この学校では、食堂で助け舟を出してくれた彼女だけでなく、たくさんの先生方や学生たちが、とても親切にしてくれました。授業の進め方や生活のことで、かおりが困っていたときにはいつも適切なアドバイスを送ってくれたり、「教師の日」には記念の品を持ってきてくれたり、かおりの誕生日にはケーキで祝ってくれたりしました。ことあるごとに、かおりは、感謝、感謝の念を、いつも心に深く抱きながら日々の生活を送っていました。長沙の街中で大規模な反日デモや暴動が起きたことがありましたが、そのときには、同じ宿舎棟で暮らしている先生方がとても心配してくださいました。
「佐倉先生が無事でいらっしゃるかどうか確認しないと安心して眠れないのですよ。部屋の電気を消灯する前に必ず外から、佐倉先生のお部屋の明かりを確認するようにしています。明かりがついているときは、佐倉先生は今日も無事でよかったと思って安眠できるのです」
「学校の近くのスーパーに『日本鬼子(日本の畜生ども)』と書かれた張り紙が貼ってあったので、あのスーパーには絶対に行かないようにしてください」
先生方の優しさや気遣いが心にしみて、かおりは涙があふれてきて止まりませんでした。
その年も暮れて、クリスマス・イヴの日に、かおりが夕食を終えて宿舎でひと休みしていると、「トントン」と、ドアがノックされました。(誰だろう)と思って、ドアを開けると、ドアの前に、サンタクロースが立っていたので、かおりは、びっくりしました。赤い身ぐるみに身を包んだサンタクロースは、日本語学科の女子学生でした。思ってもいなかったハプニングに、かおりは目を白黒させていました。
「はい、これ、私たちからのプレゼントです」
クラスを代表してやってきたという、その女子学生は、背中に担いだリュックのなかから、ビニール袋を取り出して、かおりに渡しました。ビニール袋のなかには、きれいな紙とリボンでラッピングされた十個の小箱が入っていました。小箱はどれも、てのひらに載るほどの大きさです。
「えっ、何、これ。なかに何が入っているの」
けげんに思ったかおりは、サンタクロースに聞きました。
「りんごです。中国ではクリスマス・イヴには好きな人にりんごをプレゼントする習慣があるのですよ」
サンタクロースがそう答えました。
「クリスマス・イヴは中国語で『平安夜』と書きます。毎日、穏やかな日々が送れて静かで平安な夜を迎えられますようにという願いをこめて、クリスマス・イヴには、平穏の果実「平安果」を贈ります。「平安果」のことは「平果」と呼ばれるし、りんごの中国語『苹果』と発音が同じなので、クリスマス・イヴには、りんごをプレゼントします」
(へぇー、そうなんだあ。だからこの時季、スーパーでよく、りんごを見かけるのか)
サンタクロースの説明を聞いて、かおりは目からうろこが落ちたような顔をしていました。箱のなかには、りんごと一緒に、クリスマスカードが添えられていました。カードには中国語や、習ったばかりの日本語で感謝の言葉がたくさんつづられていました。 「先生、大好きです」「いつもありがとうございます」「楽しいクリスマスを」「またいろいろ教えてくださいね」「来年もよろしくお願いします」……
(緊迫した異郷の地で、たくさんの学生たちが私の平穏を願い、大好きだと伝えてくれている)
そう思うと、かおりの心のなかは感動で満たされていました。かおりにとって、これほど嬉しかったクリスマスプレゼントは初めてでした。思わず出そうになった涙を必死にこらえながら、かおりはサンタクロースに言いました。
「ありがとう。今日のことは一生忘れないわ。来年は私が学生一人ひとりに、りんごをプレゼントしますね」
「ありがとうございます」
サンタクロースは、ぺこっとお辞儀をしてから、にこやかな足取りで帰って行きました。
それから一週間あまりがたって、元旦になりました。
「先生、あけおめ」
今度は別のクラスの学生が男女合わせて十人ほど宿舎にやってきました。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくね」
かおりは、晴れやかな声で、そう答えました。
「先生、一人でお正月を過ごすのは寂しくないですか。よかったら私たちといっしょに新年を祝うパーティーに参加しませんか」
学生の一人がそう言って、かおりをパーティーに誘ってくれました。学生に誘われるままに、かおりは学生会館に行って、学生たちといっしょに楽しいひとときを過ごしました。学生たちは自分たちで作った料理を、かおりにふるまったり、ギターの伴奏でいっしょに歌を歌ったり、ゲームに興じたりして、本当に楽しくて時間がたつのも忘れるほどでした。
