第6話 ふうたろう、カンボジアへ行く
翌朝の十時ごろ、かおりちゃんのおかあさんが、ぼくをレターパックに入れてから、あて名を書いて、郵便局に持っていった。
かおりちゃんの家に三日前に来たばかりだったぼくは、本当はもう少し、かおりちゃんといっしょにいたかった。
かおりちゃんにいじわるをする子がクラスにいるみたいだから、ぼくも学校に行って、その子を見つけたら、僕は本当に、その子にいじわるのお返しをするつもりでいたんだから。
でもぼくには、カンボジアの子どもたちにも読んでもらうという大切な役割があるから、絵本の中から抜け出して、かおりちゃんの家にいるようなことはしないと、心に決めた。
翌日のお昼ごろ、ぼくは東京に着いて、その日の夕方、ぼくをかおりちゃんの家に出してくれたボランティアの人たちのもとへ再び帰ってきた。
するともうすでに、ぼくより前に日本のあちこちへ出かけていった絵本たちが戻ってきていた。
ほかの絵本たちも、ぼくと同じように、表紙の上に書かれている絵本の名前や、中味のお話の上には、カンボジアの言葉であるクメール語のシールが貼られていた。
日本語が全然見えなかったので、ぼくには、だれがだれなのか、さっぱり分からなかった。
でも何だか、ぼくたちが前のぼくたちとは違って、カンボジアという国で作られた絵本のように思えて、かっこよく見えた。
二週間ほど休んで、体の調子を整えたり、まだ戻ってきていない仲間の絵本たちが着くのを待ってから、ぼくたちは、いよいよ、カンボジアに向けて、横浜の港から出発することになった。
少し不安はあったけど、さびしくはなかった。ほかの仲間たちといっしょだったからね。
カンボジアの港をめざして、何日も、何日も、海の上を進んでいたら、ぼくたち、風の仲間の潮風がやってきて、
「ふうたろう君、元気でがんばってきてね」
「私たち、太平洋の潮風のこともカンボジアの子どもたちに伝えてきてね」
「カンボジアを吹いている風さんに、よろしく言ってね」
と言って、励ましてくれた。勇気がわいてきて、ぼくはうれしかった。
海は穏やかで、好天にも恵まれたので、気持ちがよくて快適な旅となった。
いっしょに旅をしている絵本たちと、シールで隠されている絵本の名前の当てっこをしたり、絵本の中から抜け出して、カモメと遊んだり、夜空の星をながめたりして、ぼくは退屈するどころか、時間がたつのも忘れるくらいに、船旅を楽しんでいた。
横浜を出てから二ヶ月ほどで、ぼくたちはコンポンソムというカンボジアの港に無事に着いた。
カンボジアは、日本よりもかなり暑かった。でも、ぼくたちはみんな元気だった。
港に着いたあと、今度は車に乗せられて、ぼくたちはカンボジアの首都のプノンペンに行った。
プノンペンには、ぼくたちをカンボジアの子どもたちに読んでもらう活動をしている人たちの事務所があるので、ぼくたちはそこに運ばれていった。
ぼくたちが事務所に着くと、そこで働いていた人たちが、みんな笑顔でぼくたちを出迎えてくれた。
ぼくたちは事務所の中でしばらく休んで、長い船旅の疲れをいやしてから、いくつかの班に分けられて、学校や、お寺の中にある図書館や図書室に行った。
ぼくが運ばれていったところは、プノンペンの郊外にあるニロード図書館という名前の図書館だった。
お寺の中にある図書館だったから、お坊さんや、修行中の小僧さんもいて、本を読んだり、図書館の係りの人と何か話をしていた。
本を読んだり、お話を聞いている子どもたちの姿もあったので、
(何を読んだり聞いたりしているのかな)
と思って、ぼくは絵本の中から抜け出して、子どもたちに近づいていった。
すると、ぼくたちよりも前に、日本から送られていた絵本だったので、ぼくはとても感激した。
ぼくが図書館に着いてから五日目の朝、ぼくも本棚に並べられた。
(だれか読んでくれるのかなあ)
と思いながら、しばらく待っていたら、その日のお昼の三時ごろ、十歳ぐらいの女の子がぼくを手に取ってくれた。
