第8話 かおり、教室でスターになる


翌日、かおりちゃんが、ぼくの絵本と、手紙を持って、学校に行った。すると、朝の会が始まる前に、教室でちょっとした騒ぎになった。


「へぇー、すごい ! 」


「カンボジアって、どこにあるの ? 」


「どうやって、そのボランティアのことを知ったの ? 」


「この絵本がカンボジアに行って、たくさんの子どもたちから読まれて、帰ってきたのね」


「この絵本は、もともとは日本で作られた絵本なのでしょ ? でも何だか、外国の絵本のような感じがして、かっこいいなあ」


「私もカンボジアの子どもたちに絵本を送りたいわ」


 かおりちゃんの周りには、甘いみつに群がるハチのような人だかりができていて、わいわい、がやがや騒ぎながら、手紙や絵本の感想を述べたり、質問をしたりしていた。


かおりちゃんは、持ってきた絵本と手紙が、ここまでみんなの関心を呼ぶとは思ってもいなかったらしくて、反響の大きさに、少し、とまどっているみたいだった。でも何だか、かおりちゃんがスターになったようで、きらきらと輝いて見えたから、ぼくはとてもうれしかった。


それからまもなく、朝の会の始まりを告げるチャイムが鳴った。


かおりちゃんのお友だちは、自分の席に戻っていったけど、まだ何人かが、かおりちゃんの周りに残っていて、ぼくを手に取って、珍しそうに、ページをめくったりしていた。


「あら、どうしたの ? 何かあったの ? 今日はみんな、やけに騒々しいわね」


教室の中に入ってきた若い女の先生が、教室の雰囲気が、いつもとは違うのに気がついて、そう言った。


「岩山先生、佐倉が今日、すごいものを学校に持ってきているんです」


前から二列目の真ん中の席にすわっていた男の子が、興奮さめやらぬ面持ちで、声をうわずらせながら答えていた。


「すごいものって、何なの ? まさか変なものじゃないわよね。変なものだったら、先生が取り上げるわよ」


岩山先生が、まゆをぴくっと動かして、かおりちゃんを、にらんでいた。


「いえ、変なものじゃないです。絵本と手紙です」


今度は前から五列目の窓際の席にすわっていた女の子が答えていた。


「絵本と手紙 ? 」


岩山先生が、けげんそうに首を傾けていた。


「かおり、先生にも見せてあげたら ? 」


かおりちゃんの隣の席にすわっていた女の子が、かおりちゃんの手に軽く触れて、うながしていた。


「分かったわ。そうする」


かおりちゃんは女の子に目で合図を送ってから、ぼくの絵本と手紙を持って、岩山先生が立っている教壇のところまで行った。


「何 、これ ? 外国の絵本 ?」


 岩山先生が、ぼくを手に取って、きょとんとしていた。


「日本で作られた絵本に、カンボジアの言葉のシールを貼ったものです」


かおりちゃんが、校舎の上に広がっている青空のように晴れ晴れとした声で説明していた。


「へぇー、そうなの。初めて見る文字だわ」


岩山先生は珍しそうな顔をして、ぼくを、ぺらぺらと、めくっていた。


「先生、この手紙を読んでみてください」


かおりちゃんが手紙を岩山先生にわたした。


岩山先生は軽くうなずいてから、読み始めた。手紙を読みながら、岩山先生の顔が少しずつ、ほてってきているのが、ぼくには分かった。


「うーん、そうだったの。すばらしいじゃない ! 手紙を読みながら、先生の胸の中には、まるで、武雄の温泉につかっているような、あったかいものが、じわっと、わきあがってきたわ。佐倉さん、いいものを読ませてくれて、ありがとう」


岩山先生が、かおりちゃんにお礼を言っていたので、かおりちゃんは、照れたような顔をしていた。


「先生、武雄の温泉につかっているような、あったかいものって、どんなものが、わきあがってきたんですか ? 」


やんちゃそうな男の子が岩山先生に聞いていた。


「そうねぇ、どう言ったらいいのかなぁ……、言葉ではうまく言い表せないわ」


男の子の質問に、岩山先生は少し困ったような顔をしていた。


「先生、要するに、心がほかほかとして、しんまであったまる湯気のようなものが、先生の胸の中にわいてきたということではないのですか ?」


質問をした男の子の隣にすわっていた男の子が聞いていた。


「そうそう、そんな感じね。小林君、先生の気持ちがよく分かったわね」


岩山先生がにっこり微笑みながら、青いセーターを着て、紺色のズボンをはいていた男の子を見ていた。


「ぼくもこの前、おとうさんといっしょに武雄の温泉に入ったばかりだったし、ちょうどそんな感じがしたから」


男の子は、そのときのことを、ふっと思い浮かべているような顔をして答えていた。


「そうだったの。本当に、武雄の温泉はいいわよね。宮本武蔵や、シーボルトといった歴史上有名な人も入ったと言われているし、昔のお殿様が入っていた『殿様湯』に入れば、気分はまさにお殿様」


