第十三章 月に浮かぶ子どもの顔
天気……今夜はこれまで見たこともないような、とてもきれいな月が輝いている。水のように透き通った月の光が、柔らかに大地に降り注ぎ、金色に輝く満月の影が翠湖のなかに逆さまに映り、深い趣を醸し出している。こんなに美しい翠湖を、ぼくはこれまで見たことがなかった。
馬小跳のうちから帰る間際に、馬小跳のお父さんが、マスクを新しく持ってきて、今までのマスクと取り替えてくれた。お母さんは、エコバッグにおいしい食べ物をたくさん入れてくれた。馬小跳は再びスマートフォンを開いて、テレビ電話をつないで、唐飛と張達にぼくの姿を見せてから、ぼくに
「唐飛も張達も、お前の姿を見て、とても喜んでいたよ」
と言った。
それからまもなくぼくはエレベーターに乗って一階に降りた。エレベーターの出入り口のところで老いらくさんが待っていてくれた。ぼくと老いらくさんが住宅団地の出入り口にある門の前まで歩いていくと、来るときにいた、あの二人の警備員が門を開けて、ぼくと老いらくさんを外に出してくれた。
「また来いよ」
警備員は、ぼくたちに手を振って、別れのあいさつをしてくれた。
老いらくさんは自意識がとても高いので、人からよく思われていることを知って、有頂天になって、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。二人の警備員はその姿を見て、わけが分からずに、ただぼーっとして見ているだけだった。老いらくさんは顔の大部分をマスクで隠していたので、老いらくさんを見て、老いらくさんがネズミであることなど、警備員の頭にはさらさらなかったようだった。警備員は互いに顔を見合わせながら、(あれは何だろう)といった顔をしながら老いらくさんを見ていた。
「人気者になることはよいことだなあ。みんなが、わしらを知っている」
老いらくさんが鼻を高くしていた。
老いらくさんは、そのあと、ぼくが背負っているエコバッグが、地面に着きそうなほどに垂れ下がっているのを見て
「なかに何が入っているのか、ずいぶん重そうだなあ」
と聞いた。
「おいしい食べ物がいっぱい入っているんです」
ぼくはそう答えた。
「肉も入っているのか」
「たぶん入っていると思います」
ぼくがそう答えるが早いか、老いらくさんは、マスクを外して鼻で、くんくん、エコバッグのにおいを嗅ぎ始めた。
「うん、あるある。ソーセージのにおいがするぞ。春節には毎日ソーセージを食べて、それでやっと春節らしい楽しい雰囲気になれるからな」
老いらくさんがそう言ったので、ぼくはエコバッグを下ろして、ソーセージを少し老いらくさんに分けてやった。老いらくさんは、さっそく一口食べながら
「今日は春節最後の元宵節。今日で春節が終わる。元宵節の日にソーセージを食べることができて、わしはとてもうれしいよ」
と言った。
「老いらくさんにとっては、ソーセージが何よりのごちそうでしょうけど、人はみな、元宵節の日には、あんこの入った元宵団子を食べるよ」
ぼくはそう言って、元宵団子の説明を始めた。
「今日、馬小跳のうちに行ったとき、台所に大きな皿があって、その中には元宵団子がたくさん並べられていた。馬小跳のお母さんが作ってくれたものです。ぼくは甘いものは好きじゃないから、お母さんがぼくに気をつかって、えびのむき身を中にいれた特製の元宵団子を作ってくれた。オーブンでじっくり蒸してから、ぼくにたくさんおみやげとして持たせてくれた」
ぼくの説明に老いらくさんは耳を傾けていた。
「そうか、それはよかったな。祝祭日には特別なものを食べるという伝統的な文化を、この国の人はみんな、とても大切にしているからな」
老いらくさんはそう言ってから、食べ物の話をしてくれた。
「一年で最初の満月の日が元宵節だ。中秋節と同じように、家族がみんな集まり、美しい満月を観賞しながら、特別の料理を食べて、様々な思いをはせながら、夕べのひとときを過ごす。料理はみな満月と同じように、まん丸い形をしている。家庭円満の象徴として丸い形のものを食べる文化が、この国には昔から根づいている。中秋節には月餅を食べ、元宵節には元宵団子を食べる。元宵団子のことを湯円とも言って……」
