第14話 これからへの熱い思い
旅行の最終日は、自由見学の日だった。
かおりちゃんと、かおりちゃんのおかあさんは、ほかの参加者たちが、アンコールワットの遺跡を見学に行っているときに、タケオという町に行った。
小学校を訪ねて、岩山先生や、五年生のときのクラスのお友だちから預かってきたノートと鉛筆とリコーダーとサッカーボールを、子どもたちにプレゼントしていた。
思いがけないプレゼントに、子どもたちは、はじけるような笑顔で、
「オークン、オークン」
と言って、とても喜んでいた。
かおりちゃんが、にっこり、うなずきながら、
「ムン エイ テー ( どういたしまして ) 」
と答えていた。
かおりちゃんが学校で習った歌をリコーダーで吹いてあげたり、おかあさんが手品をしてみせると、子どもたちは楽しそうに見ていた。
そのあと、子どもたちは、かおりちゃんが持ってきたボールを使って、校庭でサッカーを始めていた。かおりちゃんも加わって、元気に走り回って、ボールを追いかけていた。
「武雄とタケオ。国も言葉も違っているけど、ここは私たちが住んでいる町と同じ発音をする町なんだわ。何だか不思議な縁を感じるわ。同じアジアの国でもあるし、これを機会に、武雄とタケオの子どもたちが、楽しい交流を始めてくれたらいいわねえ」
帰りの時間が近づいたころ、かおりちゃんのおかあさんが、胸をバラ色に染めていた。
「私もそう思うわ。岩山先生がいつかおっしゃっていたけど、私たちの学校と、ここの学校が姉妹校になればいいなあと、私は思っているの」
かおりちゃんが、夜空に輝くスバルのように、目をきらきらさせていた。
かおりちゃんと、かおりちゃんのおかあさんは、タケオの子どもたちといっしょに記念写真を撮ってから、名残惜しそうに、学校を後にしていた。
その日の夕方、かおりちゃんと、おかあさんは、空港の近くのホテルで、旅行に参加したほかの人たちと、再び合流していた。
かおりちゃんと、おかあさんは、ホテルの中にある売店で、おとうさんや、岩山先生や、五年生のときのお友だちにあげるおみやげを選んでいた。
おとうさんには、アンコールワットの壁にある彫刻を拓本にしたものを買っていた。岩山先生には、草木染めをしたシルクのふろしきを買っていた。五年生のときのクラスのお友だちには、クメール織りと呼ばれている布でできた小さなお人形を買っていた。
自分たちにも何か記念になるものを買わなければと思って、お店の中をくまなく回ってから、かおりちゃんはポーチを買い、おかあさんは、きれいな刺繍がほどこされた壁掛けを買っていた。
かおりちゃんたちは、そのあと、ホテルのレストランで食事を始めた。
日本ではなかなか食べることができないガチョウの卵の炒めものなどの珍しいカンボジア料理が、テーブルの上に次々と運ばれてきたので、かおりちゃんたちは、おいしそうにしたつづみを打っていた。
ホテルで一泊して、翌朝、かおりちゃんたちは、いよいよ、カンボジアを離れることになった。
プノンペンの国際空港から、タイのバンコクに向けて飛行機で出発し、バンコクで午後、市内の観光地を見学したり、買い物などをしてから、夜の十一時ごろの飛行機で帰国の途についた。そして翌朝の七時半に成田に着いた。
かおりちゃんの胸の中には、カンボジアで出会った子どもたちの笑顔が今も鮮明に残っていたので、成田に降り立ったときの顔は、五月の青空のようにさわやかで、晴れ晴れとしていた。
そんなかおりちゃんを見ていると、ぼくはとてもしあわせな気持ちになってくる。かおりちゃんと出会えて本当によかった。ぼくはこれからもずっと、かおりちゃんといっしょにいることになると思う。かおりちゃんが、ぼくを捨てたりしないだろうからね。かおりちゃんが、これからも、心や体が少しずつ成長していくのを、ぼくは楽しみにしている。
