天使のアリア––翼の記憶––

目の前のことが信じられない。

幻覚かと思って何度か瞬きするけれど、やっぱりそれは紛れもなく乙葉で。

私の頭では、はてなマークが飛び交っている。

「乙葉? なんで? なんでまだここにいるの? どうして帰ってないの?」

演奏会はもうとっくの前に終わったのに。

すると乙葉は抜群に可愛い笑顔で答えた。

「せっかくだからー、一緒に帰ろっかなって思ってー。あ、もしかしてー……迷惑、だったー……?」

だああああああ!

し、審判、こ、これは反則ですよねええ?!

涙目は駄目。涙目は駄目!

なんでそんな潤んだ瞳で私を見つめるのさ、貴女は!

上目遣いで私を見る角度も、少し首を傾けているその角度も、全てが計算されたように可愛くて、儚げで、目を離せなくて、放っておけなくなる。

そんな可愛くて儚い表情を、演奏会で疲れ果てた私に見せるなんて……何ですか、きゅん死にさせる気ですか!

「め、迷惑なわけないよ! 寧ろ嬉しい! 一緒に帰ろ!」

私がそういうと、ぱぁっと笑顔になってコクンと頷いた乙葉。

はぁ、これが同い年だなんて……。幼馴染とはいえ、信じられない。もう、可愛すぎる。

ただの天使か、貴女は。

「じゃあ、帰ろー!」

私の手を取って、出口へと向かう乙葉を見ながら、私はそんなことを思っていた。


梅雨の夕方の空は、まるで夜のようだ。

つい先日梅雨入りを果たしたこの地域では、重くどんよりとした曇り空ばかりが広がっている。雨が降ってくることだってしばしばで、いつどんな時も傘を手放さずにはいられない。

今日だってそれは例外ではなく、今にも降り出しそうな雨を含んだ灰色の重い雲が空を陣取っている。まだ午後4時半だというのに、まるで夜が早く訪れたように暗かった。

まだ雨は降っていなかったけど、いつ降ってもおかしくないほど、空気が雨の匂いを含んでいる。

辺りには街灯が灯っているけれど、一人では不安になるほど暗くて、隣に乙葉がいて良かったと心底思った。

「本当はねー、ウサギとも一緒に帰ろうと思っていたんだけどー。用事があるって言ってー、先帰っちゃったんだよねー」

ウサギ、の単語にどくんと心臓が跳ねたが、それは無視する。

「そうなんだ。忙しんだね、あいつ」

「北斗先輩と七星先輩とも一緒に見ていたからー、そのまま一生に帰ろうって誘おうと思っていたんだけどー、買い物に行くって言ってー」

「先輩達、自分たちで自炊しているんだもんね」

忙しいのも無理はない。

演奏会に来てくれるだけでありがたいと思う。