老いらくさんは、中国の食文化のことをよく知っている。インターネットやテレビ電話や動画のような現代的なものには、あまり詳しくないが、伝統的な文化に関する知識がとても豊かで、まるで生き字引のようだ。本当に感心させられる。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく翠湖公園に帰ってきた。うちに着くと、妻猫といっしょに元宵節の夜を堪能することにした。馬小跳のうちからいただいてきた元宵団子を妻猫に見せると、妻猫はとても喜んでいた。
子どもたちはやはり、うちへ帰ってこなかった。子どもたちといっしょに元宵節を過ごすことができなかったので、今年は寂しかったが、妻猫といっしょに、子どもたちのことに思いをはせながら、静かなひとときを過ごすことにした。
「湖畔に出て、お月様を見ながら、元宵団子を食べませんか」
妻猫がぼくに提案した。
「いいね、そうしようか」
ぼくは同意した。
それからまもなく、ぼくと妻猫は元宵団子と小皿の入った袋を首にかけて湖畔まで来た。石の腰掛けをテーブル替りにして、四つの皿を載せた。パントーとアーヤーとサンパオと、早世したカレイのことを思って元宵団子を四つの皿に盛った。そのあと、ぼくと妻猫は、テーブルの脇に、きちんと座って、月を見上げた。満月が美しく輝いていて、そのなかに、子どもたちの顔が見えた。パントーもいる。アーヤーもいる。サンパオもいる。天に召されたカレイもいる。みんな、こちらを見ていた。ぼくも妻猫も、月に浮かんでいる子どもたちの顔を見て、感極まる思いにとらわれていた。
「この元宵団子は馬小跳のうちからいただいてきたものだよ。馬小跳のお母さんが、ぼくたちの家族のために、わざわざ作ってくださった特製の団子だよ。さあ、家族みんなで食べようね」
ぼくはそう言った。月のなかに浮かんでいる子どもたちの顔が、そのとき一瞬、にっこり微笑んだような気がした。
それからまもなく、妻猫は月のなかに浮かんでいる子どもたちに向かって、静かな口調で思いをこめながら話を始めた。口調には深い母性愛があふれていた。
「パントー、お食べ」
妻猫はまず最初に、一番年上のパントーに向かって話しかけた。
「パントー、お前は顔がますます、ふっくらしてきたね」
パントーがすぐ目の前にいるかのように、妻猫は心をこめて話しかけていた。
「お前は今、自閉症の子どものパオパオに寄り添っているんだよね。パオパオが今は、外に出ることができないから、お前も今は外に出ることができないのだよね。分かっているわ。これからもパオパオにしっかり寄り添って、うちのなかに、じっとしているんですよ。お父さんとお母さんから、お前に元宵節を祝うメッセージを送るわ。元気でね」
パントーへの呼びかけを終えると、妻猫は、二番目の子どものアーヤーへ呼びかけた。
「アーヤー、お食べ」
妻猫はそう言うと、アーヤーに向かって話しかけた。
「アーヤー、お前はますますきれいになったね」
アーヤーがすぐ目の前にいるかのように、妻猫は優しく話しかけていた。
「お前は今、養老院のお年寄りたちに寄り添っているんだよね。お前の歌声に心を癒されるお年寄りがたくさんいるから、うちへ帰ってくることができないのだよね。分かっているわ。これからも美しい声でしっかりと歌って心を癒してあげるんだよ。お父さんとお母さんから、お前に元宵節を祝うメッセージを送るわ。元気でね」
アーヤーへの呼びかけを終えると、妻猫は、三番目の子どもであるサンパオへ呼びかけた。
「サンパオ、お食べ」
妻猫はそう言うと、サンパオに向かって話しかけた。
「サンパオ、お前はますます有能で、立派な仕事ができるようになったね」
サンパオがすぐ目の前にいるかのように、妻猫は深い思いをこめて話しかけていた。