表紙に描いてあるぼくの顔を見て、にっこり笑ってから、ページをぺらぺらとめくって、絵を見ながら、とても楽しそうな顔をしていた。
ぼくは照れくさくて、体がむずむずして、おしっこをちびりそうになった。でも、うれしかった。
ぼくの絵を気に入ってくれた女の子は、ぼくの絵本を大事そうに手に持って読書室に入っていった。
そして窓際の席にすわると、ぼくのお話を心うきうき読み始めてくれた。
絵本を読んでいるときの女の子の顔といったら、目がお星様のように、きらきらと輝いていて、とてもきれいだった。
女の子は白い半そでのシャツを着て、こん色のズボンをはいていた。髪には赤いリボンを結んでいて、とてもかわいくて、よく似合っていた。
女の子の年は、かおりちゃんと同じくらいに見えた。とてもやさしそうな女の子だったから、ぼくはこの子が好きになった。
女の子は足が不自由で、右足は義足だったので、
(もしかしたら、この女の子は地雷を踏んだのかもしれない……)
と思って、かわいそうに思った。
でも女の子の顔には暗いかげは少しもなくて、絵本の中の面白い場面では、ころころとよく笑う無邪気な女の子だったから、ぼくはますます、この女の子が好きになった。
女の子は、ぼくの絵本を読み終えると、バラのように明るく微笑みながら、裏表紙の内側にローマ字で書かれていた、かおりちゃんの名前と、かおりちゃんの似顔絵をじっと見ていた。
(きっと女の子は今、かおりちゃんと、心を通い合わせているのかもしれないなあ)
と、ぼくは思った。ぼくのお話を書いてくれた夢都(むつ)さんも、きっと今、何かを感じていて、喜んでくれているに違いない。ぼくには、そんな気がした。
ぼくも、もちろん、とてもうれしかった。日本の子どもにも外国の子どもにも読んでもらえたし、かおりちゃんも、カンボジアの女の子も、ぼくを読みながら、とても楽しそうな顔をしてくれたからね。
ぼくは本に生まれてよかったなぁって、今、しみじみと思っているよ。ぼくの気持ち、君たちに分かる ?
ぼくを最初に手に取って読んでくれた女の子が、ぼくの絵本をほかの子どもたちにもすすめてくれたので、ぼくは次から次に借りられて、読まれていった。
もう何十人くらいの子どもたちが、ぼくのお話を読んでくれたのか分からないくらいだ。
こんなに多くの子どもたちから読んでもらえるとは思ってもいなかった。
ぼくは絵本だから、ぼくと同じ絵本が五千冊ぐらいあるけど、日本の幼稚園や小学校の図書室や、県や市の図書館に置かれても、ぼくを読んでくれる子どもは、あまりいないようなんだ。
「もう三週間ぐらい、だれも手に取ってくれないので、とても退屈しているよ」
といった声が、風の便りとして、あちこちの図書館や図書室から届いていたからね。
それを思うと、二ヶ月もかけて、はるばるこんな遠いカンボジアまでやってきて、多くの子どもたちに楽しそうに読んでもらったぼくは、本当にしあわせだなあと思っている。
ぼくが日本を出発する前に、かおりちゃんたちが図書館でカンボジアのことを調べているのを見ていて、地雷を踏んで命を落としたり、手足を失った人がたくさんいることなどを知って、ぼくはカンボジアに来ることが怖かった。
長い船旅の疲れもまだ十分には取れていなかったから、しばらくは本棚の中で休みたいなあと思ったりしていた。でも休む暇はないほど忙しかった。疲れるけど、ぼくは今、ひしひしと喜びを感じている。楽しそうな顔をしながら、ぼくの絵本を読んだり聞いたりしている子どもたちの姿を見ていると、疲れも少し取れるようだ。
ただ少し気になることも出てきた。それは、あまりにも多くの子どもたちから読まれすぎて、体が汚くなってきたことだ。
子どもたちの手あかが、ぼくにつくのは我慢ができる。でも、なかには、せっかちな子どもがいて、急いでページをめくろうとしたために、本が破れたり、シールの下にはどんな言葉が書かれているのだろうと思って、わざとシールをはがそうとする子どももいて、そのために日本語が見えている箇所も出てきた。