ただ、ぼくには一つだけ、迷っていることがある。それは、このままずっと絵本のままでいようか、それとも、人間になるための方法を勉強して、勉強がうまくいったら、人間になろうかということなんだ。
前にも言ったけど、ぼくは絵本に生まれてよかったと思っている。絵本のままでいたら、百年でも二百年でも生きられるし、ずっと子どものままでいられるから、いいなあと思っている。
でも絵本のままでいたら、かおりちゃんとは、これからもずっと話せないままでいることになるから、それもちょっぴりさびしいなあと思っている。
絵本として生きていくか、それとも人間になるための方法を勉強するかは、まだ決めていない。人間になろうと思ってもうまくいかないかもしれない。
もし人間になる生き方を選んで、本当に人間になれたら、かおりちゃんと、人間同士として、そして仲のよい親友として、一生、楽しくお付き合いしていけたらいいなあと、ぼくは思っている。
かおりちゃんが、これからもずっと、カンボジアのことを大切に思い続けてくれたら、ぼくはうれしい。そして、いつかまたかおりちゃんといっしょにカンボジアに行きたい。ひとみがきれいなカンボジアの子どもたちにまた会いたいからね。
ぼくが人間になれたら、ぼくと、かおりちゃんと、スレイモンちゃんが中心になって、カンボジアと日本の交流をする新しいボランテイアの活動をぜひ始めてみたいと思っている。
絵本だけではなくて、大人の本や、絵や、音楽や、踊りや、スポーツなどを通して、カンボジアと日本の人たちの、ほのぼのとした交流を、ぼくはぜひ実現してみたいと思っている。
そのときには、ぼくたちだけでは力に限りがあるから、この物語を読んでくれた人たちにも、協力してもらえたらいいなあと、ぼくは思っている。よろしくね。
では、ぼくのお話はここまでにするよ。読んでくれて、オークン(ありがとう)
旅行の最終日は、自由見学の日だった。
かおりちゃんと、かおりちゃんのおかあさんは、ほかの参加者たちが、アンコールワットの遺跡を見学に行っているときに、タケオという町に行った。
小学校を訪ねて、岩山先生や、五年生のときのクラスのお友だちから預かってきたノートと鉛筆とリコーダーとサッカーボールを、子どもたちにプレゼントしていた。
思いがけないプレゼントに、子どもたちは、はじけるような笑顔で、
「オークン、オークン」
と言って、とても喜んでいた。
かおりちゃんが、にっこり、うなずきながら、
「ムン エイ テー ( どういたしまして ) 」
と答えていた。
かおりちゃんが学校で習った歌をリコーダーで吹いてあげたり、おかあさんが手品をしてみせると、子どもたちは楽しそうに見ていた。
そのあと、子どもたちは、かおりちゃんが持ってきたボールを使って、校庭でサッカーを始めていた。かおりちゃんも加わって、元気に走り回って、ボールを追いかけていた。
「武雄とタケオ。国も言葉も違っているけど、ここは私たちが住んでいる町と同じ発音をする町なんだわ。何だか不思議な縁を感じるわ。同じアジアの国でもあるし、これを機会に、武雄とタケオの子どもたちが、楽しい交流を始めてくれたらいいわねえ」
帰りの時間が近づいたころ、かおりちゃんのおかあさんが、胸をバラ色に染めていた。
「私もそう思うわ。岩山先生がいつかおっしゃっていたけど、私たちの学校と、ここの学校が姉妹校になればいいなあと、私は思っているの」
かおりちゃんが、夜空に輝くスバルのように、目をきらきらさせていた。
かおりちゃんと、かおりちゃんのおかあさんは、タケオの子どもたちといっしょに記念写真を撮ってから、名残惜しそうに、学校を後にしていた。
その日の夕方、かおりちゃんと、おかあさんは、空港の近くのホテルで、旅行に参加したほかの人たちと、再び合流していた。
