マスクをした猫

第十七章 許しがたい行為

天気…草木が青々と茂っている。花もみずみずしく咲いている。しかし今日は終日、気温が上がらずに、花冷えのする寒い一日となった。季節があたかも早春の二月に逆戻りしたかのようだ。

ぼくは寝つきがよいので、夜眠れないことはめったにない。しかし昨夜はよく眠れなかった。万年亀が話してくれたことが、ずっと心に残って気が立っていたからだ。西洋のなかには中国の発展に対して、妬ましく思って、中国を目の敵(かたき)にしたり、目の上のたんこぶにして、『新型コロナウイル』の責任を中国にかぶせようとしている国があるという話に、腹が立っておさまらなかった。
(人の心はどうしてこんなに卑怯で恥知らずなのだろうか)
ぼくはそう思うと、目が冴えて、朝までずっと眠れなかった。
「お父さんは、いつまでたっても少しも変わらないのね」
妻猫がそう言った。
「義侠心(ぎきょうしん)にあふれていて、正義に反することは敵(かたき)のように憎んで絶対に許そうとしない……」
妻猫がぼくを見る目のなかに、愛と尊敬の念があふれているのが感じられた。
ぼくは眠れないまま、一晩中、寝返りを打ちながら、万年亀が話してくれた不愉快なことを、妻猫に話して聞かせた。
「お父さんの話を聞いているうちに、昔のことをふっと思い出したわ」
妻猫がそう言った。
「私が白玉塔のてっぺんに登ったとき、ほかの猫たちから嫉妬されて、下から怖い目で見られて包囲攻撃を受けたことを、まだ覚えていますか」
ぼくはうなずいた。
「あのときのことを私は、一生忘れない。私を助けるために、お父さんが孤軍奮闘して、あの猫たちと智力や勇敢さを戦わせて屈服させてくれたよね。そのために私はお父さんのことが好きになったの」
妻猫が不意に持ち出してきた昔の思い出が少し照れくさかったが、あの時のことを、ぼくは今、疫病の問題と関連づけて考えていた。嫉妬によってもたらされたという点で、どちらにも共通点があるからだ。もちろん、あの時の出来事は妻猫に降りかかってきた災禍であり、今起きている疫病の風評被害は、この国に降りかかってきた災禍ではあるが、悪質な点ではどちらも同じである。災禍に遭って苦難にじっと耐えているときは、気がふさいで晴れ晴れしないが、束縛から解き放されたときは、楽しくてたまらなくなる。
解き放されたといえば、今日、翠湖公園が再び市民に開放された。公園に散策に来る人が自由に出入りできるようになったことは何よりも喜ばしい出来事だ。ぼくの友だちである杜真子や馬小跳や唐飛や張達や毛超も再び翠湖公園に来て、ぼくや妻猫と会うことができるようになった。
これを機会に、老いらくさんはこれまで住んでいた梅園から出て、別の場所に引っ越すことにした。朝早く、ぼくは引っ越しの手伝いに行った。手伝いをしながら、ぼくは老いらくさんに、妻猫が昔、遭遇した艱難辛苦の出来事を話した。ぼくの話を聞いて、老いらくさんも感慨深そうな顔をしていた。
「あのときのことは、わしもよく覚えているよ。この町にいる猫たちの多くが翠湖公園のシンボルである白玉塔に登っていこうとした。でも途中で怖くなって、てっぺんまで誰も登っていくことができなかった。妻猫だけが、唯一、てっぺんまで登ることができた。そのために、ほかの猫たちからひどく妬まれて公園から追い出されてしまった。妻猫が一体、誰にどんな悪いことをしたというのだ。妻猫の優れているところが、ほかの猫たちの怒りを買ったのだ。地球上で今、起きていることにも同じことが言える。この国の優れている点が、ほかの国の妬みを買ったのだ。猫の心のなかにある嫉妬心も、人の心のなかにある嫉妬心も同じだ。嫉妬心が、憎しみと不信感を助長させて悪い方向に世情を発展させていく」
老いらくさんがそのように言った。それを聞いて、まったくそのとおりだと思った。猛威を振るっている『新型コロナウイルス』が、西洋諸国のなかに、まん延して、感染者の数が中国よりもはるかに超えてしまったので、そのために彼らは、むしゃくしゃして、中国を第一の張本人だとして、徒党を組んで中国に対する敵愾心(てきがいしん)をむき出しにして、中国と向かい合っているのだ。ぼくはそう思った。
ぼくと老いらくさんは話をしながら、老いらくさんの新しい引越し先にやってきた。そこは茶畑のなかにある休み茶屋から一番近いところにある橋の下だった。
「この橋は普段は人の通りが、わりと多いが、疫病で公園が閉鎖されている間は、ひっそりとしていた」
老いらくさんがそう言った。
公園の閉鎖が解除されたので、今日は記念すべきおめでたい日だ。この日に、老いらくさんの新しい住まいである、この橋の下に来たので、ぼくも老いらくさんも、新しい気持ちになって、だんだんここが好きになってきた。ぼくはふっと、万年亀のことを思い出した。万年亀の背中に乗って、この橋の下をくぐって、錦鯉のために餌まきをしたことがあったからだ。
