天使のアリア––翼の記憶––

「だって、あの寝癖…!」

「もう直ったじゃないですか!」

あの後十数分格闘して、ようやくいつも通りの髪に戻った。道のりは長かった。

「大体、こんな日によく大笑いできますね!」

一世一代の大舞台で歌うことができるこの日に、どうしてこんなにお腹を抱えて笑うことができるのだろう。

「自分を誤魔化すために笑ってるんだ」

先輩は少し真面目な顔をした。

「緊張していると自覚すると、体が委縮して良い声なんてでなくなってしまうから」

うーんと両腕を空に突き上げて伸びをすると、私に微笑んだ。

「そういう意味で、月子の寝癖はナイスだった」

先輩の微笑みに思わず黙ってしまったけど、すぐに気づいた。

「それって全然褒めてないですよね!」

「あ、ばれた?」

先輩はいたずら好きの少年のようにニっと笑った。

「ばれるに決まってるじゃないですか!」

少しの沈黙の後、また笑いが溢れた。


「さぁ、今からゲネプロだ」

ゲネプロというのは、通し稽古という意味。

私達は本番前にやる通し練習って意味で使っている。

「分かっていると思いますけど、喉を酷使しないでくださいよ?」

釘を刺す私に、分かってると藍羅先輩は口を尖らせた。

「月子、お前もだぞ? 腱鞘炎なんかになって、あたしの伴奏ができなくなったなんてことになったら困るんだ。あたしの伴奏者は月子以外あり得ないんだから。…って、何でニヤついてるんだ」

藍羅先輩の嬉しい言葉に思わず頬が緩んでしまった。

「そんなエイリアンでも見るような目はやめてくださいよ!」

「え…」

「いや、何で戸惑うんですか!?」

馬鹿みたいな会話をやりとりしているうちに、かぐや会館に到着した。

緑に囲まれたルナ・プリンシア・ホールは、凛としていて、そして威厳があって、そして迫力があった。

かぐや会館の迫力を前にして立ちすくんでいると、藍羅先輩が声をかけた。


「何を立ち止まっているんだ?」


振り返ると、そこには不思議そうな顔をした藍羅先輩がいた。


「先輩…」

「立ち止まる必要はない。飲まれるな、会場に。信じろ、自分を。きっと、大丈夫だ」


先輩はそういうと私の肩にポンと手を置いて、 先に会場に入った。

私もそれに続くように駆け足で藍羅先輩を追いかけた。


かぐや会館はとても広大で、楽屋までたどり着くのは至難の業だった。

あちこちに伸びる廊下や部屋の数々は、まるで巨大迷路の中にいるようだった。途方もなく歩き続ける私はまるでその巨大迷路の閉じ込められたような感覚だった。

藍羅先輩を完全に見失った私は必死に自分たちの楽屋を探した。

やっとのことで見つけ出す、そこにはすでにドレスアップした藍羅先輩がいた。

藍羅先輩は真っ白なロングドレスを着ていた。それは何の飾り付けもない、とてもシンプルなものだった。