ハルピンの秋は駆け足で遠り過ぎて11月になるとすぐに小雪がちらつくようになりました。道路は滑りやすくなり、学校の近くの池や川には氷が張るようになりました。いよいよ冬の到来かと思うと、かおりは防寒着に身を包んで寒さ対策を始めました。
長崎出身のかおりにとって、気温が零度以下に下がるような寒さには体が慣れていなかったので、体調管理に少し不安を感じることもありました。しかしそれよりもこれまで見たことがなかった美しい雪景色を見ることができるかもしれないと思うと、心がときめくことのほうが多かったです。雪を見るとロマンチックな気分に浸れるし、童話の『雪の女王』の世界にあこがれているかおりにとって、楽しみにしていた季節がついにやってきたと思って、心を弾ませていました。
12月になると、気温がさらに下がってきて、寒さが一段ときびしくなってきました。一日の平均気温は-20℃近くまで下がり、夜間には-30℃を下回る日もありました。それでもかおりは風邪を引くこともなく、毎日元気で頑張っていました。
中国の大学は二学期制で、9月から2月までが前期、3月から8月までが後期になっています。12月になると、入学直後からこれまで三か月間、軍事訓練のために授業がなかった新入生の授業も始まりました。
前期の試験は12月の下旬から年明けにかけておこなわれるので、年末から年始にかけては、教師にとっても学生にとっても一番忙しい時季です。寒いからと言って手を抜くことはできないので、みんな目の色を変えて、気を張りつめて頑張っていました。それでもクリスマスのときは、気持ちが幾分和らいで、好きな人にリンゴを贈ったり、ささやかなパーティーを開いて楽しいひとときを過ごす学生もいました。かおりも授業の準備のほかに、試験問題を2種類作って用意しなければならなかったので、猫の手も借りたいほど多忙な日々を送っていました。問題を2種類作るのは1つは追試用です。
年が明けて試験が終わると、採点をして点数を学校のコンピューターに入れました。かおりが受け持っている学生は350人ほどだったので、採点したり、点数を入れたりする作業はとても大変でした。春節(お正月)の休暇期間に入ると、学校は閉まってしまうので、それまでに点数の登録を全部終わらなければなりません。間に合うかどうか心配しながら、かおりは夜遅くまで学校に残って仕事をしていました。春節の休暇期間が始まる前日の午後、ようやく終えることができたので、かおりはほっとしていました。中国では春節の休暇期間は、旧暦の元旦を中心に前後7日間です。年によって休暇期間の時期が違います。今年は新暦の1月27日が旧暦の元旦なので、1月24日から1月30日までが休暇期間になりました。学校の休暇期間は、それよりも少し長くなるのが普通です。かおりが働いている黒竜江大学では1月20日から2月11日までが春節の休暇期間になりました。2月11日は元宵節(小正月)なので、この日まで学校は休みになります。
1月21日の朝、かおりは食事をすませると町に出て、道路わきにたくさん並んでいた露店を見て回って、赤い紙におめでたい言葉が書かれた『春联(しゅんれん)』と、吉祥を祈願する絵が描かれた『年画』を買いました。春節を祝うお正月飾りとして中国ではどちらもかかせないものです。『春联』は玄関に貼るもので、福を招き入れることができると言われています。かおりが買った『春联』には『好运来(幸運が訪れる)』と、書かれていました。年画は新しい年を祝ったり、新しい年の幸福を願って部屋の壁に貼る絵です。かおりが買った年画には干支の申の絵が描かれていて、絵の横には『福门开(福の門が開く)』という文字が書かれていました。
中国では赤は慶事を表す色だし、順調や成功や人から重視されたり歓迎されることの象徴だとされているので、お正月に飾る『春联』や『年画』は赤をベースにしたものばかりでした。宿舎に帰ると、かおりは『春联』や『年画』を玄関や部屋の壁に飾りつけて、春節を迎える準備をしました。
その日の午後、南京の周先生からメールが来ました。
「もうすぐ春節ですね。私は今、故郷の合肥にいます。両親や祖父母といっしょに楽しいひとときを過ごしています。祖父母はどちらも90歳を越えていますが、元気です。佐倉先生は国へはお帰りにならないのですか」
メールにはそう書かれていました。
「故郷にいらっしゃるご両親や、おじい様やおばあ様とごいっしょに楽しい春節をお過ごしになってください。私は、両親や祖父母はもういないので、国へ帰っても待っている人は誰もいないので帰らないことにしました。学校は来月の11日まで休みなので、休みの間に『氷雪大世界』を見に行こうと思っているところです」