「万年亀は今、どこにいるのかなあ。公園の閉鎖が、今日、解除されたことを、知っているだろうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「もちろん知っているさ。神様のような亀だからな」
老いらくさんが、そう答えた。
「ひょっとしたら、万年亀は、ここへ帰ってきている途中かもしれない」
老いらくさんがそう言った。
老いらくさんは、けっして口から出任せに勝手なことをいうネズミではない。万年亀が以前、『翠湖公園が開放されたら、戻ってきて、お祝いをする』と言ったことがあったので、そのことに基づいて推測をしているのだ。
翠湖公園に人が戻ってきた。昨日までは家のなかにじっとしていて、気がふさいでいた人たちが、久しぶりに公園にやってくることができたので、みんな体じゅうで喜びを表現していた。大人はまるで子どもに返ったように軽やかな気持ちで散策していた。子どもは子犬のように、ぴょんぴょん飛び回って、はしゃいでいた。みんなまだマスクをしているが、とても元気そうだ。
老いらくさんの新居から、人々の明るい光景がよく見えた。新居の周りは、にぎやかさと静けさがほどよく調和していたので、老いらくさんは絶好の環境のもとで、これから新しい生活を始めることになる。葛(かずら)で覆われている樹木越しに、橋の上から錦鯉に餌を与えている人の姿が見えた。休み茶屋でお茶を飲みながら話をしている人の声も聞こえてきた。
ぼくと老いらくさんは、久しぶりに見ることができた和やかな光景に、ほっとして、まどろんでいた。するとそのとき不意に
「笑い猫」
と、声をかけられたので、びっくりした。
「大先生……」
ぼくは思わず、声をあげた。老いらくさんも歓喜していた。
やはり万年亀は、翠湖公園の閉鎖が解除されたのを知って、約束通りに公園に戻ってきたのだ。
ボクと老いらくさんは、うれしくてたまらなかった。でも万年亀はあまり、うれしそうな顔をしていなかった。この前会ったときよりも、むしろ、不機嫌そうな顔をしていた。
「どうしたんですか」
ぽくはけげんに思って、万年亀に聞いた。
「どうにもこうにも、まったく予想もしていなかった事態が起きようとしている」
万年亀が、もどかしそうにそう言った。
「どういうことですか」
ぼくは聞き返した。
「二国間の戦争よりも、もっと恐ろしい『世界大戦』が始まったのだ」
ぼくには意味がよく分からなかった。
「西洋のなかのいくつかの国が連合を組んで、中国を『起訴』しようとしている」
万年亀がそう言った。
『起訴』の意味を、ぼくは知っている。裁判に訴えることだ。
「西洋のなかのいくつかの国が、今度の感染の元凶は中国にあるとして、中国を国際裁判に訴えようとしているのだ」
万年亀が不愉快そうに、そう言った。ぼくも不愉快に思った。
見当違いもはなはだしい。きちんとした、まん延防止策を取ることができない苛立ちから、自分たちの無能さは棚上げにして、中国にぬれぎぬを着せようとしているのか。ぼくはそう思って、腹の虫がおさまらなかった。
「一体、どんな理由に基づいて、彼らは中国を国際裁判に訴えようとしているのですか。目的は何ですか」
ぼくは憤懣(ふんまん)やるかたない思いを抱きながら、万年亀に聞き返した。
「賠償金の請求だよ」
万年亀がそう答えた。
「彼らはデマを飛ばして中国に汚名を着せている。『新型コロナウイルス』の源は中国にあり、中国から世界中に広まっていったと言っている。感染が拡大して、どの国も巨額の経済的な損失を被ったので、その責任を経済大国の中国になすりつけて、中国から多額の賠償金を取りたてることで経済的な損失の埋め合わせをしようとしている」
万年亀はそう説明した。
ぼくは驚いた。お金がほしくて、そのような常軌を逸した言いがかりをつけようとしているとしか思えない。そんな言いがかりが理にかなっていると思うのか。 
ぼくは堪忍袋の緒が切れて、胸が張り裂けそうになるくらいに激怒した。
「もし彼らが『新型コロナウイルス』に対する中国の対処の仕方を見習って、もっと早く対策を立てて実行していたら、中国と同じように感染拡大はとっくに抑えられていたはずです」
ぼくはそう言った。万年亀は、うなずいた。
「西洋の国々はどうして、そのようないじめを中国に対しておこなおうとするのか分かるか」
万年亀が聞いた。
「中国が世界の大国になったからでしょう」
ぼくはそう答えた。
「そうだよ。その通りだよ」
でも、ぼくにはどうしても分からないことがある。大国は本来、尊敬されるべきなのに、どうして、いじめの対象とされなければならないのかということだ。万年亀に聞いたら、次のように答えてくれた。
