朝の七時。いつもより早い起床時間に、出島颯真(いずしまそうま)は苦笑する。
どうやら、柄にもなく緊張しているらしい。
子役時代に散々、人前に出たというのに。
長いブランク期間で、忘れてしまったのかもしれない。
人を喜ばせるのが好きだった。誰かが笑っている顔が好きだった。
だから、大学生になったのを機に、芸能界に戻ってきた。
また、笑顔を見る為にーー。

ベッドから降りて着替えていると、味噌汁の匂いがキッチンから漂ってくる。
ーーあっちだって、まだ起床には早いというのに。
どうやら、緊張しているのは、颯真だけではないらしい。
空腹を訴えてくる身体を動かすと、颯真は部屋を出たのだった。

「おはよう。水月(みつき)

顔を洗ってからキッチンに顔を出すと、男子の様に髪を短くした同居人がそこに居た。

「おはよう。ソウ君」

住み始めたばかりの頃は、誰も使わなかった最新鋭の機器が揃ったキッチン。
いつの間にか、調理器具が増え、冷蔵庫には食材が増え、戸棚には食器が増えていた。
同居人である水月の好みに、染まっていたのだった。

「お味噌汁の良い匂いだね」

くんくんと匂いを嗅ぐ颯真に、水月は微笑む。

「今朝は時間があったから、和食にしてみたんだ」

颯真も、水月も、食に対するこだわりは無い。
朝は時間があれば和食を食べていたし、時間が無い時は洋食を食べていた。
水月が作る料理はどれも美味しくて、常に颯真は舌鼓を打っていた。

「たまには和食もいいよね。手伝おうか?」
「もうすぐ完成するから大丈夫。テレビでも観て待ってて」

実家に住んでいた頃は、通いのお手伝いさんに家事を任せっきりにしていた颯真は、水月と暮らし始めた時、一切の家事が出来なかった。
暮らし始めて三か月。
ようやく洗濯だけは、自分で出来るようになった。
次は、料理を覚えるつもりだ。
いつまでも、水月に任せてばかりは嫌だから。

朝食の完成を待つ間、テレビをつけると朝の情報番組がやっていた、
「今朝の特集は! 今日の夕方に行われる歌の祭典『sing! sing! sing!』です!」

女性アナウンサーが朗々と読み上げていく。
「sing! sing! sing!」は、年に一回開催される大型ライブの一つだ。
事務所やジャンル、老若男女を問わず、多くのアーティストがステージや中継先から、歌を披露する。
全国にテレビ中継され、インターネットでも世界中に中継される。会場には、多くのファンが訪れ、大きな賑わいを見せるのだった。

「さて、ここからは今年デビューしたばかりの人気アーティストをご紹介します!
まずは、五十鈴芸能プロダクションが世に放った綺羅星ーー二人組ユニットのIM(イム)』!」

紹介と共に画面に映し出されたのは、デビューシングルのPVだった。
暗闇ステージで、スポットライトを浴びながら歌うのは、二人の男子(・・)颯真とーーもう一人の同居人。

「ほら、水月。俺たちが紹介されてるよ」

颯真はキッチンに向かって声を掛けるが、何も返事がなかった。

「水月?」

そっとキッチンに近づくと、火にかけた味噌汁の鍋の前に水月はいた。
唇を噛んでぐっと俯く水月を見て、颯真は気づいた。

「もしかして、緊張してる?」

コクリと水月は頷く。

「やっぱり、私に(ひかる)の代わりは無理だよ……」

小さく呟く水月の声は、けたたましく響く鍋のタイマーに消されたのだった。

二人組男子ユニットの「IM」には秘密がある。
リーダーの颯真とメンバーの光。
けれども、光の正体は、光の双子の妹の水月であった。

ユニット結成の前日に行方不明になった光の代わりに、颯真とユニットを組んだのは水月であったーー光の身代わりとして。
光が見つかるまでという条件の元、水月は光としてユニットを組んだ。
当初は颯真にも秘密にしており、頑なに他者との間に壁を作っていたが、秘密を共有してからは仲間として親しい関係となっていた。

家事が一切出来なかった颯真に代わり、水月は料理から掃除まで、家事を一手に担ってくれていた。
さすがに、水月に洗濯まで頼むのはーー男物の下着まで洗わせるのは気が引けるので、それだけは自分でやっていた。
ただ、使い切った洗剤や柔軟剤だけではなく、共有の風呂場に設置しているバスアメニティーの補充は、いつも颯真より先に水月がやってくれていた。

本人は、「自分が使い切ったから」と言っていたが、それだけではないと颯真は思っている。
水月自身がきっちりした性格なのだ。
おそらく、実家では光の代わりに、色んな事をやっていたのだろう。
最近では、共同生活をする上での家計簿まで付け始めたくらいだ。
そういう几帳面なところは、颯真と歳の離れた姉貴にそっくりだった。