第十二章 元宵節
天気……今年の春節はいつもの年とは違ったが、それでも春はいつもの年と同じようにやってきた。吹く風のなかに春の暖かさが少しずつ感じられるようになってきた。空を見上げれば、小鳥たちが楽しそうにさえずりながら、春が再び巡ってきた喜びを歌っていた。翠湖の湖面に張っていた薄い氷は、もうすっかり解けて、湖面にさざ波が立って、ゆらゆらと起伏していた。湖面に逆さまに映っている公園の景色も、軽やかに踊るように揺れ動いていた。
今日は元宵節。小正月とも呼ばれている。伝統的な慣習に従って、今日で春節が終わり、人々は新たな気持ちで、年明けの活動を始めていく。今年の春節はいつもと違う運命に翻弄されて、人々は楽しさを満喫することができなかった。家にじっと閉じこもっていたり、外出するときは必ずマスクをつけなければならなかった。
ぼくと妻猫も、町の人たちと同じように自粛生活を心がけていた。ぼくと妻猫には子どもが三匹いるが、去年までは、パントーも、アーヤーも、サンパオも、元宵節にはうちへ帰ってきた。どんなに遠いところにいても、みんな帰ってきたので、久しぶりに、家族みんなが集まって、親子水入らずで、和気あいあいとした楽しいひとときを過ごすことができた。でも今年はこういう情況なので、子どもたちは帰ってくることができないかもしれない。そう思うと、心が、きゅんとなって忍びなかった。ぼくよりも妻猫のほうが、もっと、やりきれないのではないかと、ぼくは思った。母親にとって、子どもは自分が産み出した何よりも大切な宝なので、子どもに会えなかったら、辛くなる気持ちが、ぼくにはよく分かる。もし今年の元宵節に、パントーもアーヤーもサンパオも帰ってこなかったら、妻猫は悲しくてたまらないだろう。
妻猫とぼくだけでなく、老いらくさんも元宵節にサンパオが帰ってくるのを首を長くして待っている。と言っても、サンパオに直接会って話をするのではなくて、遠く離れたところから、姿をちらっと見るだけにしようと思っている。サンパオは老いらくさんがネズミであることは知らないし、パンダのおじさんだと思っている。老いらくさんが自分のことを、こんなに深く思ってくれていることも知らないでいる。しかしサンパオがもし猫の本能に目覚めていて、老いらくさんがパンダではなくてネズミだと見破っていたら、老いらくさんに襲いかからないともかぎらない。その危険性を、老いらくさんも察知している。
妻猫がぼくに
「今日は子どもたちは帰ってくるでしょうか」
と聞いた。
「どうだろう、なんとも言えないな」
ぼくはそう答えるしかなかった。子どもたちに会いたくてたまらない妻猫の気持ちを思うと、ぼくは胸が再び、きゅんと痛んで居ても立ってもいられなくなった。ぼくは老いらくさんに聞きにいった。
「子どもたちは今日、うちへ帰ってくると思いますか」
ぼくがそう聞くと、老いらくさんは首を横に振った。
「それは無理ってものじゃないかな」
「やはりね」
予想していたとはいえ、ぼくの気持ちはますます沈んだ。
「外になるべく出ないで、人や社会に迷惑をかけないことが今一番大切なことだよ。猫だって同じだろう。親が子どもに会いたい気持ちはよく分かるが、今はしばらく我慢することだ。わしも今はサンパオの姿を見たい気持ちを抑えている」
老いらくさんが諭すように、そう言った。老いらくさんがサンパオのことを話し始めたら、話にきりがない。話しているうちに気持ちが高揚して、そわそわとして浮き足だってくる。でも今日はいつもと違って冷静で、自分の気持ちを抑制している。老いらくさんのこの処世術に、ぼくは感心するとともに、ぼくもぜひこの処世術を身につけなければと思っている。このような臨機応変な処世術は、誰にでもできることではないし、知恵ある生き方の表現でもあるからだ。
