「君は、馬鹿か」

落ち着いた低い響きの声は、ともすれば聞き取りにくいハスキーな声であり未優(みゆう)は一瞬、耳を疑った。

聞き違いかと思い、自分と同じくらいの年齢の少年を見上げる。眼差しは、あきれきった彼の心の内を、まざまざと表していた。

中央に大きな噴水があり、周りを木々に囲まれた、市民の憩いの場。西に傾いた太陽の光が、少年の片耳の“ピアス”を照らす──銀色の、雫型をしている。

ゆるやかに流れた風が、未優の腰まである栗色の髪を散らしていった。

少年の言葉の意味を、額面通りに受け取ってしまったため、真の意味に気づくのが遅れた。

つまり、これは──。

(また、ふられちゃったんだ、あたし……!)

恥ずかしさと悔しさと、それでもまだ(うず)く胸の甘い痛みが、彼女を呆然と立ち尽くさせていた。

少年は、もう未優に目もくれなかった。淡々と、濃紺色のヴァイオリンケースの中に、手にしていた本体と弓をしまっている。

さきほどまで奏でられていた愁いを帯びた旋律が、まだ未優の耳に反響していた──ヴィタリの、『シャコンヌ』が。

彼女は、その曲名も作曲家も知らないが、思い出だけはもっていた。

「あのっ……名前……あなたの名前だけでも、教えて……!」

広場の出入口へと向かいかけていた少年の足が、止まる。

未優は、なけなしの勇気を振り絞って呼び止めることのできた自分を、少し誇らしく思った。

「──……犬飼(いぬかい)留加(るか)

肩ごしに言いきって、少年はふたたび歩きだす。

それだけで、未優は満足だった。
なぜなら、彼の“種族”も“混血種”であることも、すでに解っていたのだから。