「目が不自由なピアノの調律師が、お前の助けを必要としているから、うちへ帰ってくることができないのだよね。分かっているわ。これからもしっかり手伝って、ピアノがきれいな音楽を演奏できるように調律をしてあげるんだよ。お父さんとお母さんから、お前に元宵節を祝うメッセージを送るわ。元気でね」
サンパオへの呼びかけを終えると、妻猫は天に召されたカレイにも呼びかけた。
「お前もお食べ」
妻猫はそう言うと、カレイに向かって話しかけた。
「空の上の生活は、どうですか。お父さんもお母さんも、お前のことをずっと思っているよ。けっして忘れない……」
カレイが、すぐ目の前にいるかのように、妻猫は慈母のまなざしで話しかけていた。妻猫の胸のなかが、このとき、きゅんとなっているのが分かった。ぼくにも、このときカレイの悲しい思い出がよみがえってきて、胸が締めつけられるように感じた。カレイは本当にかわいそうだった。カレイが生まれてきたとき、ぼくも妻猫も、とても喜んでいたが、その喜びも、つかのまで、すぐに天に召されていったので、急に奈落の底に突き落とされたように感じて、ぼくも妻猫もしばらくはショックから立ち直れなかった。妻猫にとって、カレイのことは一生忘れられない心のなかの深い痛みとなっている。
長く生きられなかったカレイのことを話に持ち出してきた妻猫の心は、鉛のように重くなっていて、ますます深く沈んでいくばかりだった。それを知ってぼくの心も淀んでいた。今日は楽しい元宵節なので、あまり湿っぽくなるのはよくないと思ったので、ぼくは雰囲気を変えて、今宵を楽しく過ごさなければと思った。ぼくは気転をきかせて妻猫の注意力を、ほかのものに向けさせようとした。ふっと西の空を見ると、暗くなりかけている空に、夕陽がまだかすかに残っているのが見えた。
「ほら、早く見て。夕焼けがまだ輝いているよ。太陽と月が同時に輝いている光景は、めったに見られるものではないよ」
ぼくは妻猫にそう言った。妻猫はぼくにうながされて、西の空を見た。今夜の主役はもちろん、神々しく輝いている十五夜の満月であって、こうこうとした明かりを地上に降り注いでいた。しかしオレンジ色の太陽も、まだその残照がかすかに残っていて、西の山の端をほんのりと染めていた。月と太陽の光が調和しながら醸し出す絶妙なコントラストが、筆舌に尽くしがたいほど美しかった。それからまもなく太陽の残照は凝縮されて真っ赤な点となり、やがてその点も消えて、徐々に夜のとばりが下りていった。太陽と入れ替わるように、月は明るさをさらに増していき、翠湖の上に大きな十五夜の満月がかかっていた。月の光をいっぱいに浴びた湖面は、きらきらと輝いていて、魚鱗(ぎょりん)のような白波がかすかに立って、たゆたうように、ゆらゆらと揺れていた。
(何てきれいなんだろう)
ぼくはそう思った。こんなに美しい月夜や翠湖を、ぼくはこれまで見たことがなかった。
妻猫もうっとりした顔をして月を見上げていた。月のなかに今もまだ子どもたちの顔が浮かんでいた。
「お月様が空から私たちを見ていらっしゃるわ。パントーも見ている。アーヤーも見ている。サンパオも見ている。カレイも見ている……」
妻猫が深い情のこもった声でそう言った。
(パントーも、アーヤーも、サンパオも、カレイも、今、同じこの月を見ているのだろうか。お父さんやお母さんのことを懐かしく思っているのだろうか)
ぼくは月を眺めながら、心にふっと、そう思った。
「来年の元宵節にはきっと、パントーも、アーヤーも、サンパオも、カレイも帰ってくるよ。天に召されたカレイの姿は目の前に見えなくても、カレイにはぼくたちの姿が目の前に見える……と思う」
ぼくは妻猫を慰めるために、そんな言葉をかけてあげた。
「そうですね、カレイには永遠に会えなくても、カレイは空の遠いところから、いつも、お父さんやお母さんや、きょうだいのことを優しく見守ってくれているわよね」
お母さんが、悟ったように、そう言った。
妻猫を慰めるためにかけた言葉が、かえって、カレイへの切ない思いをいっそう強めてしまったので、ぼくは急いでまた話題を変えた。
「去年の元宵節のときは、錦江の上に、灯籠が浮かべられていたけど、今年はどうなのかなあー、ちょっと見に行かない……」
