「はよ」

その声が耳に届いた瞬間、どくんと心臓が跳ねた。

見ていなくても、それが誰なのかはすぐに分かった。

もう何年も聞き続けている、あの人の声だから。


私が前を向くと同時に、私の目がその声の主を捕えた。

私の瞳がその人物を映し出した時、どくんとまた心臓が跳ねる。

全身が心臓になったかのようにドクンドクンと心臓が大きく、痛いくらいに波打っている。


同時に恐怖を覚えた。


今朝、夢を見た時に感じたような、締め付けるような胸の痛みが、所在のない孤独感が、心に押し寄せる。

苦しい。

できるのなら、今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。

この人に会わないで済むような、どこか遠い場所へ。

この人に忘れられてしまうような、どこか見知らぬ場所へ。


「おはよー、ウサギー」

乙葉がその人物に向かって微笑む。天使の笑顔で。

「はよ、乙葉」

そう言って乙葉には爽やかな笑みを返したくせに、

「なんだ、馬鹿月子もいたのか」

そう言っておどけた顔をして私をからかうのは、なぜだ。


ムカムカとする気持ちも多少はあったけれど、嬉しい気持ちの方が上回った。

ウサギがいつも通り話してくれたのが、とてもありがたかった。

もし、避けられてしまったらどうしようと、昨日の夜からずっとそう思っていたから。

ウサギは、家族のような存在だから、失いたくない。

今のままで、このままの関係でいたいんだ。

本当に優しくていい人だから。

今だって、そうだ。

ウサギは笑った顔をしているけれど、本当は私と顔を合わせたくないはず。

私だって顔を合わせずに済むならそうしたかった。

だって昨日があんなのだったんだから、顔を合わせるのが恥ずかしくて仕方がないし、避けられたら、と思うと怖かった。

きっとウサギも同じ気持ちだろう。

でも、そんな気持ちも隠していつも通りに接してくれているのだから。


「……馬鹿はあんたでしょ、この馬鹿ウサギ」


私も、いつも通りの私でいよう。