去年までは元宵節が過ぎたら、馬小跳や杜真子が通っている学校では後期の授業が始まっていたので、授業再開を前祝いして、元宵節に馬小跳や杜真子は、友だちといっしょによく翠湖公園に来て、飲んだり食べたり遊んだりして陽気に過ごしていた。ぼくと妻猫にもおいしい食べ物をたくさん持ってきてくれた。でも今年の元宵節は、馬小跳たちは翠湖公園に来ることができなくなったので、みんな家のなかでじっとしているはずだ。
「元宵節が過ぎたら、今年も学校が始まるのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「馬小跳のうちへ行ってみたら、分かるのじゃないかな」
老いらくさんが、そう答えた。
「そうだね」
ぼくはうなずいた。
「馬小跳のお母さんが作ってくれたエコバッグを忘れるなよ。今日で春節が終わるので、新たな気持ちでマスクキャンペーンを始めるために、ベーコンやソーセージを食べたくなったから」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました」
ぼくは、そう答えた。
ぼくはそれからまもなく、エコバッグを取りに急いで、うちへ帰っていった。うちに着くと、妻猫がぼーっとした顔をして思索にふけっていた。ぼくを見ると、妻猫は、はっとして
「子どもたち、今日、帰ってくるかしら」
と再び聞いた。
「今は緊急時なので、この町の人たちと同じように、ぼくたちの子どもも、家のなかでじっとしていなければならない。無理だと思う」
老いらくさんが言ったことを思い出しながら、ぼくはそう答えた。
妻猫が寂しそうな顔をした。
「パントーは自閉症の子どもに寄り添っている。アーヤーは養老院で身寄りのないお年寄りに寄り添っている。サンパオは目が見えないピアノ調律師に付き添っている。どの人も、ぼくたちの子どもたちの助けを必要としている。どの人も、今は、家のなかでじっとしているはずだから、子どもたちも、家のなかでじっとしていなければならない。子どもたちが、かわいそうな人たちから必要とされていて、役に立っていることを、うれしく思わなければならないよ」
ぼくが諭すように言うと、妻猫はうなずいた。妻猫は物事の大切な真理を達観できるので、ぼくの話を聞いて、表情がぱっと明るくなった。
「分かったわ」
妻猫はそう言うと、すぐにエコバッグを持ってきて、ぼくが背負うのを手伝ってくれた。
ぼくはそれからまもなく、エコバッグを背負って、うちを出た。老いらくさんは黄梅の花で飾りつけられたネズミの塑像の下で、ぼくを待っていた。今年の干支は子なので、ネズミの塑像が翠湖公園に建てられていた。塑像に飾りつけられていた黄梅の枝は、去年の暮れには、まだ青々としていたが、年を越した今は、枝についている花のつぼみが膨らんでいて、ネズミの塑像が、ところどころ黄色みがかって見えた。
「ネズミ年は十二年に一度回ってくるし、今年は、わしにとって本当は、とてもおめでたい年なのに、こんな年になって、わしの気持ちはとても複雑だよ。あーあ」
老いらくさんが、何とも言えない顔をして、ため息をついた。
「そんなにしょげないでくださいよ」
ぼくは老いらくさんを慰めてあげた。
「一年は三百六十五日あるし、まだ数日が過ぎただけじゃないですか。みんな疫病に強く立ち向かっているから、そう遠くないうちに、ウイルスとの戦いに勝つ日が必ずやってきますよ」
ぼくは老いらくさんの肩を、ぽんと、たたいた。
「そうだね、そのとおりだよ。この疫病はすぐに収束して、わしにとっておめでたいネズミ年はまだ少なくとも三百日は残っているよ」
老いらくさんは元気を取り戻して、自信にあふれた声でそう言った。
