家出令嬢ですが、のんびりお宿の看板娘はじめました


「お母様」

香りが、どんどん記憶を引き出していく。
優しい声、温かい手、感触も温度も取り戻せそうなほど鮮明な記憶。それはロザリーに、忘れていた悲しみも連れてきた。
目のふちいっぱいまで広がった涙が熱い。父親の上着の上に滴が落ち、生地の色を変えていく。
自然に手が震えて、ロザリーは思わず口に出していた。

「……や、いや。……いやです。お母様、お父様」

忘れていたのが嘘だったかのように、一気に押し寄せてきた優しい記憶とそれを愛していたという感覚。同時に悲しみもあふれ出し、胸を圧迫して息をするのも苦しくなる。

「本当にもういないなんて、嫌です。……私を……置いて行かないでください……」

ボロボロと涙がこぼれて、ロザリーの胸はつぶれそうになる。
けれど次の瞬間、ロザリーを白檀の香りが包んだ。いつの間にか隣にきたザックが、彼女を抱きしめ背中をさすってくれているのだ。

ロザリーは彼の固い胸にほほを押し付けた。軽く吸い込むだけで全身を包む甘い香り。それは、今のロザリーの心を埋め尽くすのは、悲しみだけではないと思い出させてくれた。

この街に来て、たくさんの出会いがあって。
ロザリーは信じられる人を見つけたのだ。
頼もしい宿主のレイモンド。格好いい先輩従業員のチェルシー。いかつい顔をしているくせに優しくて、ロザリーをマスコットのようにかわいがってくれるランディ。それにいつもにこやかなケネスと、どんな時も傍で守ってくれたザック。