かおりはそう返信しました。するとそのあとすぐに周先生からメールが来ました。「『氷雪大世界』ですか。いいですね。ぼくも見に行きたいなあ。ぼくの学校も来月の11日まで休みなので、2月になったら、もしかしたら飛行機のチケットが取れるかもしれません。もしチケットが取れたら、ハルビンに行くので、いっしょに見に行きませんか」
メールにはそのように書かれていました。
かおりはびっくりしました。まさか周先生がハルピンにいらっしゃるとは思ってもいなかったからです。でも一人で見に行くよりも、だれかといっしょに見に行くほうが楽しいのではないかと思ったので
「いいですね。でもチケットが取れるでしょうか」
と、かおりは返事を出しました。
「取れるかどうか、わかりませんが調べてみます」
周先生からそのようなメール来ました。それから2時間ほどしてから、周先生から再びメールが来ました。
「佐倉先生、チケットが取れました。来月1日の朝、ハルピンへ向かいます」
メールのなかから周先生のうれしそうな顔が見えるようでした。
「エコノミークラスのチケットは完売で取れませんでしたが、ファーストクラスのチケットを取ることができました。少し高くなりますが、大丈夫です。行きます」
「そうですか。よかったですね。到着時刻やフライトの便がわかったら、あとで教えてください。空港までお迎えにまいります。お会いできるのを楽しみにしております」かおりは、そう返信しました。
それから5日たった大晦日の朝、かおりの携帯が鳴りました。
「もしもし、外事局の陳麗紅です。佐倉先生、今日、お時間あられますか」
「はい、あります。何でしょうか」
「もし、よかったら、午後、うちへいらっしゃいませんか。年夜飯(年越し料理)や春節料理の作り方をお教えいたしますわ」
「わあ、うれしいです。私は年夜飯や春節料理の作り方をあまり知らないのでぜひ教えてください」
「はい、いいですよ」
陳さんからの思いがけないお誘いに、かおりは気持ちが高揚していました。
かおりは昼食をそそくさと済ませると、うちを出て、陳さんから言われたとおり62番のバスに乗って、陳さんのうちへ向かいました。陳さんのうちは市内にありますが、いつもは学校の教員宿舎に一人で住んでおられます。春節を目前に控えた今、陳さんは、実家に帰って、ご両親といっしょに新しい年を迎えようとしておられました。
陳さんから言われたバス停でバスを降りると、陳さんが待っていてくださいました。陳さんのうちに着くと、陳さんのご両親が笑顔で、かおりを迎えてくださいました。陳さんが入れてくださったジャスミン茶を飲んだり、お菓子をいただいてから、かおりはさっそく陳さんといっしょに、台所に立って料理を作り始めました。まず年夜飯から作ることにしました。
「年夜飯には魚料理はかかせないのよ」
陳さんがそうおっしゃいました。陳さんは冷蔵庫のなかから桂魚という魚を取り出して、まな板の上に載せて包丁でさばいてから蒸し器に入れて蒸し始めました。
「『桂魚の姿蒸し』は、年夜にはよく食べる料理なの。とてもおいしい料理だけど、全部食べないで少し残すのがマナーよ。『年年有余』という言葉があって、毎年、生活にゆとりがあるという意味があるの。余と魚は発音が同じだから、新しい年もゆとりがあるようにという意味をかけて、魚料理は少し残さなければならないの」
陳さんが、そのように説明してくださいました。かおりは、うなずきながら聞いていました。『桂魚の姿蒸し』のほか、『汤圆(あん入り団子)』の作り方も陳さんが教えてくださいました。
「『汤圆』のなかに入れるあんには小豆や黒胡麻など甘いものを使うのよ。家族が円満で甘い生活に満たされるようにという願いがこめられているの」
陳さんがそのように説明してくださいました。
料理ができあがると、陳さんのご家族といっしょに食卓を囲んで年夜飯を食べました。確かにみんな魚料理は少し食べ残しておられたので、かおりもみんなに倣って少し残しました。おなかがいっぱいになると、今度は春節料理を作り始めました。春節料理の定番といったら、なんといってもギョーザです。長沙や南京にいたころ、かおりは自分でギョーザを作って食べたことがあります。日本では焼きギョーザが主流ですが、中国では水ギョーザが主流です。
「ギョーザは今日の夜、年が変わる直前に作り始めて、深夜の1時ごろに食べるのが中国のならわしよ。ギョーザの形は、きんちゃくに似ているから縁起がいいと言われているし、春節の日にギョーザを食べると、富がもたらされると言われているの。ギョーザのなかには、キャンデー、ピーナッツ、コインなどを入れるわ。キャンデーには甘い生活が送れるという意味がこめられているし、ピーナッツは長生菓と書くから長寿に恵まれるという意味がこめられているし、コインにはお金持ちになれるという意味がこめられているの」