元宵節のおうむ横町には、もうすでに人の姿がちらほらと見えるようになっていた。人の数はまだそれほど多くはなかったが、去年の暮れよりは町に活気が戻りつつあるのを感じた。通りに出ている人はみんなマスクをしていた。おうむ横町にあるコンビニは開いていて、出入り口のところにはマスクと防護メガネをして手に体温計を持っている従業員がいて、買い物に来るお客さん一人ひとりの体温を測っていた。平熱で問題がなければ、お客さんは入店できた。
馬小跳のうちがある住宅団地の出入り口にも体温計を持った警備員が立っていて、外から来る人や、外へ出る人がみな体温を測っている光景が目についた。
「わしも、体温を測らなければならないのかなあ。わしに体温があることが分かったら、テニスボールではなくてネズミであることがばれてしまうぞ」
老いらくさんが、そんなことまで言った。
「大丈夫ですよ。体温を測るのは人だけですよ。老いらくさん、余計な取り越し苦労をしないでくださいよ」
ぼくはそう答えた。
ぼくと老いらくさんが住宅団地の出入り口まで来ると、二人の警備員が、ぼくをじっと見ながら
「あれっ、お前は、もしかしたら、今、うわさで持ち切りのマスク猫か」
「本当だ、まさか、こんなところに現れるとは思ってもいなかったな」
と話しているのが、ぼくの耳に入った。
二人の警備員は手を挙げて、ぼくと老いらくさんに敬礼した。警備員に恭しい目で見られながら、ぼくと老いらくさんは、大手を振って住宅団地の正門を堂々と入っていった。むろん検温などする必要は全然なかった。
「わしは本当にネット上の人気者になっていたんだなあ。今、つくづくと実感しているよ」
老いらくさんがそう言った。老いらくさんは、ささいなことで大げさに喜び、自分を誇らしく思うところがある。
「嫌われ者のわしが大スターになるとは思ってもいなかったよ」老いらくさんの顔は、ほくほくしていた。
馬小跳のうちがある棟の下まで来ると、老いらくさんは、この前と同じように、階下でぼくを待つことにした。ぼくは窓伝いに外壁をよじのぼっていって、馬小跳のうちのベランダのところまで来た。
ベランダからうちのなかに入って、客間まで来ると、馬小跳の部屋から声が聞こえてきた。ぼくは馬小跳の部屋の出入り口のところまで歩いていった。出入り口のドアは開いていて、部屋のなかは、まるで学校の教室のような感じにしつらえてあった。小型のホワイトボードや、地球儀や、プロジェクターや、さまざまなコンピューター関連の機器が備えつけられていて、馬小跳のお父さんが機械の調整をしていた。
「学校が始まるのは少なくとも二ヶ月先まで延びると思う。その二ヶ月の間、お前はおとなしく、うちのなかでオンライン授業を受けるんだよ。どうだ、これだと教室で授業を受けているのと、ほとんど変わらないだろう」
馬小跳のお父さんが、自信にあふれた声でそう言った。
「違うよ。あまりにも違いすぎる」
馬小跳が不満そうな声で、異を立てた。
「学校に行けば、唐飛や張達や毛超に会うことができるけど、うちにいたら……」
馬小跳の顔が曇っていた。
「テレビ電話で話すことができるじゃないか」
馬小跳のお父さんはそう言って、コンピューターを手馴れた手つきで、かちゃかちゃと操作していた。
「さあ、これで話すことができるようになった。お前は誰と話したいか」
馬小跳のお父さんが、馬小跳に聞いた。
「毛超と話したい」
馬小跳が、そう答えた。
「うん、分かった」
お父さんがコンピューターをセットしてくれて、それからまもなくスマートフォンの画面に毛超の姿が映った。
「やあ、馬小跳、元気か。久しぶりだな。お前に会いたくてたまらなかったよ。母さんがおれに、学校が始まるまで少なくともあと二ヶ月はかかるだろうと言ったんだ。と言うことは、少なくとも二ヶ月間は、おれたち会うことができないんだよな……」