「今年は中国の暦で言えば庚子年。六十年に一度巡ってくる年だ。これまで庚子年には、中国にとって悪いことがよく起きた。庚子年に起きた歴史上の悲劇が今年、再び繰り返されようとしている」
ぼくには意味がよく分からなかった。
「歴史上の悲劇……ですか」
ぼくは聞き返した。
「そうだよ。歴史上の悲劇だよ。お前はまだ生まれていなかったから知らないだろうが、今から百二十年前は、今年と同じ庚子年だった。その時も中国は大きな災難に見舞われた」
万年亀は、そう言って、その時のことを思い出していた。万年亀は一万年も生きてきているので、百二十年前のことは昨日のことのように記憶が新しい。その時に起きた歴史的な悲劇を思い出して、万年亀はとても沈痛な表情をしていた。
「あのころの中国はとても貧しくて、西洋の国々と比べると、はるか後塵を拝していた。十年も二十年も遅れをとっていたと言っても、けっして言い過ぎではないほど遅れていた。軍事力も経済力も弱かったので、西洋の国々のなかには中国に来て、家を焼き払ったり、人を殺したり、金品を略奪する行為を繰り返しておこなっていた国もあった。明や清の王朝が置かれていた紫禁城を占領するという暴挙も、西洋の国々は力でおこなった。その頃の清王朝は西洋の国々に抵抗するだけの力がなかったので、やむをえず、列強への従属を余儀なくされるという屈辱的な内容の不平等条約に調印せざるを得なかった。この条約が歴史上有名な『辛丑条約(北京議定書)』と呼ばれているものだ。その年は庚子年だったので、その条約に基づいて支払うことになった賠償金は『庚子賠償金』と呼ばれていて、三十九年もかけて四億五千万両という、とてつもない賠償金を、利息をつけて支払わなければならなかった。あれから百二十年がたって今年、再び庚子年が巡ってきたので、西洋の国々は、二回目の『庚子賠償金』を中国から取り立てようとしているのではないだろうか」
万年亀がそう言った。万年亀の話を聞いているうちに、ぼくは思わず、はらわたが煮えくり返るほどの怒りがこみあげてきた。外国から強盗が入ってきて、力にものをいわせて中国の貴重な土地やものを好き勝手に略奪して、その上、巨額の賠償金まで取り立てるとは、狂気の沙汰としか思えない。
「本当にひどい話だろう。あの時の出来事は、中華民族にとって、それまでなかった最大の屈辱であり、深い教訓となって、人々の心に残った。貧乏で遅れていることによってもたらされた悲劇だと思って、人々は、『臥薪嘗胆』の念を心にずっと抱きながら、国力をつけるために全身全霊を打ち込んできた」
万年亀の話に、ぼくは耳を傾けて聞き入っていた。
(なるほど、そういうわけで、中国が、ひと昔前には考えられなかったほど急速に発展してきたのか)
目からうろこが落ちたような思いがした。中国の人たちの心のなかに深い痛みや屈辱的な思いがあって、それにじっと耐えながら、いつかはきっと恨みを晴らしてやると思って、血のにじむような努力を重ねてきたのだ。そういった艱難辛苦の日々に、今、ようやく花が咲いて、急速に力をつけてきて世界有数の大国にまでなったのだ。中国はかつては『眠れる獅子』に例えられていたが、ようやく目を覚まして雄々しい雄ライオンとして世界に君臨するまでになったのだ。尊厳あふれる態度で、にらみを利かして、ほかの国に威圧感を与えるまでになったのだ。それなのに西洋の国々のなかには大胆不敵にも東洋の雄ライオンを恐れることもせずに、中国から賠償金を取りたてようとするのだろうか。それとも中国をまだ眠らせたままにしておいて、以前のように中国から利益をむさぼり取ろうとしているのだろうか。ぼくにはそうとしか思えなかった。
「中国をこれまでのように眠らせたままにして、災禍の責任を中国になすりつけるために、西洋の国々は中国に対して訴訟を起こそうとしている」
万年亀がそう言った。やはり、ぼくが思っていた通りだった。
「しかし訴訟を起こすためには確固たる証拠が必要だ。証拠は出てこないはずだ。もし万が一、証拠らしきものを捏造(ねつぞう)して、本当に訴訟が起こされたら、わしは証言者として法廷に立ちたいくらいだ。『新型コロナウイルス』の発生源は絶対に中国ではないことや、中国で初めて発見される以前に、もうすでに他の国に感染者がいて、それらの感染者が亡くなった原因が、ごく普通の流行性感冒によるものと誤診されていたことは、紛れもない事実である」
万年亀は正義感に燃えながら、そう言った。
万年亀は日夜を問わず、地球上のあちこちをくまなく歩き回っているので、世界の情況を客観的に観察して、よく知っている。物事の善悪を正しく判断したり、豊富な経験に基づいて、高い識見を持ち、道理にも通じている。万年亀こそ、最も冷静で、最も公正な立場から、事実を証言できる有能な裁判官ではないかと、ぼくは思っている。