陳さんが、そう説明してくださいました。
「春巻き、長寿麺、年糕(おもち)も春節のときによく食べる料理よ」
陳さんがそうおっしゃって、冷蔵庫のなかから食材を取り出してテーブルの上に並べました。かおりは陳さんから、それぞれの料理の作り方や、縁起物であるいわれを聞いて、忘れないようにノートにメモしました。春巻きは春の象徴的な食べ物としてよく食べられるし、長寿麺は麺が長いほど寿命も長いと言われているので、歯でかみ切らないで長いまま食べるのがマナーだそうです。年糕は、発音が年高と同じなので、「年々高くなる」という意味があるそうです。収入や身分が年々上がってほしいという願いをこめて、年の初めに食べるのだそうです。日本のおせち料理にも、いろいろないわれがあったり、願いがこめられていることをかおりは知っていましたが、中国の春節料理にも、いろいろないわれがあったり、願いがこめられていることを、かおりは初めて知りました。夕方の五時ごろ、かおりは陳さんのうちをあとにしました。帰る途中、スーパーに立ち寄って春節料理で使う食材を買ってから帰りました。
宿舎に着くと、ココアを飲んだり、お菓子を食べてひと休みしてから、陳さんから習ってきたレシピを見ながら、春節料理を作り始めました。テレビをつけると、『春晚(春节聯欢晚会)』という娯楽番組があっていました。『春晩』は、日本の紅白歌合戦のようなものです。大晦日の夜、ギョーザを食べながら『春晩』を見ることが、中国人の習慣として、すっかり定着しています。歌だけでなくて、コントなどもたくさんあって、総合的なバラエティー番組として制作されているのが『春晩』の特色です。高尚なものから通俗的なものまで内容が多岐にわたっていて、中国の民族文化や人々の生活を反映した番組構成になっているので、『春晩』は中国全土で広く視聴されていて、中国の庶民にとって、年越しになくてはならない娯楽番組となっています。かおりは、陳さんに教えてもらったとおりに、新しい年に変わる寸前にギョーザを作り始めました。ギョーザの具には、キャンデーやピーナッツやコインを入れました。そして深夜の1時ごろに食べました。外では年明けの前後から新年を祝う爆竹や花火の音がパンパン鳴って、うるさくて寝られないほどでした。『守岁』といって、大晦日の夜には寝ないで年越しをするという習慣があるので、「郷に入っては郷に従え」ということで、かおりも、そうすることにしました。寝てしまうと新しい年に幸運に恵まれないそうです。テレビを見たり、長沙や南京でお世話になった先生方や学生たちに新年のあいさつを伝えるメールを出したりしながら、かおりは、朝まで起きていました。かおりに心を寄せている南京田家炳高級中学の周先生にもメールを出しました。するとすぐに周先生から返事がきました。
「明けましておめでとうございます。佐倉先生にとって新しい年が幸多い一年となりますように」
メールにはそう書かれていました。
「ありがとうございます。周先生にとっても、幸多い一年となりますように」
かおりはそのように返信しました。
「両親や祖父母に『红包(お年玉)』をあげたら、とても喜んでくれました」
「そうですか。よかったですね。ご家族の皆様が今年もつつがなくお元気でお過ごしになられますよう心から願っております」
かおりは心をこめて周先生のご家族の平安を願う気持ちを伝えました。
「ありがとうございます。春節にはどんなに遠く離れていても必ず故郷に帰っていって祖父母や両親に孝行をしたり、これまで受けてきた多くの恩に報いるのが中国の大切な伝統文化です。これからも祖父母や両親が元気であることを私も心から願っております」
周先生の家族への深い思いがこめられたメールに、かおりの心は熱くなっていました。「ところで、佐倉先生、ハルピンに到着する時間が決まりました。1日の朝、10時25分に着きます。もしご都合がつけば、空港までお出迎えにきていただけないでしょうか」
「分かりました。大丈夫です。必ず参ります。お会いできるのを楽しみにしております」
かおりはそのように返信しました。
それから5日たった2月1日の朝、かおりは朝食をすませるとバスと地下鉄を乗り継いでハルピンの太平国際空港に向かいました。10時ごろ空港に着いて到着ロビーでしばらく待っていると、周先生がにこやかな顔をしながら出てこられました。
「お出迎え、ありがとうございます」
青いボストンバッグを持って、白いマフラーに緑色の防寒帽をかぶった周先生が、かおりに声をかけました。
「お疲れになられたでしょう」
「いえいえ大丈夫です。佐倉先生に久しぶりにお会いできたので、うれしいです」