そんなときには図書館の係りの人が補修をしてくれたこともあった。
でも、ある日、ぼくはとうとう、本棚から取り除かれて、それ以来、子どもたちから読んでもらえなくなってしまった。
さびしくて、ぼくは毎日、泣きたいくらいだった。
( ぼくはこれから、どうなるのだろう。もしかしたら、このまま捨てられて、燃やされてしまうのだろうか。そんなの、いやだよう。日本に帰りたいよう )
ぼくはそう思って、光の当たらない図書館の奥の小さな部屋で嘆いてばかりいた。
ぼくといっしょにニロード図書館にやってきた、ほかの絵本の中にも、ぼくと同じように、あまり多く読まれすぎて、体がぼろぼろになって、光の当たらない暗い部屋に連れてこられたものもいた。
でも、一ヶ月たっても、二ヶ月たっても、ぼくたちは捨てられたり、燃やされたりすることはなかった。
そして三ヶ月ほどたったある日、ぼくたちは再び船に乗って、日本に帰れることになった。シールを貼ってくれた人たちのもとへ、思い出になるかもしれないので、帰してもらえるのだ。このことが分かったときには、ぼくは涙が出るほど、うれしかった。
カンボジアという国で、十分に役割を果たしたぼくたちを、空き缶のようにポイ捨てにするのではなくて、日本に帰してくれるのだと思って、ぼくは人の心のやさしさを感じた。
ぼくも、ほかの絵本たちも、みんなとても疲れていたけど、生きて帰れるのだ。言葉も文化も習慣も気候も、日本とは、まるっきり違う国に来て、くたばることなく、体がぼろぼろになるまで働いて、そして無事に日本に帰っていけるのだ。
そのことを思って、ぼくは今、とても感激している。いっしょに日本から来た仲間の絵本たちに、
「よかったね」
と、声をかけたら、みんな、にっこりして、うなずいていた。
翌朝の十時ごろ、かおりちゃんのおかあさんが、ぼくをレターパックに入れてから、あて名を書いて、郵便局に持っていった。
かおりちゃんの家に三日前に来たばかりだったぼくは、本当はもう少し、かおりちゃんといっしょにいたかった。
かおりちゃんにいじわるをする子がクラスにいるみたいだから、ぼくも学校に行って、その子を見つけたら、僕は本当に、その子にいじわるのお返しをするつもりでいたんだから。
でもぼくには、カンボジアの子どもたちにも読んでもらうという大切な役割があるから、絵本の中から抜け出して、かおりちゃんの家にいるようなことはしないと、心に決めた。
翌日のお昼ごろ、ぼくは東京に着いて、その日の夕方、ぼくをかおりちゃんの家に出してくれたボランティアの人たちのもとへ再び帰ってきた。
するともうすでに、ぼくより前に日本のあちこちへ出かけていった絵本たちが戻ってきていた。
ほかの絵本たちも、ぼくと同じように、表紙の上に書かれている絵本の名前や、中味のお話の上には、カンボジアの言葉であるクメール語のシールが貼られていた。
日本語が全然見えなかったので、ぼくには、だれがだれなのか、さっぱり分からなかった。
でも何だか、ぼくたちが前のぼくたちとは違って、カンボジアという国で作られた絵本のように思えて、かっこよく見えた。
二週間ほど休んで、体の調子を整えたり、まだ戻ってきていない仲間の絵本たちが着くのを待ってから、ぼくたちは、いよいよ、カンボジアに向けて、横浜の港から出発することになった。
少し不安はあったけど、さびしくはなかった。ほかの仲間たちといっしょだったからね。
カンボジアの港をめざして、何日も、何日も、海の上を進んでいたら、ぼくたち、風の仲間の潮風がやってきて、
「ふうたろう君、元気でがんばってきてね」
「私たち、太平洋の潮風のこともカンボジアの子どもたちに伝えてきてね」
「カンボジアを吹いている風さんに、よろしく言ってね」
と言って、励ましてくれた。勇気がわいてきて、ぼくはうれしかった。