ぼくは妻猫を誘った。
「いいわよ。行ってみようか」
妻猫が応じた。
ぼくと妻猫はそれからまもなく、翠湖公園を出て、ひっそりとして静かな町のなかをかけていった。水のように透き通った月の光が、ほろほろとこぼれるように、町の上空から射し込んでいた。月の光はこの町を今、とても穏やかなひとときにさせて、人々のさまざまな思いを、優しく包み込んでいた。
錦江の川辺に着くと、川の上にたくさんの灯籠が浮かんでいるのが見えた。灯籠にともされた明かりが、きらきらと輝いていて、灯籠は、たゆたうようにゆっくりと流れていた。去年よりもずっと多くの灯籠が川に浮かんでいて、川全体が灯籠で埋め尽くされているようにさえ思えた。どの灯籠にもみな、人々の熱い思いや祈りが込められていて、会えなくなった肉親をいとおしむ気持ちが、川の上にあふれていた。
水のように透き通った月の光は、この町全体を慈しむように柔らかく降り注いでいた。月の光を浴びながら、ぼくと妻猫は、ゆっくりとした足取りで帰路に就いた。道の両側には、人が住んでいる高いマンションやアパートがたくさん建っていて、どの窓からも美しい満月を観賞している人の姿が見えていた。手を合わせて何かを祈ったり、深いまなざしでじっと見つめたり、月の姿をスマートフォンで撮って写真におさめたりしていた。会えなくなった肉親のことを、みんな思っているのだろうか。もしかしたら、肉親は、それほど遠くではなくて、わりと近くに住んでいるかもしれない。それでもみんな、疫病に感染するのを防ぐために、会いに行かないで、うちのなかで月を観賞しながら、肉親への深い思いや願いを、月に託しているのだろうか。ぼくは、そう思った。
水のように透き通った月の光を、窓辺で浴びている人たちの顔はみんな、とてもきれいだった。夢とロマンにあふれたような表情をしながら、うっとりとして眺めていた。『以心伝心』と言うのだろうか、思う人と思われる人の気持ちが、ぴったり合って、美しくて穏やかなひとときが、深く静かに流れていた。
天気……今夜はこれまで見たこともないような、とてもきれいな月が輝いている。水のように透き通った月の光が、柔らかに大地に降り注ぎ、金色に輝く満月の影が翠湖のなかに逆さまに映り、深い趣を醸し出している。こんなに美しい翠湖を、ぼくはこれまで見たことがなかった。
馬小跳のうちから帰る間際に、馬小跳のお父さんが、マスクを新しく持ってきて、今までのマスクと取り替えてくれた。お母さんは、エコバッグにおいしい食べ物をたくさん入れてくれた。馬小跳は再びスマートフォンを開いて、テレビ電話をつないで、唐飛と張達にぼくの姿を見せてから、ぼくに
「唐飛も張達も、お前の姿を見て、とても喜んでいたよ」
と言った。
それからまもなくぼくはエレベーターに乗って一階に降りた。エレベーターの出入り口のところで老いらくさんが待っていてくれた。ぼくと老いらくさんが住宅団地の出入り口にある門の前まで歩いていくと、来るときにいた、あの二人の警備員が門を開けて、ぼくと老いらくさんを外に出してくれた。
「また来いよ」
警備員は、ぼくたちに手を振って、別れのあいさつをしてくれた。
老いらくさんは自意識がとても高いので、人からよく思われていることを知って、有頂天になって、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。二人の警備員はその姿を見て、わけが分からずに、ただぼーっとして見ているだけだった。老いらくさんは顔の大部分をマスクで隠していたので、老いらくさんを見て、老いらくさんがネズミであることなど、警備員の頭にはさらさらなかったようだった。警備員は互いに顔を見合わせながら、(あれは何だろう)といった顔をしながら老いらくさんを見ていた。
「人気者になることはよいことだなあ。みんなが、わしらを知っている」
老いらくさんが鼻を高くしていた。
老いらくさんは、そのあと、ぼくが背負っているエコバッグが、地面に着きそうなほどに垂れ下がっているのを見て