毛超には話したいことがたくさんあって、話が尽きないようだった。
「あれっ、馬小跳、笑い猫が来ているのか。姿が見えるぞ」
毛超が、びっくりしたような声でそう言った。スマートフォンの画面にぼくが映っていたのだろうか。馬小跳もびっくりして、後ろを振り返って、ドアの入り口を見た。
「笑い猫」
思いがけないぼくの出現に、馬小跳は頓狂(とんきょう)な声で、そう言った。馬小跳のお父さんも、ぼくを見て、目を白黒させていた。
「やはり、私が言ってたとおりだったじゃない。今日は元宵節だから、お客さんがお見えになるかもしれないって言ったじゃない。ほらね、思っていたとおりだったわ」
馬小跳のお母さんが居間から出てきて、ぼくを見て、うれしそうな顔をしていた。
「そうか、そうだったのか。お母さんが言ってたお客さんというのは、笑い猫のことだったのか」
馬小跳のお父さんが、にわかに合点のいったような顔をしていた。
「今はこんな時期だから、外へ出ることを、みんな自粛しているから、誰も来るわけがないと、ぼくは思っていたけどな」
馬小跳のお父さんが、そう言った。
馬小跳がぼくを抱きかかえて
「お前は我が家の大切なお客さんだよ。それに、みんなのアイドルだね。ネット上の人気検索サイトの上位にランクされていて、大スターだよ」
と言って、羨望のまなざしで、ぼくを見ていた。
(人気検索サイトって何だろう)
ぼくには意味がよく分からなかったが、人気があるってことに間違いはないだろうと、ぼくは思った。馬小跳がスマートフォンを開いて、ぼくの動画を見せてくれた。耳をくすぐるような心地よい音楽が動画とともに流れた。動画には、ぼくが警官のすぐそばに立っていて、W市へ向かう大型トラックの運転手に敬礼をしている場面が映っていた。ぼくの動画がネットワークを通して、国内はもちろん海外にも広く流れて、世界中に大反響を呼び起こしていた。
天気……今年の春節はいつもの年とは違ったが、それでも春はいつもの年と同じようにやってきた。吹く風のなかに春の暖かさが少しずつ感じられるようになってきた。空を見上げれば、小鳥たちが楽しそうにさえずりながら、春が再び巡ってきた喜びを歌っていた。翠湖の湖面に張っていた薄い氷は、もうすっかり解けて、湖面にさざ波が立って、ゆらゆらと起伏していた。湖面に逆さまに映っている公園の景色も、軽やかに踊るように揺れ動いていた。
今日は元宵節。小正月とも呼ばれている。伝統的な慣習に従って、今日で春節が終わり、人々は新たな気持ちで、年明けの活動を始めていく。今年の春節はいつもと違う運命に翻弄されて、人々は楽しさを満喫することができなかった。家にじっと閉じこもっていたり、外出するときは必ずマスクをつけなければならなかった。
ぼくと妻猫も、町の人たちと同じように自粛生活を心がけていた。ぼくと妻猫には子どもが三匹いるが、去年までは、パントーも、アーヤーも、サンパオも、元宵節にはうちへ帰ってきた。どんなに遠いところにいても、みんな帰ってきたので、久しぶりに、家族みんなが集まって、親子水入らずで、和気あいあいとした楽しいひとときを過ごすことができた。でも今年はこういう情況なので、子どもたちは帰ってくることができないかもしれない。そう思うと、心が、きゅんとなって忍びなかった。ぼくよりも妻猫のほうが、もっと、やりきれないのではないかと、ぼくは思った。母親にとって、子どもは自分が産み出した何よりも大切な宝なので、子どもに会えなかったら、辛くなる気持ちが、ぼくにはよく分かる。もし今年の元宵節に、パントーもアーヤーもサンパオも帰ってこなかったら、妻猫は悲しくてたまらないだろう。