「ありがとうございます」
かおりは、にっこり答えました。
それからまもなく、かおりと周先生は空港内のレストランで食事をすませてから、地下鉄とバスを乗り継いで『氷雪大世界』の会場に行きました。ハルピンの『氷雪大世界』は、中国の国内はもとより海外にまで広く知られた有名なお祭りです。カナダのケベック、ノルウェーのオスロ、日本の札幌と並んで、世界四大雪まつりの一つに数えられています。かおりも周先生も雪まつりを見に行くのは初めてだったので、会場に着いたとたん、壮大な雪像や氷像を目にして、
「わぁ、すごい」
「こんなに大きなものがよく作れたなぁ」
と言って感嘆の声を上げていました。
高さが30メートルはあるような大きなお城や宮殿や神様の顔が、会場のあちこちに氷や雪で作られていて、大勢の観光客が見上げたり、スマートフォンやデジカメで写真に収めていました。
「あれはパリの凱旋門でしょ」
「そうだね。その隣にあるのはチベットのポタラ宮だ。氷の彫刻で作られたポタラ宮は、いちだんと神聖に見える」
「そうですね。神々しさにあふれているわ」
「あれはヒンズー教の女神であるラクシュミの顔をかたどった雪像だ」
「そうですか。いろいろなものがあって、目移りしてしまうわ」
「そうだね。夜になると、彫刻のなかにあるライトに明かりが灯されて、カラフルな電気の光が雪や氷に屈折して、昼間以上に幻想的に見えるそうだよ」
「そうですか。まるでメルヘンの世界ですね」
「うん、とてもきれいで、うっとりとしてしてロマンチックな気分になるそうだよ」周先生が目を少年のように輝かせていました。
「あらっ、あそこに滑り台があるわ。リュージュのようなそりに乗って、氷で作られたコースのなかをみんな楽しそうにすべっているわ」
「そうだね。佐倉先生、ぼくたちも滑りに行きませんか」
「いいですね。行こう、行こう」
かおりと周先生は意気投合しました。
それからまもなく、かおりと周先生は滑り台の乗り場まで行って二人乗りのそりに乗って滑り始めました。長さ百メートルぐらいの曲がりくねったコースを、ものすごいスピードで滑っているときの気持ちはスリル感にあふれていて、かおりは思わず「キャー」と声をあげずにはいられませんでした。スピードが速すぎたので、そりはゴールに着いたあとも、すぐには止まらないで、しばらく進んでから雪の壁にぶつかつて、ようやく停まりました。
「怖かったけど、刺激的で楽しかったわ」
「そうですね。こんなに、わくわくドキドキするような興奮感に包まれたことはこれまでなかった」
そりが停まったあと、かおりと周先生は顔を見合わせて、笑みを浮かべていました。「今度は何をしましょうか」
「そうだね。あそこに観光用の馬車が停まっているから、あれに乗りませんか」
周先生の提案に、かおりはうなずきました。
「いいですね。白馬ですね。まるでメルヘンのなかに出てくるペガサスのようだわ」 「そうだね。雪のなかを走る白馬。そして雪が降りしきるなか、フードもコートも真っ白になっているぼくたちは白い恋人たち」
周先生がそう、おっしゃったので、かおりは思わず、くすっと笑いました。
「佐倉先生、『白い恋人たち』という、フランスの映画をご存じですか」
「ええ、存じております。フランスのグルノーブルで開かれた冬季オリンピックの模様を記録した映画ですよね。見たことがあります。テーマ音楽も素晴らしくて、私はよくハープでその曲を弾いています」
「そうですか。私もその曲が大好きで、ギターでよく弾いています。まるで5月のそよ風のように、さわやかな曲ですよね」
「そうですね。いつか機会があったら、いっしょに合奏しませんか」
「いいですね」
かおりと周先生は話が弾んでいました。
それからまもなく、かおりと周先生は観光用の白馬に乗って、会場のなかを回りました。観光客たちが、じろじろ見ていたので、かおりと周先生は少し照れくさくなりました。
「なんだか童話の世界に出てくる王様になったような気分だなあ」
周先生がそうおっしゃいました。
「私は『雪の女王』になったような気分だわ」
かおりは、そう答えました。
『氷雪大世界』のメルヘン的な美しさを堪能して、心も体も満たされていたかおりと周先生は、『北国冰城(北の氷の都)』とも呼ばれているハルピンがますます好きにになっていました。
夕方の5時ごろ、かおりと周先生は『氷雪大世界』の会場をあとにしました。バスと地下鉄を乗り継いで、7時過ぎに空港に着くと、ファーストフードの店で軽い食事を取ってから、かおりと周先生は出発ロビーで別れました。
「今日はとても楽しかったです。佐倉先生、ありがとうございます」
周先生が丁重にお礼を言われました。