中国では旧暦でお正月を祝うので、新暦の一月一日は普通の休日といっしょです。休みも一日だけです。しかもそのころは学期末試験の真っただなかなので、学生たちにとってパーティーどころではなかったはずです。にもかかわらず、新暦でお正月を祝う日本の習慣を知って、かおりのために、わざわざ新年のパーティーを企画してくれたのでした。
新暦の元旦が過ぎてから一か月くらいたってから、中国のお正月である春節があります。春節は中国で一番大きい祝日で、学校の場合、三週間ぐらい休みになります。学生も先生方も普段は学校の敷地のなかにある宿舎のなかで生活していますが、春節が近づくとみんな故郷へ帰っていきます。春節の前には大晦日の日に食べる年越し料理や、新年を祝う飾り物や、縁起物の食べ物が露店でたくさん売られるので、それらを買い求める人で活気を呈します。日本では大晦日には年越しそばを食べますが、中国では年越しギョーザを食べることが一般的な習慣となっています。ギョーザのなかには、キャンデーや落花生やコインを入れます。キャンデーには甘い生活が送れるという意味がこめられているそうです。落花生は中国語で『長生菓』と書くので、元気で長生きができるという意味がこめられているのだそうです。コインを入れるのはお金に恵まれますようにという意味が込められているのだそうです。『郷に入りては郷に従え』ということで、かおりも、中国の習慣にならって、ギョーザのなかにキャンデーや落花生やコインを入れた水ギョーザを自分で作って食べました。
春節期間に入ると特に何もすることがなかったので、かおりは宿舎で、日本から持ってきたアイリッシュハープを弾いたり、近くの公園に散歩に行ったりしていました。春節が終わりに近づくと、学生たちも先生方も故郷から帰ってきたので、キャンパスに活気がよみがえってくるようになりました。春らしい日差しも徐々に差し込んできて、キャンパス内にある梅や桃の木に花が咲き始めていました。
二月十四日のバレンタインデーには、男子学生から赤いバラの花をもらいました。中国ではこの日は、男の人が女の人に花をプレゼントする日だということを、かおりは初めて知りました。
習慣の違いと言えば、端午の節句も、その一つでした。日本では端午の節句と言えば、新暦の五月五日で、こどもの日(男の子の節句)ですが、中国ではそうではありません。旧暦の五月五日が端午の節句だし、こどもの日ではありません。こどもの日は六月一日です。端午の節句には古来から伝わる悲話があって、その悲話に基づいて供養を行う日だそうです。昔、楚の国の詩人、屈原という人が世の行く末を悲嘆して、この日に川に身を投げたので、その死を悼んで行った供養祭が端午の節句の始まりだそうです。端午の節句にちまきを食べるという習慣は、日本にも中国から伝わってきて、広く根づいていますが、中国の場合、川の魚たちが屈原の身体をえさとして食べないように、魚たちのえさとして竹筒に入れた米を川に投げ入れたのが、そもそもの始まりだとされています。その後、この日にちまきを食べる習慣が広まっていったそうです。
端午の節句の日に、かおりは学生から、ちまきをもらいました。もち米のなかに豚肉を入れてクマザサの葉で包んでありました。
「今日の午後、近くの川でドラゴンボートレースがあるので、よかったら見に行きませんか」
ちまきをプレゼントしてくれた学生が誘ってくれました。
「ドラゴンボートレースですか」
聞きなれない言葉を耳にして、かおりは聞き返しました。
学生がうなずきました。
「そうです。端午の節句の日には、よくドラゴンボートレースがあるのです」
学生が説明してくれました。面白そうに思えたので、かおりは見に行くことにしました。
川辺に近づくと大勢の人たちが岸に立っていて
「加油(頑張れ)」と言って、声援を送っている姿が見えました。
川のなかをのぞきこむと、二十人ぐらいの漕ぎ手が乗った手漕ぎのボートが十五隻ほど並んでいるのが見えました。ボートのへ先には、大きなドラゴン(竜)の彫刻がほどこされていました。それを見て、かおりはドラゴンボートレースのいわれを初めて知りました。それからまもなくレース開始の合図があり、漕ぎ手たちは懸命にオールをこぎ始めました。ボートのなかには、どらや太鼓も積んであって、どんどんたたいて、漕ぎ手たちを鼓舞する人たちもいました。竜船に乗って速さを競う中国ならではの珍しいレースを、かおりは身を乗り出すようにして楽しそうに見ていました。