海は穏やかで、好天にも恵まれたので、気持ちがよくて快適な旅となった。
いっしょに旅をしている絵本たちと、シールで隠されている絵本の名前の当てっこをしたり、絵本の中から抜け出して、カモメと遊んだり、夜空の星をながめたりして、ぼくは退屈するどころか、時間がたつのも忘れるくらいに、船旅を楽しんでいた。
横浜を出てから二ヶ月ほどで、ぼくたちはコンポンソムというカンボジアの港に無事に着いた。
カンボジアは、日本よりもかなり暑かった。でも、ぼくたちはみんな元気だった。
港に着いたあと、今度は車に乗せられて、ぼくたちはカンボジアの首都のプノンペンに行った。
プノンペンには、ぼくたちをカンボジアの子どもたちに読んでもらう活動をしている人たちの事務所があるので、ぼくたちはそこに運ばれていった。
ぼくたちが事務所に着くと、そこで働いていた人たちが、みんな笑顔でぼくたちを出迎えてくれた。
ぼくたちは事務所の中でしばらく休んで、長い船旅の疲れをいやしてから、いくつかの班に分けられて、学校や、お寺の中にある図書館や図書室に行った。
ぼくが運ばれていったところは、プノンペンの郊外にあるニロード図書館という名前の図書館だった。
お寺の中にある図書館だったから、お坊さんや、修行中の小僧さんもいて、本を読んだり、図書館の係りの人と何か話をしていた。
本を読んだり、お話を聞いている子どもたちの姿もあったので、
(何を読んだり聞いたりしているのかな)
と思って、ぼくは絵本の中から抜け出して、子どもたちに近づいていった。
すると、ぼくたちよりも前に、日本から送られていた絵本だったので、ぼくはとても感激した。
ぼくが図書館に着いてから五日目の朝、ぼくも本棚に並べられた。
(だれか読んでくれるのかなあ)
と思いながら、しばらく待っていたら、その日のお昼の三時ごろ、十歳ぐらいの女の子がぼくを手に取ってくれた。
表紙に描いてあるぼくの顔を見て、にっこり笑ってから、ページをぺらぺらとめくって、絵を見ながら、とても楽しそうな顔をしていた。
ぼくは照れくさくて、体がむずむずして、おしっこをちびりそうになった。でも、うれしかった。
ぼくの絵を気に入ってくれた女の子は、ぼくの絵本を大事そうに手に持って読書室に入っていった。
そして窓際の席にすわると、ぼくのお話を心うきうき読み始めてくれた。
絵本を読んでいるときの女の子の顔といったら、目がお星様のように、きらきらと輝いていて、とてもきれいだった。
女の子は白い半そでのシャツを着て、こん色のズボンをはいていた。髪には赤いリボンを結んでいて、とてもかわいくて、よく似合っていた。
女の子の年は、かおりちゃんと同じくらいに見えた。とてもやさしそうな女の子だったから、ぼくはこの子が好きになった。
女の子は足が不自由で、右足は義足だったので、
(もしかしたら、この女の子は地雷を踏んだのかもしれない……)
と思って、かわいそうに思った。
でも女の子の顔には暗いかげは少しもなくて、絵本の中の面白い場面では、ころころとよく笑う無邪気な女の子だったから、ぼくはますます、この女の子が好きになった。
女の子は、ぼくの絵本を読み終えると、バラのように明るく微笑みながら、裏表紙の内側にローマ字で書かれていた、かおりちゃんの名前と、かおりちゃんの似顔絵をじっと見ていた。
(きっと女の子は今、かおりちゃんと、心を通い合わせているのかもしれないなあ)
と、ぼくは思った。ぼくのお話を書いてくれた夢都(むつ)さんも、きっと今、何かを感じていて、喜んでくれているに違いない。ぼくには、そんな気がした。
ぼくも、もちろん、とてもうれしかった。日本の子どもにも外国の子どもにも読んでもらえたし、かおりちゃんも、カンボジアの女の子も、ぼくを読みながら、とても楽しそうな顔をしてくれたからね。
ぼくは本に生まれてよかったなぁって、今、しみじみと思っているよ。ぼくの気持ち、君たちに分かる ?