「こちらこそ、一生忘れられない楽しい思い出を作っていただき、ありがとうございます」
かおりも心から感謝の気持ちを伝えました。
長崎出身のかおりにとって、気温が零度以下に下がるような寒さには体が慣れていなかったので、体調管理に少し不安を感じることもありました。しかしそれよりもこれまで見たことがなかった美しい雪景色を見ることができるかもしれないと思うと、心がときめくことのほうが多かったです。雪を見るとロマンチックな気分に浸れるし、童話の『雪の女王』の世界にあこがれているかおりにとって、楽しみにしていた季節がついにやってきたと思って、心を弾ませていました。
12月になると、気温がさらに下がってきて、寒さが一段ときびしくなってきました。一日の平均気温は-20℃近くまで下がり、夜間には-30℃を下回る日もありました。それでもかおりは風邪を引くこともなく、毎日元気で頑張っていました。
中国の大学は二学期制で、9月から2月までが前期、3月から8月までが後期になっています。12月になると、入学直後からこれまで三か月間、軍事訓練のために授業がなかった新入生の授業も始まりました。
前期の試験は12月の下旬から年明けにかけておこなわれるので、年末から年始にかけては、教師にとっても学生にとっても一番忙しい時季です。寒いからと言って手を抜くことはできないので、みんな目の色を変えて、気を張りつめて頑張っていました。それでもクリスマスのときは、気持ちが幾分和らいで、好きな人にリンゴを贈ったり、ささやかなパーティーを開いて楽しいひとときを過ごす学生もいました。かおりも授業の準備のほかに、試験問題を2種類作って用意しなければならなかったので、猫の手も借りたいほど多忙な日々を送っていました。問題を2種類作るのは1つは追試用です。
年が明けて試験が終わると、採点をして点数を学校のコンピューターに入れました。かおりが受け持っている学生は350人ほどだったので、採点したり、点数を入れたりする作業はとても大変でした。春節(お正月)の休暇期間に入ると、学校は閉まってしまうので、それまでに点数の登録を全部終わらなければなりません。間に合うかどうか心配しながら、かおりは夜遅くまで学校に残って仕事をしていました。春節の休暇期間が始まる前日の午後、ようやく終えることができたので、かおりはほっとしていました。中国では春節の休暇期間は、旧暦の元旦を中心に前後7日間です。年によって休暇期間の時期が違います。今年は新暦の1月27日が旧暦の元旦なので、1月24日から1月30日までが休暇期間になりました。学校の休暇期間は、それよりも少し長くなるのが普通です。かおりが働いている黒竜江大学では1月20日から2月11日までが春節の休暇期間になりました。2月11日は元宵節(小正月)なので、この日まで学校は休みになります。
1月21日の朝、かおりは食事をすませると町に出て、道路わきにたくさん並んでいた露店を見て回って、赤い紙におめでたい言葉が書かれた『春联(しゅんれん)』と、吉祥を祈願する絵が描かれた『年画』を買いました。春節を祝うお正月飾りとして中国ではどちらもかかせないものです。『春联』は玄関に貼るもので、福を招き入れることができると言われています。かおりが買った『春联』には『好运来(幸運が訪れる)』と、書かれていました。年画は新しい年を祝ったり、新しい年の幸福を願って部屋の壁に貼る絵です。かおりが買った年画には干支の申の絵が描かれていて、絵の横には『福门开(福の門が開く)』という文字が書かれていました。
中国では赤は慶事を表す色だし、順調や成功や人から重視されたり歓迎されることの象徴だとされているので、お正月に飾る『春联』や『年画』は赤をベースにしたものばかりでした。宿舎に帰ると、かおりは『春联』や『年画』を玄関や部屋の壁に飾りつけて、春節を迎える準備をしました。
その日の午後、南京の周先生からメールが来ました。
「もうすぐ春節ですね。私は今、故郷の合肥にいます。両親や祖父母といっしょに楽しいひとときを過ごしています。祖父母はどちらも90歳を越えていますが、元気です。佐倉先生は国へはお帰りにならないのですか」
メールにはそう書かれていました。
「故郷にいらっしゃるご両親や、おじい様やおばあ様とごいっしょに楽しい春節をお過ごしになってください。私は、両親や祖父母はもういないので、国へ帰っても待っている人は誰もいないので帰らないことにしました。学校は来月の11日まで休みなので、休みの間に『氷雪大世界』を見に行こうと思っているところです」
