夜になった。
お二人がうとうとなさっていると、源氏の君の枕もとで何かが動く気配がした。
源氏の君が不審に思って目をお開けになると、美しい女性が座っている。
夕顔の君ではないの。
その女性は、
「こんなにあなたを愛している私を放っておいて、あなたはたいしたこともない女をかわいがっておられる。つらい、つらい」
と言いながら、夕顔の君を揺さぶって起こそうとする。
源氏の君は、そこではっと目を覚まされた。
「……夢か。この人が妖怪に襲われる夢をみた」
と、となりで眠る夕顔の君をご覧になったとき、突然部屋の灯りがすべて消えたの。
不気味にお思いになって、飾り刀を鞘から抜いて魔除けとして枕もとにお置きになる。
それから女房の右近をお起こしになった。
右近は何か悪いことが起きていると感じながら、源氏の君のおそばまでやって来たわ。
「渡り廊下に私の家来がいる。灯りを持ってまいるように伝えよ」
とお命じになると、右近は、
「無理でございます。暗くて、恐ろしくて」
と首をふる。
源氏の君は、
「子どものようなことを言う」
と苦笑なさって、手を叩いて家来を呼ぼうとなさる。
でも、その音が広いお屋敷にこだまして、よけいに恐ろしい感じがするの。
家来は来ない。
女君は震えながら汗をかいている。
今にも気を失ってしまいそうなご様子よ。
右近が、
「怖がりなご性格なのです。どんなに恐ろしく思っていらっしゃることか」
と心配する。
源氏の君は女君を気の毒にお思いになって、
「私が誰かを呼んでくる。手を叩いてもうるさいだけだ。そなたはこの人の近くにいてさしあげよ」
とおっしゃる。
渡り廊下に源氏の君の家来はいなかった。仕方なくその先に進もうとなさると、渡り廊下の灯りも突然消えてしまったの。
ひんやりとした湿った風が吹いている。
源氏の君は大声で人をお呼びになった。
家来は少し離れた部屋で寝てしまっているらしい。
先に管理人の息子があわてて起きてきたわ。
「私の家来に弓の弦を鳴らす魔除けをさせよ。それと灯りを寝室へ持ってまいれ。惟光はどこにいる」
と一息でおっしゃる。
管理人の息子は、
「惟光様はお帰りになりました。特に御用もなさそうだから、明日の朝早くお迎えにまいるとおっしゃいまして」
と恐縮しながらお答えした。
源氏の君は寝室にお戻りになった。
暗いなか手探りでお確かめになると、女君は先ほどのまま横になって、右近はうつぶせで気を失いかけている。
「いったいどうしたと言うのだ。少し怖がりすぎではないか。こういう荒れた屋敷は、狐が人をおどかすものだ。私がいるのだから狐など逃げていく。気をたしかに持て」
とおっしゃって、右近を抱え起こそうとなさる。
右近は、
「気分が悪くなってまいりました。姫様こそご無事でございましょうか」
と申し上げる。
「あぁ、どうしてこんなに」
とおっしゃいながら源氏の君が女君に触れると、女君は息をなさっていない。
揺すってごらんになるけれど、もう力が抜けてしまっているの。
「子どものように幼い性質の人だから、妖怪にも抵抗できなかったのかもしれない」
とお思いになる。
管理人の息子が灯りを持ってきた。
右近が廊下に出て受け取ればよいのだけれど、気が動転していて動けない。
源氏の君は仕方なく、ついたてを動かして夕顔の君をお隠しすると、
「部屋に入って、ここまで持ってまいれ」
とおっしゃる。
管理人の息子は、源氏の君のようなご身分の高い方のおそばに上がったことがない人なの。
遠慮してしまって近づいてこない。
「よいから持ってまいれ。遠慮などしている場合ではない」
とお命じなった。
灯りをかかげてご覧になると、女君の枕もとにはさっきの美しい女性がいた。
源氏の君は背筋がぞっとなさる。
「この人をどうするつもりなのだ。呪い殺すのか」
とお思いになった途端、妖怪の姿はふっと消えた。
まるで恐ろしい昔話のような気がされた。
でも現実なの。
目を閉じたままぐったりしている女君を起こそうとなさる。
「起きよ、おい、起きよ」
と声をおかけになるけれど、女君の体は冷えはじめているの。
息もなさっていない。
「どうしたらよいのだ。惟光も、頼りになりそうな者もいない。僧侶を呼んで回復のお祈りをさせねば」