妻猫とぼくだけでなく、老いらくさんも元宵節にサンパオが帰ってくるのを首を長くして待っている。と言っても、サンパオに直接会って話をするのではなくて、遠く離れたところから、姿をちらっと見るだけにしようと思っている。サンパオは老いらくさんがネズミであることは知らないし、パンダのおじさんだと思っている。老いらくさんが自分のことを、こんなに深く思ってくれていることも知らないでいる。しかしサンパオがもし猫の本能に目覚めていて、老いらくさんがパンダではなくてネズミだと見破っていたら、老いらくさんに襲いかからないともかぎらない。その危険性を、老いらくさんも察知している。
妻猫がぼくに
「今日は子どもたちは帰ってくるでしょうか」
と聞いた。
「どうだろう、なんとも言えないな」
ぼくはそう答えるしかなかった。子どもたちに会いたくてたまらない妻猫の気持ちを思うと、ぼくは胸が再び、きゅんと痛んで居ても立ってもいられなくなった。ぼくは老いらくさんに聞きにいった。
「子どもたちは今日、うちへ帰ってくると思いますか」
ぼくがそう聞くと、老いらくさんは首を横に振った。
「それは無理ってものじゃないかな」
「やはりね」
予想していたとはいえ、ぼくの気持ちはますます沈んだ。
「外になるべく出ないで、人や社会に迷惑をかけないことが今一番大切なことだよ。猫だって同じだろう。親が子どもに会いたい気持ちはよく分かるが、今はしばらく我慢することだ。わしも今はサンパオの姿を見たい気持ちを抑えている」
老いらくさんが諭すように、そう言った。老いらくさんがサンパオのことを話し始めたら、話にきりがない。話しているうちに気持ちが高揚して、そわそわとして浮き足だってくる。でも今日はいつもと違って冷静で、自分の気持ちを抑制している。老いらくさんのこの処世術に、ぼくは感心するとともに、ぼくもぜひこの処世術を身につけなければと思っている。このような臨機応変な処世術は、誰にでもできることではないし、知恵ある生き方の表現でもあるからだ。
去年までは元宵節が過ぎたら、馬小跳や杜真子が通っている学校では後期の授業が始まっていたので、授業再開を前祝いして、元宵節に馬小跳や杜真子は、友だちといっしょによく翠湖公園に来て、飲んだり食べたり遊んだりして陽気に過ごしていた。ぼくと妻猫にもおいしい食べ物をたくさん持ってきてくれた。でも今年の元宵節は、馬小跳たちは翠湖公園に来ることができなくなったので、みんな家のなかでじっとしているはずだ。
「元宵節が過ぎたら、今年も学校が始まるのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「馬小跳のうちへ行ってみたら、分かるのじゃないかな」
老いらくさんが、そう答えた。
「そうだね」
ぼくはうなずいた。
「馬小跳のお母さんが作ってくれたエコバッグを忘れるなよ。今日で春節が終わるので、新たな気持ちでマスクキャンペーンを始めるために、ベーコンやソーセージを食べたくなったから」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました」
ぼくは、そう答えた。
ぼくはそれからまもなく、エコバッグを取りに急いで、うちへ帰っていった。うちに着くと、妻猫がぼーっとした顔をして思索にふけっていた。ぼくを見ると、妻猫は、はっとして
「子どもたち、今日、帰ってくるかしら」
と再び聞いた。
「今は緊急時なので、この町の人たちと同じように、ぼくたちの子どもも、家のなかでじっとしていなければならない。無理だと思う」
老いらくさんが言ったことを思い出しながら、ぼくはそう答えた。
妻猫が寂しそうな顔をした。