ぼくを最初に手に取って読んでくれた女の子が、ぼくの絵本をほかの子どもたちにもすすめてくれたので、ぼくは次から次に借りられて、読まれていった。
もう何十人くらいの子どもたちが、ぼくのお話を読んでくれたのか分からないくらいだ。
こんなに多くの子どもたちから読んでもらえるとは思ってもいなかった。
ぼくは絵本だから、ぼくと同じ絵本が五千冊ぐらいあるけど、日本の幼稚園や小学校の図書室や、県や市の図書館に置かれても、ぼくを読んでくれる子どもは、あまりいないようなんだ。
「もう三週間ぐらい、だれも手に取ってくれないので、とても退屈しているよ」
といった声が、風の便りとして、あちこちの図書館や図書室から届いていたからね。
それを思うと、二ヶ月もかけて、はるばるこんな遠いカンボジアまでやってきて、多くの子どもたちに楽しそうに読んでもらったぼくは、本当にしあわせだなあと思っている。
ぼくが日本を出発する前に、かおりちゃんたちが図書館でカンボジアのことを調べているのを見ていて、地雷を踏んで命を落としたり、手足を失った人がたくさんいることなどを知って、ぼくはカンボジアに来ることが怖かった。
長い船旅の疲れもまだ十分には取れていなかったから、しばらくは本棚の中で休みたいなあと思ったりしていた。でも休む暇はないほど忙しかった。疲れるけど、ぼくは今、ひしひしと喜びを感じている。楽しそうな顔をしながら、ぼくの絵本を読んだり聞いたりしている子どもたちの姿を見ていると、疲れも少し取れるようだ。
ただ少し気になることも出てきた。それは、あまりにも多くの子どもたちから読まれすぎて、体が汚くなってきたことだ。
子どもたちの手あかが、ぼくにつくのは我慢ができる。でも、なかには、せっかちな子どもがいて、急いでページをめくろうとしたために、本が破れたり、シールの下にはどんな言葉が書かれているのだろうと思って、わざとシールをはがそうとする子どももいて、そのために日本語が見えている箇所も出てきた。
そんなときには図書館の係りの人が補修をしてくれたこともあった。
でも、ある日、ぼくはとうとう、本棚から取り除かれて、それ以来、子どもたちから読んでもらえなくなってしまった。
さびしくて、ぼくは毎日、泣きたいくらいだった。
( ぼくはこれから、どうなるのだろう。もしかしたら、このまま捨てられて、燃やされてしまうのだろうか。そんなの、いやだよう。日本に帰りたいよう )
ぼくはそう思って、光の当たらない図書館の奥の小さな部屋で嘆いてばかりいた。
ぼくといっしょにニロード図書館にやってきた、ほかの絵本の中にも、ぼくと同じように、あまり多く読まれすぎて、体がぼろぼろになって、光の当たらない暗い部屋に連れてこられたものもいた。
でも、一ヶ月たっても、二ヶ月たっても、ぼくたちは捨てられたり、燃やされたりすることはなかった。
そして三ヶ月ほどたったある日、ぼくたちは再び船に乗って、日本に帰れることになった。シールを貼ってくれた人たちのもとへ、思い出になるかもしれないので、帰してもらえるのだ。このことが分かったときには、ぼくは涙が出るほど、うれしかった。
カンボジアという国で、十分に役割を果たしたぼくたちを、空き缶のようにポイ捨てにするのではなくて、日本に帰してくれるのだと思って、ぼくは人の心のやさしさを感じた。
ぼくも、ほかの絵本たちも、みんなとても疲れていたけど、生きて帰れるのだ。言葉も文化も習慣も気候も、日本とは、まるっきり違う国に来て、くたばることなく、体がぼろぼろになるまで働いて、そして無事に日本に帰っていけるのだ。
そのことを思って、ぼくは今、とても感激している。いっしょに日本から来た仲間の絵本たちに、
「よかったね」
と、声をかけたら、みんな、にっこりして、うなずいていた。