と混乱なさっている。
取り乱さないようにしておられるけれど、やはり十七歳でいらっしゃるのね。
こんな事態に冷静にご対処なされるはずもなくて、
「生き返れ。生き返ってくれ、頼む」
と女君をお抱きしめになることしかできない。
源氏の君のお腕のなかで女君の体は冷えきってしまわれた。
右近は気分が悪いことも忘れて泣きわめいている。
「さすがにこのまま亡くなってしまうことなどないだろう。夜の声は響く。静かにせよ」
と源氏の君は気を強くもっておっしゃるけれど、かと言ってどうしたらよいかはお分かりにならない。
とにかく惟光を頼ろうとお思いになる。
家来に、
「惟光は母親の家にいるはずだ。すぐにこちらへ参るよう伝えよ。急病人が出たから、そこに僧侶がいれば一緒に連れてまいるように、と。惟光の母親には適当にごまかせ。私の乳母だから心配をかけたくない」
とお命じになった。
女君をこんなところで無残に死なせてしまったらと思うと、源氏の君は気が気でない。
あたりの不気味な気配はますます強くなっていったわ。
夜中を過ぎた。
強い風がお庭の木にぶつかりながら通っていく音がする。
ふくろうが不気味に鳴いている。
人の声は聞こえない。
源氏の君は、どうしてこんな屋敷に来てしまったのだろうと後悔していらっしゃった。
となりでは右近が震えている。
この者まで死ぬのではないかとお思いになって、源氏の君は支えておやりになる。
ご自分しか頼る人がいない状況に困惑なさっていた。
灯りはあるけれど薄暗い。
後ろから不気味な足音が聞こえるような気がなさるの。
「惟光、早くまいれ」
とお念じになったけれど、惟光は母親の家におらず、家来はあちこち尋ね歩いていた。
夜はまったく明ける気配を見せない。
ようやく明け方の鶏が遠くで鳴きはじめた。
「どのような運命でこんな命がけな目に遭うのか。私が軽はずみだったとはいえ、後々まで語られそうな不祥事だ。どんなに隠してもいつかは帝のお耳に入るだろう。貴族たちにも知られ、下々の者がおもしろおかしく噂にして、私は愚か者と笑われる」
と、どんどん悪い方へお考えが走る。
お二人がうとうとなさっていると、源氏の君の枕もとで何かが動く気配がした。
源氏の君が不審に思って目をお開けになると、美しい女性が座っている。
夕顔の君ではないの。
その女性は、
「こんなにあなたを愛している私を放っておいて、あなたはたいしたこともない女をかわいがっておられる。つらい、つらい」
と言いながら、夕顔の君を揺さぶって起こそうとする。
源氏の君は、そこではっと目を覚まされた。
「……夢か。この人が妖怪に襲われる夢をみた」
と、となりで眠る夕顔の君をご覧になったとき、突然部屋の灯りがすべて消えたの。
不気味にお思いになって、飾り刀を鞘から抜いて魔除けとして枕もとにお置きになる。
それから女房の右近をお起こしになった。
右近は何か悪いことが起きていると感じながら、源氏の君のおそばまでやって来たわ。
「渡り廊下に私の家来がいる。灯りを持ってまいるように伝えよ」
とお命じになると、右近は、
「無理でございます。暗くて、恐ろしくて」
と首をふる。
源氏の君は、
「子どものようなことを言う」
と苦笑なさって、手を叩いて家来を呼ぼうとなさる。
でも、その音が広いお屋敷にこだまして、よけいに恐ろしい感じがするの。
家来は来ない。
女君は震えながら汗をかいている。
今にも気を失ってしまいそうなご様子よ。
右近が、
「怖がりなご性格なのです。どんなに恐ろしく思っていらっしゃることか」
と心配する。
源氏の君は女君を気の毒にお思いになって、
「私が誰かを呼んでくる。手を叩いてもうるさいだけだ。そなたはこの人の近くにいてさしあげよ」
とおっしゃる。
渡り廊下に源氏の君の家来はいなかった。仕方なくその先に進もうとなさると、渡り廊下の灯りも突然消えてしまったの。
ひんやりとした湿った風が吹いている。
源氏の君は大声で人をお呼びになった。
家来は少し離れた部屋で寝てしまっているらしい。
先に管理人の息子があわてて起きてきたわ。
「私の家来に弓の弦を鳴らす魔除けをさせよ。それと灯りを寝室へ持ってまいれ。惟光はどこにいる」
と一息でおっしゃる。
管理人の息子は、
