月夜のメティエ



「奏真くん、ピアノ辞めようと思ったこと無いの?」

 制服が汚れそうだ。イチオンは相変わらず埃っぽくて、天気の良さがそれを増長しているような気がする。

「あるよ。色々あるから……ずっとピアノ弾いていたいから、がんばるけど。なんでも良いから、ピアノに携わる仕事がしたいな」

「そっかぁ。凄いなぁ」

 さっきまで、新しく始めたという曲を練習していた。まだ半分までしか弾けないらしい。

「あたしは辞めちゃったから……」

 窓の方を向けば、奏真に背を向けることになる。聞こえてるんだか聞こえてないんだか分からないけど、あたしは呟く。辞めちゃったし。まぁきっとピアノ弾きには向いていなかったんだろうな。

「でも、相田は耳が良いから、すぐ上達しそう」

「人の音は分かっても、自分のは分からないんじゃないかなぁ」

 笑って言った。奏真もちょっと笑っている。

「ここから見ると、相田が埃まみれに見える」

 光に埃が光ってるんだろうか。体に悪そう。あたしは顔の前で手を振った。

「天気、良いなぁ」
「眠くなってきちゃうね」

 あたし達を、ふんわりとした光が包んでる。イチオンだけ、相変わらずなんだか別世界みたいだ。

「高いなぁ、空」
「ちっぽけに思うよね、自分が」
「そうだよなぁ」

 そう言うと、練習の曲を弾き始める。明るい曲なのに、なんだか心が痛くなる。それはきっと、奏真の音が少しだけ寂しげにしていたからだ。


 ここは、14歳のこの音楽室は、あたし達にとって切り取られた空間。

 ずっと続けば良いのに、変わらないでこのままずっと。高い空を見上げて奏真の音色に包まれながら、そう思っていた。