「なかに何が入っているのか、ずいぶん重そうだなあ」
と聞いた。
「おいしい食べ物がいっぱい入っているんです」
ぼくはそう答えた。
「肉も入っているのか」
「たぶん入っていると思います」
ぼくがそう答えるが早いか、老いらくさんは、マスクを外して鼻で、くんくん、エコバッグのにおいを嗅ぎ始めた。
「うん、あるある。ソーセージのにおいがするぞ。春節には毎日ソーセージを食べて、それでやっと春節らしい楽しい雰囲気になれるからな」
老いらくさんがそう言ったので、ぼくはエコバッグを下ろして、ソーセージを少し老いらくさんに分けてやった。老いらくさんは、さっそく一口食べながら
「今日は春節最後の元宵節。今日で春節が終わる。元宵節の日にソーセージを食べることができて、わしはとてもうれしいよ」
と言った。
「老いらくさんにとっては、ソーセージが何よりのごちそうでしょうけど、人はみな、元宵節の日には、あんこの入った元宵団子を食べるよ」
ぼくはそう言って、元宵団子の説明を始めた。
「今日、馬小跳のうちに行ったとき、台所に大きな皿があって、その中には元宵団子がたくさん並べられていた。馬小跳のお母さんが作ってくれたものです。ぼくは甘いものは好きじゃないから、お母さんがぼくに気をつかって、えびのむき身を中にいれた特製の元宵団子を作ってくれた。オーブンでじっくり蒸してから、ぼくにたくさんおみやげとして持たせてくれた」
ぼくの説明に老いらくさんは耳を傾けていた。
「そうか、それはよかったな。祝祭日には特別なものを食べるという伝統的な文化を、この国の人はみんな、とても大切にしているからな」
老いらくさんはそう言ってから、食べ物の話をしてくれた。
「一年で最初の満月の日が元宵節だ。中秋節と同じように、家族がみんな集まり、美しい満月を観賞しながら、特別の料理を食べて、様々な思いをはせながら、夕べのひとときを過ごす。料理はみな満月と同じように、まん丸い形をしている。家庭円満の象徴として丸い形のものを食べる文化が、この国には昔から根づいている。中秋節には月餅を食べ、元宵節には元宵団子を食べる。元宵団子のことを湯円とも言って……」
老いらくさんは、中国の食文化のことをよく知っている。インターネットやテレビ電話や動画のような現代的なものには、あまり詳しくないが、伝統的な文化に関する知識がとても豊かで、まるで生き字引のようだ。本当に感心させられる。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく翠湖公園に帰ってきた。うちに着くと、妻猫といっしょに元宵節の夜を堪能することにした。馬小跳のうちからいただいてきた元宵団子を妻猫に見せると、妻猫はとても喜んでいた。
子どもたちはやはり、うちへ帰ってこなかった。子どもたちといっしょに元宵節を過ごすことができなかったので、今年は寂しかったが、妻猫といっしょに、子どもたちのことに思いをはせながら、静かなひとときを過ごすことにした。
「湖畔に出て、お月様を見ながら、元宵団子を食べませんか」
妻猫がぼくに提案した。
「いいね、そうしようか」
ぼくは同意した。
それからまもなく、ぼくと妻猫は元宵団子と小皿の入った袋を首にかけて湖畔まで来た。石の腰掛けをテーブル替りにして、四つの皿を載せた。パントーとアーヤーとサンパオと、早世したカレイのことを思って元宵団子を四つの皿に盛った。そのあと、ぼくと妻猫は、テーブルの脇に、きちんと座って、月を見上げた。満月が美しく輝いていて、そのなかに、子どもたちの顔が見えた。パントーもいる。アーヤーもいる。サンパオもいる。天に召されたカレイもいる。みんな、こちらを見ていた。ぼくも妻猫も、月に浮かんでいる子どもたちの顔を見て、感極まる思いにとらわれていた。
「この元宵団子は馬小跳のうちからいただいてきたものだよ。馬小跳のお母さんが、ぼくたちの家族のために、わざわざ作ってくださった特製の団子だよ。さあ、家族みんなで食べようね」
ぼくはそう言った。月のなかに浮かんでいる子どもたちの顔が、そのとき一瞬、にっこり微笑んだような気がした。
