、世の中とはこういうものなのだ。別れはいつだって悲しい。この人が死んでしまったのが寿命なら、そなたが生きているのも寿命のせいである。気を落ち着かせて私を頼れ。……あぁ、そう言っている私も、長く生きられないような気がするのだが」
とおっしゃる。
頼もしいのか頼もしくないのか、どうなってしまうのかしら。
惟光が、
「もう明け方になります。早くご出発なさいませ」
と申し上げる。
源氏の君は何度も振り返りながら小屋をお出になった。
右近はもうしばらく小屋に留まることになった。
外は朝の霧が一面に広がっていて、もうここで道に迷って死んでしまうのもよいかもしれないと源氏の君は思われた。
源氏の君は馬から落ちそうになりながらも、なんとか二条の院にたどり着かれたわ。
道中は気が動転してしまわれて、ずいぶんと見苦しいこともあったみたい。
何も知らない女房たちは深夜のお出かけをよく思わない。
「みっともないことをなさるわね。最近の夜遊びは度が過ぎていると拝見していたけれど。昨日はご体調がひどくお悪そうだったのに、どうしてまたお出かけになどなったのかしら」
と嘆きあっている。
源氏の君は近くにお呼びになって、
「もう本当に駄目であったか」
とお尋ねになる。
そうおっしゃりながら、すでに泣いておられて、着物の袖をお顔に当てていらっしゃるの。
惟光も涙を押さえきれない。
「残念でございましたが。お葬式は明日、私の知り合いの僧侶に行わせます」
と申し上げる。
「乗り物に同乗させた、右近という女房はどうした」
「女君と一緒に寺に預けてまいりました。一時は女君のあとを追って自害しそうなほど取り乱しておりましたよ。『夕顔の家で待っている女房たちに姫様の死を知らせたい』と申しましたが、説得して思いとどまらせました。騒ぎになってもよいことはありませんので」
それを聞いて源氏の君は、
「私もとても苦しくて、このまま死んでしまいそうな気がする」
と気弱なことをおっしゃった。
惟光は、
「もう何もお考えなさいますな。これも運命でございましょう。誰にも何も気づかれないように、私がすべてうまく手配しております。ご安心なされませ」
と申し上げる。
「私も運命だとあきらめようと思うのだが、自分の浮気心で人を死なせてしまった罪が苦しいのだ。誰にも言わないでくれ。そなたの母にもだ。厳しい乳母だから、どれほど叱られることか。私はいまだにあの人に頭が上がらない」
源氏の君は少年と青年の心を行ったり来たりして苦しんでおられた。
おふたりの会話がなんとなく聞こえる女房たちは、
「何事でございましょうね。穢れに触れたとおっしゃって内裏にも上がられない。しかもひそひそとお話しをなさって何かを嘆いていらっしゃる」
とあやしんでいた。
「丁寧に弔ってやってくれ」
と源氏の君は惟光にお願いなさる。
「いえ、こういうときは簡単になさった方がよろしゅうございます。目立ってはいけません」
と冷たいほどの口調で申し上げると、惟光は山積みの仕事に向かおうとした。
「そなたはあきれてしまうかもしれないが、もう一度あの人を見ることはできないだろうか。馬でこっそりと行く」
惟光はとんでもないことだと思ったけれど、小さく諦めのため息をついた。
「かしこまりました。それならば今すぐご出発なさって、夜、あまり遅くなる前にお戻りなさいませ。私もお供いたします」
と申し上げる。
源氏の君は夕顔の家に通うときにお召しになっていた粗末な格好で、馬でご出発なさった。
お心は乱れて耐えらえないほど。
昨夜恐ろしい目に遭われたことを思い出すと、山寺などへ出かけることは気が引けた。
でも、やはりもう一目だけでも女君を見て、かわいらしいお顔を目に焼きつけておきたいとお思いになったの。
ずいぶん遠い道のりにお感じになったわ。
山寺へ到着なさった。
寒々しいところよ。
惟光の知り合いだという尼は、寺のとなりの小さな小屋に住んでいるみたい。
その小屋からは右近の泣き声が聞こえた。
身分の高い僧侶がお経を読むありがたい声も聞こえてくる。
源氏の君はしばらく小屋の外に立って、涙を流していらっしゃったわ。
小屋にお入りになると、女君の亡骸が横たわっていて、右近はついたての向こうにいるようだった。
女君は生きているときと変わらない、かわいらしいご様子なの。
源氏の君は手をおとりになって、
「もう一度声を聞かせてください。あまりに短い愛情だったではないか。私を捨てて行ってしまうとは」
と声を上げてお泣きになる。
僧侶はくわしい事情を聞かされていないのだけれど、深いお悲しみは伝わって、もらい泣きなさっていた。
源氏の君は右近に、
「私の家、二条の院で仕えるがよい」
とおっしゃる。
右近をこのまま寺には置いておけない。
かといって、夕顔の家に戻って他の女房たちに事情を話されても困る。
夕顔の家の女房たちには、「女君と右近は謎の男に連れていかれて行方不明になってしまった」と思わせておきたかったのね。
右近は力なく首をふって、
「幼いころから片時も離れず姫様にお仕えしてまいったのでございます。私一人でどこへ行けましょう。火葬の煙と一緒に、私も煙になって消えとうございます」
と泣きながらお答えする。
源氏の君は、
「気持ちは分かるが、世の中とはこういうものなのだ。別れはいつだって悲しい。この人が死んでしまったのが寿命なら、そなたが生きているのも寿命のせいである。気を落ち着かせて私を頼れ。……あぁ、そう言っている私も、長く生きられないような気がするのだが」
とおっしゃる。
頼もしいのか頼もしくないのか、どうなってしまうのかしら。
惟光が、
「もう明け方になります。早くご出発なさいませ」
と申し上げる。
源氏の君は何度も振り返りながら小屋をお出になった。
右近はもうしばらく小屋に留まることになった。
外は朝の霧が一面に広がっていて、もうここで道に迷って死んでしまうのもよいかもしれないと源氏の君は思われた。
源氏の君は馬から落ちそうになりながらも、なんとか二条の院にたどり着かれたわ。
道中は気が動転してしまわれて、ずいぶんと見苦しいこともあったみたい。
何も知らない女房たちは深夜のお出かけをよく思わない。
「みっともないことをなさるわね。最近の夜遊びは度が過ぎていると拝見していたけれど。昨日はご体調がひどくお悪そうだったのに、どうしてまたお出かけになどなったのかしら」
と嘆きあっている。