「パントーは自閉症の子どもに寄り添っている。アーヤーは養老院で身寄りのないお年寄りに寄り添っている。サンパオは目が見えないピアノ調律師に付き添っている。どの人も、ぼくたちの子どもたちの助けを必要としている。どの人も、今は、家のなかでじっとしているはずだから、子どもたちも、家のなかでじっとしていなければならない。子どもたちが、かわいそうな人たちから必要とされていて、役に立っていることを、うれしく思わなければならないよ」
ぼくが諭すように言うと、妻猫はうなずいた。妻猫は物事の大切な真理を達観できるので、ぼくの話を聞いて、表情がぱっと明るくなった。
「分かったわ」
妻猫はそう言うと、すぐにエコバッグを持ってきて、ぼくが背負うのを手伝ってくれた。
ぼくはそれからまもなく、エコバッグを背負って、うちを出た。老いらくさんは黄梅の花で飾りつけられたネズミの塑像の下で、ぼくを待っていた。今年の干支は子なので、ネズミの塑像が翠湖公園に建てられていた。塑像に飾りつけられていた黄梅の枝は、去年の暮れには、まだ青々としていたが、年を越した今は、枝についている花のつぼみが膨らんでいて、ネズミの塑像が、ところどころ黄色みがかって見えた。
「ネズミ年は十二年に一度回ってくるし、今年は、わしにとって本当は、とてもおめでたい年なのに、こんな年になって、わしの気持ちはとても複雑だよ。あーあ」
老いらくさんが、何とも言えない顔をして、ため息をついた。
「そんなにしょげないでくださいよ」
ぼくは老いらくさんを慰めてあげた。
「一年は三百六十五日あるし、まだ数日が過ぎただけじゃないですか。みんな疫病に強く立ち向かっているから、そう遠くないうちに、ウイルスとの戦いに勝つ日が必ずやってきますよ」
ぼくは老いらくさんの肩を、ぽんと、たたいた。
「そうだね、そのとおりだよ。この疫病はすぐに収束して、わしにとっておめでたいネズミ年はまだ少なくとも三百日は残っているよ」
老いらくさんは元気を取り戻して、自信にあふれた声でそう言った。
元宵節のおうむ横町には、もうすでに人の姿がちらほらと見えるようになっていた。人の数はまだそれほど多くはなかったが、去年の暮れよりは町に活気が戻りつつあるのを感じた。通りに出ている人はみんなマスクをしていた。おうむ横町にあるコンビニは開いていて、出入り口のところにはマスクと防護メガネをして手に体温計を持っている従業員がいて、買い物に来るお客さん一人ひとりの体温を測っていた。平熱で問題がなければ、お客さんは入店できた。
馬小跳のうちがある住宅団地の出入り口にも体温計を持った警備員が立っていて、外から来る人や、外へ出る人がみな体温を測っている光景が目についた。
「わしも、体温を測らなければならないのかなあ。わしに体温があることが分かったら、テニスボールではなくてネズミであることがばれてしまうぞ」
老いらくさんが、そんなことまで言った。
「大丈夫ですよ。体温を測るのは人だけですよ。老いらくさん、余計な取り越し苦労をしないでくださいよ」
ぼくはそう答えた。
ぼくと老いらくさんが住宅団地の出入り口まで来ると、二人の警備員が、ぼくをじっと見ながら
「あれっ、お前は、もしかしたら、今、うわさで持ち切りのマスク猫か」
「本当だ、まさか、こんなところに現れるとは思ってもいなかったな」
と話しているのが、ぼくの耳に入った。
二人の警備員は手を挙げて、ぼくと老いらくさんに敬礼した。警備員に恭しい目で見られながら、ぼくと老いらくさんは、大手を振って住宅団地の正門を堂々と入っていった。むろん検温などする必要は全然なかった。
「わしは本当にネット上の人気者になっていたんだなあ。今、つくづくと実感しているよ」
老いらくさんがそう言った。老いらくさんは、ささいなことで大げさに喜び、自分を誇らしく思うところがある。
「嫌われ者のわしが大スターになるとは思ってもいなかったよ」老いらくさんの顔は、ほくほくしていた。