かおりはそう返信しました。するとそのあとすぐに周先生からメールが来ました。「『氷雪大世界』ですか。いいですね。ぼくも見に行きたいなあ。ぼくの学校も来月の11日まで休みなので、2月になったら、もしかしたら飛行機のチケットが取れるかもしれません。もしチケットが取れたら、ハルビンに行くので、いっしょに見に行きませんか」
メールにはそのように書かれていました。
かおりはびっくりしました。まさか周先生がハルピンにいらっしゃるとは思ってもいなかったからです。でも一人で見に行くよりも、だれかといっしょに見に行くほうが楽しいのではないかと思ったので
「いいですね。でもチケットが取れるでしょうか」
と、かおりは返事を出しました。
「取れるかどうか、わかりませんが調べてみます」
周先生からそのようなメール来ました。それから2時間ほどしてから、周先生から再びメールが来ました。
「佐倉先生、チケットが取れました。来月1日の朝、ハルピンへ向かいます」
メールのなかから周先生のうれしそうな顔が見えるようでした。
「エコノミークラスのチケットは完売で取れませんでしたが、ファーストクラスのチケットを取ることができました。少し高くなりますが、大丈夫です。行きます」
「そうですか。よかったですね。到着時刻やフライトの便がわかったら、あとで教えてください。空港までお迎えにまいります。お会いできるのを楽しみにしております」かおりは、そう返信しました。
それから5日たった大晦日の朝、かおりの携帯が鳴りました。
「もしもし、外事局の陳麗紅です。佐倉先生、今日、お時間あられますか」
「はい、あります。何でしょうか」
「もし、よかったら、午後、うちへいらっしゃいませんか。年夜飯(年越し料理)や春節料理の作り方をお教えいたしますわ」
「わあ、うれしいです。私は年夜飯や春節料理の作り方をあまり知らないのでぜひ教えてください」
「はい、いいですよ」
陳さんからの思いがけないお誘いに、かおりは気持ちが高揚していました。
かおりは昼食をそそくさと済ませると、うちを出て、陳さんから言われたとおり62番のバスに乗って、陳さんのうちへ向かいました。陳さんのうちは市内にありますが、いつもは学校の教員宿舎に一人で住んでおられます。春節を目前に控えた今、陳さんは、実家に帰って、ご両親といっしょに新しい年を迎えようとしておられました。
陳さんから言われたバス停でバスを降りると、陳さんが待っていてくださいました。陳さんのうちに着くと、陳さんのご両親が笑顔で、かおりを迎えてくださいました。陳さんが入れてくださったジャスミン茶を飲んだり、お菓子をいただいてから、かおりはさっそく陳さんといっしょに、台所に立って料理を作り始めました。まず年夜飯から作ることにしました。
「年夜飯には魚料理はかかせないのよ」
陳さんがそうおっしゃいました。陳さんは冷蔵庫のなかから桂魚という魚を取り出して、まな板の上に載せて包丁でさばいてから蒸し器に入れて蒸し始めました。
「『桂魚の姿蒸し』は、年夜にはよく食べる料理なの。とてもおいしい料理だけど、全部食べないで少し残すのがマナーよ。『年年有余』という言葉があって、毎年、生活にゆとりがあるという意味があるの。余と魚は発音が同じだから、新しい年もゆとりがあるようにという意味をかけて、魚料理は少し残さなければならないの」
陳さんが、そのように説明してくださいました。かおりは、うなずきながら聞いていました。『桂魚の姿蒸し』のほか、『汤圆(あん入り団子)』の作り方も陳さんが教えてくださいました。
「『汤圆』のなかに入れるあんには小豆や黒胡麻など甘いものを使うのよ。家族が円満で甘い生活に満たされるようにという願いがこめられているの」
陳さんがそのように説明してくださいました。
料理ができあがると、陳さんのご家族といっしょに食卓を囲んで年夜飯を食べました。確かにみんな魚料理は少し食べ残しておられたので、かおりもみんなに倣って少し残しました。おなかがいっぱいになると、今度は春節料理を作り始めました。春節料理の定番といったら、なんといってもギョーザです。長沙や南京にいたころ、かおりは自分でギョーザを作って食べたことがあります。日本では焼きギョーザが主流ですが、中国では水ギョーザが主流です。
「ギョーザは今日の夜、年が変わる直前に作り始めて、深夜の1時ごろに食べるのが中国のならわしよ。ギョーザの形は、きんちゃくに似ているから縁起がいいと言われているし、春節の日にギョーザを食べると、富がもたらされると言われているの。ギョーザのなかには、キャンデー、ピーナッツ、コインなどを入れるわ。キャンデーには甘い生活が送れるという意味がこめられているし、ピーナッツは長生菓と書くから長寿に恵まれるという意味がこめられているし、コインにはお金持ちになれるという意味がこめられているの」
陳さんが、そう説明してくださいました。
