「よう。また飲んでんの」
その声にはっとする。いつの間にか演奏は終わり、奏真がカウンターに来ていた。ピアノの演奏も耳に入らないくらいだったなんて。
「お疲れさま奏真くん。いまあなたの彼女の話してたところよぉ」
「……彼女?」
奏真は隣に座り、あたしの顔を見た。なんの話してたって? ていう表情で。この間のことなんて、まるで無かったみたいに。
「彼女。奏真くんが結婚するって話で……」
「ああ」
ビールちょうだい、そうママに低く言って、おしぼりで手を拭いた。今日は何の曲を演奏したのか、あたしは全然聞いていなかった。
「なんだって? なんとかミカ? ミナ?」
「惜しい」
ミカもミナも知らない。知らないって、当たり前だけど……。なんだか祈るようにあたしは指を組んだ。
「あたし記憶力だけは良いのよ。ねぇ朱理ちゃん」
あたしの名前は覚えていてくれたんだ。でもいまはそんなことどうでも良くて……。
奏真は自分から言い出す気は無さそうだ。黙って他の店員が出したビールを飲んでいる。ママは名前を思い出すのに必死。
「思い出したわ、たしか」
あたしのビールは半分ほど減って、泡が無くなっている。
「ああ、ミホちゃんだ。ミホって言ったわねたしか」