それからまもなく、妻猫は月のなかに浮かんでいる子どもたちに向かって、静かな口調で思いをこめながら話を始めた。口調には深い母性愛があふれていた。
「パントー、お食べ」
妻猫はまず最初に、一番年上のパントーに向かって話しかけた。
「パントー、お前は顔がますます、ふっくらしてきたね」
パントーがすぐ目の前にいるかのように、妻猫は心をこめて話しかけていた。
「お前は今、自閉症の子どものパオパオに寄り添っているんだよね。パオパオが今は、外に出ることができないから、お前も今は外に出ることができないのだよね。分かっているわ。これからもパオパオにしっかり寄り添って、うちのなかに、じっとしているんですよ。お父さんとお母さんから、お前に元宵節を祝うメッセージを送るわ。元気でね」
パントーへの呼びかけを終えると、妻猫は、二番目の子どものアーヤーへ呼びかけた。
「アーヤー、お食べ」
妻猫はそう言うと、アーヤーに向かって話しかけた。
「アーヤー、お前はますますきれいになったね」
アーヤーがすぐ目の前にいるかのように、妻猫は優しく話しかけていた。
「お前は今、養老院のお年寄りたちに寄り添っているんだよね。お前の歌声に心を癒されるお年寄りがたくさんいるから、うちへ帰ってくることができないのだよね。分かっているわ。これからも美しい声でしっかりと歌って心を癒してあげるんだよ。お父さんとお母さんから、お前に元宵節を祝うメッセージを送るわ。元気でね」
アーヤーへの呼びかけを終えると、妻猫は、三番目の子どもであるサンパオへ呼びかけた。
「サンパオ、お食べ」
妻猫はそう言うと、サンパオに向かって話しかけた。
「サンパオ、お前はますます有能で、立派な仕事ができるようになったね」
サンパオがすぐ目の前にいるかのように、妻猫は深い思いをこめて話しかけていた。
「目が不自由なピアノの調律師が、お前の助けを必要としているから、うちへ帰ってくることができないのだよね。分かっているわ。これからもしっかり手伝って、ピアノがきれいな音楽を演奏できるように調律をしてあげるんだよ。お父さんとお母さんから、お前に元宵節を祝うメッセージを送るわ。元気でね」
サンパオへの呼びかけを終えると、妻猫は天に召されたカレイにも呼びかけた。
「お前もお食べ」
妻猫はそう言うと、カレイに向かって話しかけた。
「空の上の生活は、どうですか。お父さんもお母さんも、お前のことをずっと思っているよ。けっして忘れない……」
カレイが、すぐ目の前にいるかのように、妻猫は慈母のまなざしで話しかけていた。妻猫の胸のなかが、このとき、きゅんとなっているのが分かった。ぼくにも、このときカレイの悲しい思い出がよみがえってきて、胸が締めつけられるように感じた。カレイは本当にかわいそうだった。カレイが生まれてきたとき、ぼくも妻猫も、とても喜んでいたが、その喜びも、つかのまで、すぐに天に召されていったので、急に奈落の底に突き落とされたように感じて、ぼくも妻猫もしばらくはショックから立ち直れなかった。妻猫にとって、カレイのことは一生忘れられない心のなかの深い痛みとなっている。
長く生きられなかったカレイのことを話に持ち出してきた妻猫の心は、鉛のように重くなっていて、ますます深く沈んでいくばかりだった。それを知ってぼくの心も淀んでいた。今日は楽しい元宵節なので、あまり湿っぽくなるのはよくないと思ったので、ぼくは雰囲気を変えて、今宵を楽しく過ごさなければと思った。ぼくは気転をきかせて妻猫の注意力を、ほかのものに向けさせようとした。ふっと西の空を見ると、暗くなりかけている空に、夕陽がまだかすかに残っているのが見えた。
「ほら、早く見て。夕焼けがまだ輝いているよ。太陽と月が同時に輝いている光景は、めったに見られるものではないよ」
