天使のアリア––翼の記憶––

「ちょっとピアノ弾いていいか?」

先輩の声は少し暗く、そしてゆっくりだった。しかしその声が、先輩には珍しく、切迫したような気配がして、有無を言わせないような殺気とも言える空気感を伴っていた。


「も、勿論…」

元から許可しないことなど考えてもいなかったのだが、あまりの迫力、切迫感に私はたじろいで、モゴモゴと答えてしまった。

そんな私が何かを言うよりも早く、先輩はピアノ椅子に座り、譜面台に私のノートを置いた。表情は真剣である。


先輩は楽譜と鍵盤を見比べながら音を紡ぎ始めた。

いつもと違うのは、その方法が声ではなくピアノだということ。


また音が音楽室に流れ出した。


あぁ、そうだこの曲だ。

私が夢で聞いたのは、この曲だ。



クラシックのようで、


ジャズのようで、


喜びで満ちているようで、


楽しそうで、


哀愁と憂いを帯びていて、


哀しそうで、


懐かしくて、


近代的で、


底なしに明るいようで、


深い闇のような影があるようで、


どこかで聞いたことがありそうで、


聞いたことがないようで、



とても不思議なのに、


とても綺麗なのだ。



最後の一音の響きも音楽室に吸い込まれると、藍羅先輩は何も言わず席を立った。


「せ、んぱい…?」


私の声に答えることなく、先輩は息を吸った。

この行動をとる先輩を私は良く知っている。



そして音楽がまた始まった。



先輩が歌いだしたのである。