馬小跳のうちがある棟の下まで来ると、老いらくさんは、この前と同じように、階下でぼくを待つことにした。ぼくは窓伝いに外壁をよじのぼっていって、馬小跳のうちのベランダのところまで来た。
ベランダからうちのなかに入って、客間まで来ると、馬小跳の部屋から声が聞こえてきた。ぼくは馬小跳の部屋の出入り口のところまで歩いていった。出入り口のドアは開いていて、部屋のなかは、まるで学校の教室のような感じにしつらえてあった。小型のホワイトボードや、地球儀や、プロジェクターや、さまざまなコンピューター関連の機器が備えつけられていて、馬小跳のお父さんが機械の調整をしていた。
「学校が始まるのは少なくとも二ヶ月先まで延びると思う。その二ヶ月の間、お前はおとなしく、うちのなかでオンライン授業を受けるんだよ。どうだ、これだと教室で授業を受けているのと、ほとんど変わらないだろう」
馬小跳のお父さんが、自信にあふれた声でそう言った。
「違うよ。あまりにも違いすぎる」
馬小跳が不満そうな声で、異を立てた。
「学校に行けば、唐飛や張達や毛超に会うことができるけど、うちにいたら……」
馬小跳の顔が曇っていた。
「テレビ電話で話すことができるじゃないか」
馬小跳のお父さんはそう言って、コンピューターを手馴れた手つきで、かちゃかちゃと操作していた。
「さあ、これで話すことができるようになった。お前は誰と話したいか」
馬小跳のお父さんが、馬小跳に聞いた。
「毛超と話したい」
馬小跳が、そう答えた。
「うん、分かった」
お父さんがコンピューターをセットしてくれて、それからまもなくスマートフォンの画面に毛超の姿が映った。
「やあ、馬小跳、元気か。久しぶりだな。お前に会いたくてたまらなかったよ。母さんがおれに、学校が始まるまで少なくともあと二ヶ月はかかるだろうと言ったんだ。と言うことは、少なくとも二ヶ月間は、おれたち会うことができないんだよな……」
毛超には話したいことがたくさんあって、話が尽きないようだった。
「あれっ、馬小跳、笑い猫が来ているのか。姿が見えるぞ」
毛超が、びっくりしたような声でそう言った。スマートフォンの画面にぼくが映っていたのだろうか。馬小跳もびっくりして、後ろを振り返って、ドアの入り口を見た。
「笑い猫」
思いがけないぼくの出現に、馬小跳は頓狂(とんきょう)な声で、そう言った。馬小跳のお父さんも、ぼくを見て、目を白黒させていた。
「やはり、私が言ってたとおりだったじゃない。今日は元宵節だから、お客さんがお見えになるかもしれないって言ったじゃない。ほらね、思っていたとおりだったわ」
馬小跳のお母さんが居間から出てきて、ぼくを見て、うれしそうな顔をしていた。
「そうか、そうだったのか。お母さんが言ってたお客さんというのは、笑い猫のことだったのか」
馬小跳のお父さんが、にわかに合点のいったような顔をしていた。
「今はこんな時期だから、外へ出ることを、みんな自粛しているから、誰も来るわけがないと、ぼくは思っていたけどな」
馬小跳のお父さんが、そう言った。
馬小跳がぼくを抱きかかえて
「お前は我が家の大切なお客さんだよ。それに、みんなのアイドルだね。ネット上の人気検索サイトの上位にランクされていて、大スターだよ」
と言って、羨望のまなざしで、ぼくを見ていた。
(人気検索サイトって何だろう)
ぼくには意味がよく分からなかったが、人気があるってことに間違いはないだろうと、ぼくは思った。馬小跳がスマートフォンを開いて、ぼくの動画を見せてくれた。耳をくすぐるような心地よい音楽が動画とともに流れた。動画には、ぼくが警官のすぐそばに立っていて、W市へ向かう大型トラックの運転手に敬礼をしている場面が映っていた。ぼくの動画がネットワークを通して、国内はもちろん海外にも広く流れて、世界中に大反響を呼び起こしていた。