「川面を騒がせて、魚たちを驚かせて、魚たちが屈原の身体を食べるのを邪魔するのが目的で始まったと言われています」
誘ってくれた学生が、そのように話してくれました。
(そうか、そんないわれがあったのか)
盛り上がっているボートレースを見ながら、かおりは目からうろこが落ちたような顔をしていました。
「佐倉先生が無事でいらっしゃるかどうか確認しないと安心して眠れないのですよ。部屋の電気を消灯する前に必ず外から、佐倉先生のお部屋の明かりを確認するようにしています。明かりがついているときは、佐倉先生は今日も無事でよかったと思って安眠できるのです」
「学校の近くのスーパーに『日本鬼子(日本の畜生ども)』と書かれた張り紙が貼ってあったので、あのスーパーには絶対に行かないようにしてください」
先生方の優しさや気遣いが心にしみて、かおりは涙があふれてきて止まりませんでした。
その年も暮れて、クリスマス・イヴの日に、かおりが夕食を終えて宿舎でひと休みしていると、「トントン」と、ドアがノックされました。(誰だろう)と思って、ドアを開けると、ドアの前に、サンタクロースが立っていたので、かおりは、びっくりしました。赤い身ぐるみに身を包んだサンタクロースは、日本語学科の女子学生でした。思ってもいなかったハプニングに、かおりは目を白黒させていました。
「はい、これ、私たちからのプレゼントです」
クラスを代表してやってきたという、その女子学生は、背中に担いだリュックのなかから、ビニール袋を取り出して、かおりに渡しました。ビニール袋のなかには、きれいな紙とリボンでラッピングされた十個の小箱が入っていました。小箱はどれも、てのひらに載るほどの大きさです。
「えっ、何、これ。なかに何が入っているの」
けげんに思ったかおりは、サンタクロースに聞きました。
「りんごです。中国ではクリスマス・イヴには好きな人にりんごをプレゼントする習慣があるのですよ」
サンタクロースがそう答えました。
「クリスマス・イヴは中国語で『平安夜』と書きます。毎日、穏やかな日々が送れて静かで平安な夜を迎えられますようにという願いをこめて、クリスマス・イヴには、平穏の果実「平安果」を贈ります。「平安果」のことは「平果」と呼ばれるし、りんごの中国語『苹果』と発音が同じなので、クリスマス・イヴには、りんごをプレゼントします」
(へぇー、そうなんだあ。だからこの時季、スーパーでよく、りんごを見かけるのか)
サンタクロースの説明を聞いて、かおりは目からうろこが落ちたような顔をしていました。箱のなかには、りんごと一緒に、クリスマスカードが添えられていました。カードには中国語や、習ったばかりの日本語で感謝の言葉がたくさんつづられていました。 「先生、大好きです」「いつもありがとうございます」「楽しいクリスマスを」「またいろいろ教えてくださいね」「来年もよろしくお願いします」……
(緊迫した異郷の地で、たくさんの学生たちが私の平穏を願い、大好きだと伝えてくれている)
そう思うと、かおりの心のなかは感動で満たされていました。かおりにとって、これほど嬉しかったクリスマスプレゼントは初めてでした。思わず出そうになった涙を必死にこらえながら、かおりはサンタクロースに言いました。
「ありがとう。今日のことは一生忘れないわ。来年は私が学生一人ひとりに、りんごをプレゼントしますね」
「ありがとうございます」
サンタクロースは、ぺこっとお辞儀をしてから、にこやかな足取りで帰って行きました。
それから一週間あまりがたって、元旦になりました。
「先生、あけおめ」
今度は別のクラスの学生が男女合わせて十人ほど宿舎にやってきました。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくね」
かおりは、晴れやかな声で、そう答えました。
「先生、一人でお正月を過ごすのは寂しくないですか。よかったら私たちといっしょに新年を祝うパーティーに参加しませんか」
学生の一人がそう言って、かおりをパーティーに誘ってくれました。学生に誘われるままに、かおりは学生会館に行って、学生たちといっしょに楽しいひとときを過ごしました。学生たちは自分たちで作った料理を、かおりにふるまったり、ギターの伴奏でいっしょに歌を歌ったり、ゲームに興じたりして、本当に楽しくて時間がたつのも忘れるほどでした。
中国では旧暦でお正月を祝うので、新暦の一月一日は普通の休日といっしょです。休みも一日だけです。しかもそのころは学期末試験の真っただなかなので、学生たちにとってパーティーどころではなかったはずです。にもかかわらず、新暦でお正月を祝う日本の習慣を知って、かおりのために、わざわざ新年のパーティーを企画してくれたのでした。