「春巻き、長寿麺、年糕(おもち)も春節のときによく食べる料理よ」
陳さんがそうおっしゃって、冷蔵庫のなかから食材を取り出してテーブルの上に並べました。かおりは陳さんから、それぞれの料理の作り方や、縁起物であるいわれを聞いて、忘れないようにノートにメモしました。春巻きは春の象徴的な食べ物としてよく食べられるし、長寿麺は麺が長いほど寿命も長いと言われているので、歯でかみ切らないで長いまま食べるのがマナーだそうです。年糕は、発音が年高と同じなので、「年々高くなる」という意味があるそうです。収入や身分が年々上がってほしいという願いをこめて、年の初めに食べるのだそうです。日本のおせち料理にも、いろいろないわれがあったり、願いがこめられていることをかおりは知っていましたが、中国の春節料理にも、いろいろないわれがあったり、願いがこめられていることを、かおりは初めて知りました。夕方の五時ごろ、かおりは陳さんのうちをあとにしました。帰る途中、スーパーに立ち寄って春節料理で使う食材を買ってから帰りました。
宿舎に着くと、ココアを飲んだり、お菓子を食べてひと休みしてから、陳さんから習ってきたレシピを見ながら、春節料理を作り始めました。テレビをつけると、『春晚(春节聯欢晚会)』という娯楽番組があっていました。『春晩』は、日本の紅白歌合戦のようなものです。大晦日の夜、ギョーザを食べながら『春晩』を見ることが、中国人の習慣として、すっかり定着しています。歌だけでなくて、コントなどもたくさんあって、総合的なバラエティー番組として制作されているのが『春晩』の特色です。高尚なものから通俗的なものまで内容が多岐にわたっていて、中国の民族文化や人々の生活を反映した番組構成になっているので、『春晩』は中国全土で広く視聴されていて、中国の庶民にとって、年越しになくてはならない娯楽番組となっています。かおりは、陳さんに教えてもらったとおりに、新しい年に変わる寸前にギョーザを作り始めました。ギョーザの具には、キャンデーやピーナッツやコインを入れました。そして深夜の1時ごろに食べました。外では年明けの前後から新年を祝う爆竹や花火の音がパンパン鳴って、うるさくて寝られないほどでした。『守岁』といって、大晦日の夜には寝ないで年越しをするという習慣があるので、「郷に入っては郷に従え」ということで、かおりも、そうすることにしました。寝てしまうと新しい年に幸運に恵まれないそうです。テレビを見たり、長沙や南京でお世話になった先生方や学生たちに新年のあいさつを伝えるメールを出したりしながら、かおりは、朝まで起きていました。かおりに心を寄せている南京田家炳高級中学の周先生にもメールを出しました。するとすぐに周先生から返事がきました。
「明けましておめでとうございます。佐倉先生にとって新しい年が幸多い一年となりますように」
メールにはそう書かれていました。
「ありがとうございます。周先生にとっても、幸多い一年となりますように」
かおりはそのように返信しました。
「両親や祖父母に『红包(お年玉)』をあげたら、とても喜んでくれました」
「そうですか。よかったですね。ご家族の皆様が今年もつつがなくお元気でお過ごしになられますよう心から願っております」
かおりは心をこめて周先生のご家族の平安を願う気持ちを伝えました。
「ありがとうございます。春節にはどんなに遠く離れていても必ず故郷に帰っていって祖父母や両親に孝行をしたり、これまで受けてきた多くの恩に報いるのが中国の大切な伝統文化です。これからも祖父母や両親が元気であることを私も心から願っております」
周先生の家族への深い思いがこめられたメールに、かおりの心は熱くなっていました。「ところで、佐倉先生、ハルピンに到着する時間が決まりました。1日の朝、10時25分に着きます。もしご都合がつけば、空港までお出迎えにきていただけないでしょうか」
「分かりました。大丈夫です。必ず参ります。お会いできるのを楽しみにしております」
かおりはそのように返信しました。
それから5日たった2月1日の朝、かおりは朝食をすませるとバスと地下鉄を乗り継いでハルピンの太平国際空港に向かいました。10時ごろ空港に着いて到着ロビーでしばらく待っていると、周先生がにこやかな顔をしながら出てこられました。
「お出迎え、ありがとうございます」
青いボストンバッグを持って、白いマフラーに緑色の防寒帽をかぶった周先生が、かおりに声をかけました。
「お疲れになられたでしょう」
「いえいえ大丈夫です。佐倉先生に久しぶりにお会いできたので、うれしいです」
「ありがとうございます」
かおりは、にっこり答えました。