かおりちゃんと、おかあさんは、ホテルの中にある売店で、おとうさんや、岩山先生や、五年生のときのお友だちにあげるおみやげを選んでいた。
おとうさんには、アンコールワットの壁にある彫刻を拓本にしたものを買っていた。岩山先生には、草木染めをしたシルクのふろしきを買っていた。五年生のときのクラスのお友だちには、クメール織りと呼ばれている布でできた小さなお人形を買っていた。
自分たちにも何か記念になるものを買わなければと思って、お店の中をくまなく回ってから、かおりちゃんはポーチを買い、おかあさんは、きれいな刺繍がほどこされた壁掛けを買っていた。
かおりちゃんたちは、そのあと、ホテルのレストランで食事を始めた。
日本ではなかなか食べることができないガチョウの卵の炒めものなどの珍しいカンボジア料理が、テーブルの上に次々と運ばれてきたので、かおりちゃんたちは、おいしそうにしたつづみを打っていた。
ホテルで一泊して、翌朝、かおりちゃんたちは、いよいよ、カンボジアを離れることになった。
プノンペンの国際空港から、タイのバンコクに向けて飛行機で出発し、バンコクで午後、市内の観光地を見学したり、買い物などをしてから、夜の十一時ごろの飛行機で帰国の途についた。そして翌朝の七時半に成田に着いた。
かおりちゃんの胸の中には、カンボジアで出会った子どもたちの笑顔が今も鮮明に残っていたので、成田に降り立ったときの顔は、五月の青空のようにさわやかで、晴れ晴れとしていた。
そんなかおりちゃんを見ていると、ぼくはとてもしあわせな気持ちになってくる。かおりちゃんと出会えて本当によかった。ぼくはこれからもずっと、かおりちゃんといっしょにいることになると思う。かおりちゃんが、ぼくを捨てたりしないだろうからね。かおりちゃんが、これからも、心や体が少しずつ成長していくのを、ぼくは楽しみにしている。
ただ、ぼくには一つだけ、迷っていることがある。それは、このままずっと絵本のままでいようか、それとも、人間になるための方法を勉強して、勉強がうまくいったら、人間になろうかということなんだ。
前にも言ったけど、ぼくは絵本に生まれてよかったと思っている。絵本のままでいたら、百年でも二百年でも生きられるし、ずっと子どものままでいられるから、いいなあと思っている。
でも絵本のままでいたら、かおりちゃんとは、これからもずっと話せないままでいることになるから、それもちょっぴりさびしいなあと思っている。
絵本として生きていくか、それとも人間になるための方法を勉強するかは、まだ決めていない。人間になろうと思ってもうまくいかないかもしれない。
もし人間になる生き方を選んで、本当に人間になれたら、かおりちゃんと、人間同士として、そして仲のよい親友として、一生、楽しくお付き合いしていけたらいいなあと、ぼくは思っている。
かおりちゃんが、これからもずっと、カンボジアのことを大切に思い続けてくれたら、ぼくはうれしい。そして、いつかまたかおりちゃんといっしょにカンボジアに行きたい。ひとみがきれいなカンボジアの子どもたちにまた会いたいからね。
ぼくが人間になれたら、ぼくと、かおりちゃんと、スレイモンちゃんが中心になって、カンボジアと日本の交流をする新しいボランテイアの活動をぜひ始めてみたいと思っている。
絵本だけではなくて、大人の本や、絵や、音楽や、踊りや、スポーツなどを通して、カンボジアと日本の人たちの、ほのぼのとした交流を、ぼくはぜひ実現してみたいと思っている。
そのときには、ぼくたちだけでは力に限りがあるから、この物語を読んでくれた人たちにも、協力してもらえたらいいなあと、ぼくは思っている。よろしくね。
では、ぼくのお話はここまでにするよ。読んでくれて、オークン(ありがとう)