新暦の元旦が過ぎてから一か月くらいたってから、中国のお正月である春節があります。春節は中国で一番大きい祝日で、学校の場合、三週間ぐらい休みになります。学生も先生方も普段は学校の敷地のなかにある宿舎のなかで生活していますが、春節が近づくとみんな故郷へ帰っていきます。春節の前には大晦日の日に食べる年越し料理や、新年を祝う飾り物や、縁起物の食べ物が露店でたくさん売られるので、それらを買い求める人で活気を呈します。日本では大晦日には年越しそばを食べますが、中国では年越しギョーザを食べることが一般的な習慣となっています。ギョーザのなかには、キャンデーや落花生やコインを入れます。キャンデーには甘い生活が送れるという意味がこめられているそうです。落花生は中国語で『長生菓』と書くので、元気で長生きができるという意味がこめられているのだそうです。コインを入れるのはお金に恵まれますようにという意味が込められているのだそうです。『郷に入りては郷に従え』ということで、かおりも、中国の習慣にならって、ギョーザのなかにキャンデーや落花生やコインを入れた水ギョーザを自分で作って食べました。
春節期間に入ると特に何もすることがなかったので、かおりは宿舎で、日本から持ってきたアイリッシュハープを弾いたり、近くの公園に散歩に行ったりしていました。春節が終わりに近づくと、学生たちも先生方も故郷から帰ってきたので、キャンパスに活気がよみがえってくるようになりました。春らしい日差しも徐々に差し込んできて、キャンパス内にある梅や桃の木に花が咲き始めていました。
二月十四日のバレンタインデーには、男子学生から赤いバラの花をもらいました。中国ではこの日は、男の人が女の人に花をプレゼントする日だということを、かおりは初めて知りました。
習慣の違いと言えば、端午の節句も、その一つでした。日本では端午の節句と言えば、新暦の五月五日で、こどもの日(男の子の節句)ですが、中国ではそうではありません。旧暦の五月五日が端午の節句だし、こどもの日ではありません。こどもの日は六月一日です。端午の節句には古来から伝わる悲話があって、その悲話に基づいて供養を行う日だそうです。昔、楚の国の詩人、屈原という人が世の行く末を悲嘆して、この日に川に身を投げたので、その死を悼んで行った供養祭が端午の節句の始まりだそうです。端午の節句にちまきを食べるという習慣は、日本にも中国から伝わってきて、広く根づいていますが、中国の場合、川の魚たちが屈原の身体をえさとして食べないように、魚たちのえさとして竹筒に入れた米を川に投げ入れたのが、そもそもの始まりだとされています。その後、この日にちまきを食べる習慣が広まっていったそうです。
端午の節句の日に、かおりは学生から、ちまきをもらいました。もち米のなかに豚肉を入れてクマザサの葉で包んでありました。
「今日の午後、近くの川でドラゴンボートレースがあるので、よかったら見に行きませんか」
ちまきをプレゼントしてくれた学生が誘ってくれました。
「ドラゴンボートレースですか」
聞きなれない言葉を耳にして、かおりは聞き返しました。
学生がうなずきました。
「そうです。端午の節句の日には、よくドラゴンボートレースがあるのです」
学生が説明してくれました。面白そうに思えたので、かおりは見に行くことにしました。
川辺に近づくと大勢の人たちが岸に立っていて
「加油(頑張れ)」と言って、声援を送っている姿が見えました。
川のなかをのぞきこむと、二十人ぐらいの漕ぎ手が乗った手漕ぎのボートが十五隻ほど並んでいるのが見えました。ボートのへ先には、大きなドラゴン(竜)の彫刻がほどこされていました。それを見て、かおりはドラゴンボートレースのいわれを初めて知りました。それからまもなくレース開始の合図があり、漕ぎ手たちは懸命にオールをこぎ始めました。ボートのなかには、どらや太鼓も積んであって、どんどんたたいて、漕ぎ手たちを鼓舞する人たちもいました。竜船に乗って速さを競う中国ならではの珍しいレースを、かおりは身を乗り出すようにして楽しそうに見ていました。
「川面を騒がせて、魚たちを驚かせて、魚たちが屈原の身体を食べるのを邪魔するのが目的で始まったと言われています」
誘ってくれた学生が、そのように話してくれました。
(そうか、そんないわれがあったのか)
盛り上がっているボートレースを見ながら、かおりは目からうろこが落ちたような顔をしていました。