ぼくは妻猫にそう言った。妻猫はぼくにうながされて、西の空を見た。今夜の主役はもちろん、神々しく輝いている十五夜の満月であって、こうこうとした明かりを地上に降り注いでいた。しかしオレンジ色の太陽も、まだその残照がかすかに残っていて、西の山の端をほんのりと染めていた。月と太陽の光が調和しながら醸し出す絶妙なコントラストが、筆舌に尽くしがたいほど美しかった。それからまもなく太陽の残照は凝縮されて真っ赤な点となり、やがてその点も消えて、徐々に夜のとばりが下りていった。太陽と入れ替わるように、月は明るさをさらに増していき、翠湖の上に大きな十五夜の満月がかかっていた。月の光をいっぱいに浴びた湖面は、きらきらと輝いていて、魚鱗(ぎょりん)のような白波がかすかに立って、たゆたうように、ゆらゆらと揺れていた。
(何てきれいなんだろう)
ぼくはそう思った。こんなに美しい月夜や翠湖を、ぼくはこれまで見たことがなかった。
妻猫もうっとりした顔をして月を見上げていた。月のなかに今もまだ子どもたちの顔が浮かんでいた。
「お月様が空から私たちを見ていらっしゃるわ。パントーも見ている。アーヤーも見ている。サンパオも見ている。カレイも見ている……」
妻猫が深い情のこもった声でそう言った。
(パントーも、アーヤーも、サンパオも、カレイも、今、同じこの月を見ているのだろうか。お父さんやお母さんのことを懐かしく思っているのだろうか)
ぼくは月を眺めながら、心にふっと、そう思った。
「来年の元宵節にはきっと、パントーも、アーヤーも、サンパオも、カレイも帰ってくるよ。天に召されたカレイの姿は目の前に見えなくても、カレイにはぼくたちの姿が目の前に見える……と思う」
ぼくは妻猫を慰めるために、そんな言葉をかけてあげた。
「そうですね、カレイには永遠に会えなくても、カレイは空の遠いところから、いつも、お父さんやお母さんや、きょうだいのことを優しく見守ってくれているわよね」
お母さんが、悟ったように、そう言った。
妻猫を慰めるためにかけた言葉が、かえって、カレイへの切ない思いをいっそう強めてしまったので、ぼくは急いでまた話題を変えた。
「去年の元宵節のときは、錦江の上に、灯籠が浮かべられていたけど、今年はどうなのかなあー、ちょっと見に行かない……」
ぼくは妻猫を誘った。
「いいわよ。行ってみようか」
妻猫が応じた。
ぼくと妻猫はそれからまもなく、翠湖公園を出て、ひっそりとして静かな町のなかをかけていった。水のように透き通った月の光が、ほろほろとこぼれるように、町の上空から射し込んでいた。月の光はこの町を今、とても穏やかなひとときにさせて、人々のさまざまな思いを、優しく包み込んでいた。
錦江の川辺に着くと、川の上にたくさんの灯籠が浮かんでいるのが見えた。灯籠にともされた明かりが、きらきらと輝いていて、灯籠は、たゆたうようにゆっくりと流れていた。去年よりもずっと多くの灯籠が川に浮かんでいて、川全体が灯籠で埋め尽くされているようにさえ思えた。どの灯籠にもみな、人々の熱い思いや祈りが込められていて、会えなくなった肉親をいとおしむ気持ちが、川の上にあふれていた。
水のように透き通った月の光は、この町全体を慈しむように柔らかく降り注いでいた。月の光を浴びながら、ぼくと妻猫は、ゆっくりとした足取りで帰路に就いた。道の両側には、人が住んでいる高いマンションやアパートがたくさん建っていて、どの窓からも美しい満月を観賞している人の姿が見えていた。手を合わせて何かを祈ったり、深いまなざしでじっと見つめたり、月の姿をスマートフォンで撮って写真におさめたりしていた。会えなくなった肉親のことを、みんな思っているのだろうか。もしかしたら、肉親は、それほど遠くではなくて、わりと近くに住んでいるかもしれない。それでもみんな、疫病に感染するのを防ぐために、会いに行かないで、うちのなかで月を観賞しながら、肉親への深い思いや願いを、月に託しているのだろうか。ぼくは、そう思った。
水のように透き通った月の光を、窓辺で浴びている人たちの顔はみんな、とてもきれいだった。夢とロマンにあふれたような表情をしながら、うっとりとして眺めていた。『以心伝心』と言うのだろうか、思う人と思われる人の気持ちが、ぴったり合って、美しくて穏やかなひとときが、深く静かに流れていた。

