アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ(修正中)

 すぐに厨房に取って返すと、湯はまだ沸いていないようで、アリーシャが薬缶の前で待っているだけだった。

「母上は来なかったか?」

 声を掛けると、驚いた顔で振り向くと「来なかったです」と返される。
 既に陶器のティーポットの中には茶葉が入っており、後は湯を注ぐだけの状態であった。
 アリーシャに近づくと、薬缶からは細いながらも白い蒸気が出ているのが見えた。
 もうすぐ、湯は沸くだろう。

「これが解決したら、もうこうして暮らせないんですよね……」

 ぽつりと呟いたアリーシャをじっと見つめる。

「ティシュトリアさんが縁談を諦めるまでという約束でしたので。そうしたら、この関係も終わるんですよね……寂しいです」
「寂しい?」

 思わず聞き返してしまったが、アリーシャは頷いてくれる。

「一緒にお出掛けして、美味しいものを食べて、お茶を飲んで、本を読んで。どれも楽しい時間でした。それが終わってしまうのが寂しいです」
「どんなに楽しい時間でも、いつかは終わりが来る。……この関係もそうなんだ」

 アリーシャは自分よりもっといい男と結ばれるべきだ。
 親友のように、明るくて、気の利いて、家庭的な男と。
 自分のような、何もない男ではなく。
 その為にも、この関係を終わらせなければならない。
 そうはわかっていても。

 ーー何故、こんなにも苦しいんだ。

 思い返せば、アリーシャと出会った時からずっとこうだった。
 アリーシャについて考えると、胸が苦しくなった。
 他の男と話している姿を見ると、胸が痛んだ。
 国境沿いの基地で乱暴されそうになった時や、ティシュトリアが侮辱した時、頭に血が上って激昂した。
 自分はどうしてしまったのだろう。
 どうして、こんなにもアリーシャにーーただ一人の女性に、心を取り乱されて。

 その時、湯が沸いて、アリーシャが火を止めた。
 ティーポットに湯を注ぐと蓋をして、蒸らしている間に薬缶を置いた。

「そろそろ行くか」

 力強く頷いたアリーシャは、ティーポットとカップを載せたトレーを持った。

「持つか?」
「大丈夫です。私が持ちます」

 トレーをしっかりと持つアリーシャと、廊下を並んで歩きながら目を細める。

(もしかしたら)

 自分もアリーシャとの関係が終わるのを惜しく思っているのだろうか。

「アリーシャ」
「はい?」
「この関係が終わっても、今までの関係が無くなる訳じゃない」
「それは、そうですが……」

 戸惑い気味に見上げてくる菫色の瞳を見つめ返すと、安心させるようにフッと笑う。

「まだ、果たしていない約束があるだろう」
「お庭でお茶会をするという、あの……?」

 以前、アリーシャと約束した。
 かつて、シュタルクヘルト(あっち)でやっていたという「ガゼボで紅茶を片手にする読書」をここでもやると。
 その際には、オルキデアも同席してもいいと。

「その約束を果たすまで。いや、果たしても、俺たちの関係は変わらない。
 夫婦ではなくなるが、それ以外の関係は同じままだ」
「それなら、今後も一緒に?」

 顔を輝かせたアリーシャに、オルキデアは頷く。

「車が必要ならいつでも出そう。買い物にも、食事にも、読書にも、何でも付き合うさ」

 慌てて「忙しくない時に限るが」と付け加えると、アリーシャは口元を緩める。

「ありがとうございます。嬉しいです」
「その為にも、まずは目の前の問題を解決しなければならないな」
「そうですよね。しっかりしないと」

 気を引き締めるアリーシャを微笑ましく思いながら、オルキデアは前を向く。
 応接間はもう目と鼻の先にあった。