「惟光様はお帰りになりました。特に御用もなさそうだから、明日の朝早くお迎えにまいるとおっしゃいまして」
と恐縮しながらお答えした。
源氏の君は寝室にお戻りになった。
暗いなか手探りでお確かめになると、女君は先ほどのまま横になって、右近はうつぶせで気を失いかけている。
「いったいどうしたと言うのだ。少し怖がりすぎではないか。こういう荒れた屋敷は、狐が人をおどかすものだ。私がいるのだから狐など逃げていく。気をたしかに持て」
とおっしゃって、右近を抱え起こそうとなさる。
右近は、
「気分が悪くなってまいりました。姫様こそご無事でございましょうか」
と申し上げる。
「あぁ、どうしてこんなに」
とおっしゃいながら源氏の君が女君に触れると、女君は息をなさっていない。
揺すってごらんになるけれど、もう力が抜けてしまっているの。
「子どものように幼い性質の人だから、妖怪にも抵抗できなかったのかもしれない」
とお思いになる。
管理人の息子が灯りを持ってきた。
右近が廊下に出て受け取ればよいのだけれど、気が動転していて動けない。
源氏の君は仕方なく、ついたてを動かして夕顔の君をお隠しすると、
「部屋に入って、ここまで持ってまいれ」
とおっしゃる。
管理人の息子は、源氏の君のようなご身分の高い方のおそばに上がったことがない人なの。
遠慮してしまって近づいてこない。
「よいから持ってまいれ。遠慮などしている場合ではない」
とお命じなった。
灯りをかかげてご覧になると、女君の枕もとにはさっきの美しい女性がいた。
源氏の君は背筋がぞっとなさる。
「この人をどうするつもりなのだ。呪い殺すのか」
とお思いになった途端、妖怪の姿はふっと消えた。
まるで恐ろしい昔話のような気がされた。
でも現実なの。
目を閉じたままぐったりしている女君を起こそうとなさる。
「起きよ、おい、起きよ」
と声をおかけになるけれど、女君の体は冷えはじめているの。
息もなさっていない。
「どうしたらよいのだ。惟光も、頼りになりそうな者もいない。僧侶を呼んで回復のお祈りをさせねば」
と混乱なさっている。
取り乱さないようにしておられるけれど、やはり十七歳でいらっしゃるのね。
こんな事態に冷静にご対処なされるはずもなくて、
「生き返れ。生き返ってくれ、頼む」
と女君をお抱きしめになることしかできない。
源氏の君のお腕のなかで女君の体は冷えきってしまわれた。
右近は気分が悪いことも忘れて泣きわめいている。
「さすがにこのまま亡くなってしまうことなどないだろう。夜の声は響く。静かにせよ」
と源氏の君は気を強くもっておっしゃるけれど、かと言ってどうしたらよいかはお分かりにならない。
とにかく惟光を頼ろうとお思いになる。
家来に、
「惟光は母親の家にいるはずだ。すぐにこちらへ参るよう伝えよ。急病人が出たから、そこに僧侶がいれば一緒に連れてまいるように、と。惟光の母親には適当にごまかせ。私の乳母だから心配をかけたくない」
とお命じになった。
女君をこんなところで無残に死なせてしまったらと思うと、源氏の君は気が気でない。
あたりの不気味な気配はますます強くなっていったわ。
夜中を過ぎた。
強い風がお庭の木にぶつかりながら通っていく音がする。
ふくろうが不気味に鳴いている。
人の声は聞こえない。
源氏の君は、どうしてこんな屋敷に来てしまったのだろうと後悔していらっしゃった。
となりでは右近が震えている。
この者まで死ぬのではないかとお思いになって、源氏の君は支えておやりになる。
ご自分しか頼る人がいない状況に困惑なさっていた。
灯りはあるけれど薄暗い。
後ろから不気味な足音が聞こえるような気がなさるの。
「惟光、早くまいれ」
とお念じになったけれど、惟光は母親の家におらず、家来はあちこち尋ね歩いていた。
夜はまったく明ける気配を見せない。
ようやく明け方の鶏が遠くで鳴きはじめた。
「どのような運命でこんな命がけな目に遭うのか。私が軽はずみだったとはいえ、後々まで語られそうな不祥事だ。どんなに隠してもいつかは帝のお耳に入るだろう。貴族たちにも知られ、下々の者がおもしろおかしく噂にして、私は愚か者と笑われる」
と、どんどん悪い方へお考えが走る。