それからまもなく、かおりと周先生は空港内のレストランで食事をすませてから、地下鉄とバスを乗り継いで『氷雪大世界』の会場に行きました。ハルピンの『氷雪大世界』は、中国の国内はもとより海外にまで広く知られた有名なお祭りです。カナダのケベック、ノルウェーのオスロ、日本の札幌と並んで、世界四大雪まつりの一つに数えられています。かおりも周先生も雪まつりを見に行くのは初めてだったので、会場に着いたとたん、壮大な雪像や氷像を目にして、
「わぁ、すごい」
「こんなに大きなものがよく作れたなぁ」
と言って感嘆の声を上げていました。
高さが30メートルはあるような大きなお城や宮殿や神様の顔が、会場のあちこちに氷や雪で作られていて、大勢の観光客が見上げたり、スマートフォンやデジカメで写真に収めていました。
「あれはパリの凱旋門でしょ」
「そうだね。その隣にあるのはチベットのポタラ宮だ。氷の彫刻で作られたポタラ宮は、いちだんと神聖に見える」
「そうですね。神々しさにあふれているわ」
「あれはヒンズー教の女神であるラクシュミの顔をかたどった雪像だ」
「そうですか。いろいろなものがあって、目移りしてしまうわ」
「そうだね。夜になると、彫刻のなかにあるライトに明かりが灯されて、カラフルな電気の光が雪や氷に屈折して、昼間以上に幻想的に見えるそうだよ」
「そうですか。まるでメルヘンの世界ですね」
「うん、とてもきれいで、うっとりとしてしてロマンチックな気分になるそうだよ」周先生が目を少年のように輝かせていました。
「あらっ、あそこに滑り台があるわ。リュージュのようなそりに乗って、氷で作られたコースのなかをみんな楽しそうにすべっているわ」
「そうだね。佐倉先生、ぼくたちも滑りに行きませんか」
「いいですね。行こう、行こう」
かおりと周先生は意気投合しました。
それからまもなく、かおりと周先生は滑り台の乗り場まで行って二人乗りのそりに乗って滑り始めました。長さ百メートルぐらいの曲がりくねったコースを、ものすごいスピードで滑っているときの気持ちはスリル感にあふれていて、かおりは思わず「キャー」と声をあげずにはいられませんでした。スピードが速すぎたので、そりはゴールに着いたあとも、すぐには止まらないで、しばらく進んでから雪の壁にぶつかつて、ようやく停まりました。
「怖かったけど、刺激的で楽しかったわ」
「そうですね。こんなに、わくわくドキドキするような興奮感に包まれたことはこれまでなかった」
そりが停まったあと、かおりと周先生は顔を見合わせて、笑みを浮かべていました。「今度は何をしましょうか」
「そうだね。あそこに観光用の馬車が停まっているから、あれに乗りませんか」
周先生の提案に、かおりはうなずきました。
「いいですね。白馬ですね。まるでメルヘンのなかに出てくるペガサスのようだわ」 「そうだね。雪のなかを走る白馬。そして雪が降りしきるなか、フードもコートも真っ白になっているぼくたちは白い恋人たち」
周先生がそう、おっしゃったので、かおりは思わず、くすっと笑いました。
「佐倉先生、『白い恋人たち』という、フランスの映画をご存じですか」
「ええ、存じております。フランスのグルノーブルで開かれた冬季オリンピックの模様を記録した映画ですよね。見たことがあります。テーマ音楽も素晴らしくて、私はよくハープでその曲を弾いています」
「そうですか。私もその曲が大好きで、ギターでよく弾いています。まるで5月のそよ風のように、さわやかな曲ですよね」
「そうですね。いつか機会があったら、いっしょに合奏しませんか」
「いいですね」
かおりと周先生は話が弾んでいました。
それからまもなく、かおりと周先生は観光用の白馬に乗って、会場のなかを回りました。観光客たちが、じろじろ見ていたので、かおりと周先生は少し照れくさくなりました。
「なんだか童話の世界に出てくる王様になったような気分だなあ」
周先生がそうおっしゃいました。
「私は『雪の女王』になったような気分だわ」
かおりは、そう答えました。
『氷雪大世界』のメルヘン的な美しさを堪能して、心も体も満たされていたかおりと周先生は、『北国冰城(北の氷の都)』とも呼ばれているハルピンがますます好きにになっていました。
夕方の5時ごろ、かおりと周先生は『氷雪大世界』の会場をあとにしました。バスと地下鉄を乗り継いで、7時過ぎに空港に着くと、ファーストフードの店で軽い食事を取ってから、かおりと周先生は出発ロビーで別れました。
「今日はとても楽しかったです。佐倉先生、ありがとうございます」
周先生が丁重にお礼を言われました。
「こちらこそ、一生忘れられない楽しい思い出を作っていただき、ありがとうございます」
かおりも心から感謝の気持ちを伝えました。