岩山先生はそう言って、くすっと笑った。


「私のおかあさんは武雄温泉に含まれているミネラルを成分とした化粧水を使っているわ。お肌がすべすべして、とてもいいそうなの」


かおりちゃんがそう言うと、


「先生も、その化粧水を使っているわ」


と、岩山先生が、にっこりと答えていた。


「うちのおかあさんは、武雄の温泉化粧水はまだ使っていないみたい。帰ったら、すすめてみようかしら」


かおりちゃんの後ろの席にすわっていた女の子がそう言っていた。


「私はまだ武雄温泉に入ったことはないわ。武雄の近くにある嬉野温泉(うれしのおんせん)には入ったことがあるわ。
露天風呂に入ったので、周りの景色がとてもきれいだった。旅館で出された料理もおいしかったので、うちのおばあちゃんが、『うれしーのー』と言っていたよ」


後ろから二列目の窓際の席にすわっていた女の子が、そう言った。するとそれを聞いて、すぐ前の男の子が、


「何だ、それ、シャレかよー 」


と、すかさず応じていた。


 温泉のことが話題になったので、教室の中も何だか、温泉のように、あったかい雰囲気に包まれていた。ぼくの心も、ぽかぽかしてきた。


「岩山先生、佐倉さんが持ってきた絵本や手紙を見て、私の心の中も、今、温泉の中にいるように、とてもあったかくなってきたんです。みんなの心もたぶんそうだろうと思います。だから今度はクラスみんなで、カンボジアの子どもたちに絵本を送ろうかって、今、私は思っているんです。先生はどう思われますか ? 」


めがねをかけた女の子が聞いていた。


「いいわね。先生も今、ちょうど、そのことを思っていたところだったの。クラスのみんなはどう ? 」


岩山先生は、クラスの一人ひとりの顔を、ゆっくりと見回していた。


「いいわねえ」


「夢があって楽しそう」


「賛成 ! 」


かおりちゃんのクラスのお友だちは、笑顔で岩山先生に答えたり、隣の人と、うなずきあっていた。


「佐倉さん、絵本を送るボランティアのことを、みんなの前で話してくれない ? 」


岩山先生が、かおりちゃんに、うながしていた。


「えっ、今ですか ? 」


かおりちゃんは、岩山先生の急な要望に、とまどっているみたいだった。かおりちゃんが、確かめるようなまなざしで、
岩山先生を見ると、


「ええ、そう」


岩山先生が、かおりちゃんに、にっこり、微笑みかけていた。


「でも先生、今は朝の会の時間だから、先生から何か大切なお話があるんじゃないですか ? 」


かおりちゃんは、話すことにまだ、ためらいを感じているみたいだった。


「佐倉さん、気をつかってくれて、ありがとう。でも大丈夫よ。今日は特にこれといった連絡事項は何もないの。だから
今日は何を話そうかな、それとも漢字の書き取りテストでもしようかなって思って、プリントを持ってきたところだったの」
 

岩山先生が教卓の上に置いた漢字のプリントを一枚、手に持って、いやらしそうに、みんなの前で、ひらひらさせていた。


「漢字か、いやな感じ」


かおりちゃんのひとつ前の席にすわっていた男の子のダジャレが受けたので、クラスの中に、どっと笑いが起こった。岩山先生も、おかしそうに、くすくす笑っていた。


「かおり、話せよ。漢字のテストなんか、おれ、受けたくないよ」


みんなの笑いがおさまったときに、ダジャレを言った男の子が後ろを振り返って、かおりちゃんにそう言った。


「私も漢字のテスト、受けたくないわ。先生のお話もいつもあまり面白くないしね。かおり、話して。私、もっと、カンボジアのことや、ボランティアのことを知りたいわ」


クラスのお友だちから催促されて、かおりちゃんは苦笑いしていた。


「はーなせ、はーなせ」


という、声をそろえてのコールまで起こったので、( まいったなあー )  という顔をしながら、かおりちゃんは、しきりに照れていた。